1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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夕闇(4)

 

*****

 

数十分前、特別病室。

 

病室のベッド上で横になっていたスズカは、表情こそ普段の清廉なものを保っていた。

だが胸中は、真っ暗な罪悪感と絶望に覆われていた。

 

私のせいで、天皇賞・秋が…オフサイド先輩が…

 

 

オフサイド先輩と話がしたい。

私の故障が先輩の栄光を閉ざしてしまったことを謝って、どうか帰還を思い留まるように話さないと。

 

だけどオフサイド先輩は、私の要望を断り続けてる。

私、先輩に恨まれたのかな。

悲しみが、胸を浸しはじめていた。

 

恨まれて当然か。

溢れそうな悲しみを抑え、スズカは思った。

だって私は、自分の故障がレースにどれだけの影響与えたのか全く自覚してなかったのだから。

 

天皇賞・秋の真実をずっと隠され続けていたことについて、周囲を責める思いは全くなかった。

ゴールドから言われたように、自分が傷つかない為に隠してたと受け入れてたし、第一その可能性を全く考えてなかった自分が責める資格などない。

 

でも、まだ可能性はある筈。

スズカは、一昨日オフサイドが療養施設に来訪し、自分と会う予定だったことを思い返した。

オフサイドが体調不良になった為会えず終いだったけど、彼女がスズカと会う意志だったことは間違いない。

会う意志があったということなら、まだ、会える望みは残っている筈。

胸中が罪悪感と悲しみに覆われた中、スズカはその一点に希望を保っていた。

 

 

スズカが必死に思考を巡らせている中。

 

「失礼します。」

病室に誰かが訪れた。

スペと沖埜だった。

 

「…?」

現れた二人を見て。スズカの肌に寒気が走った。

二人とも、雰囲気が異様に張り詰めていることが一目で分かったから。

「トレーナーさん?」

「済まない、私達だけにしてくれるか。」

室内にいた医師に退出してもらった後、沖埜はスペと共にベッドの傍らに座った。

 

「…あの、」

精一杯平静を装いながら、スズカは尋ねた。

「何のお話でしょうか。」

「一昨日のことを、話にきた。」

一昨日…オフサイド先輩が施設に来た日だ。

「オフサイド先輩のことですか?」

「そうだ。」

敏感に察した様子のスズカに、沖埜は言葉を続けた。

「実はその日、誰も知らなかったことなのだが、ここに来たオフサイドと、スペの間で、ある事が起きてた。」

 

「…え…?」

想像だにしなかった言葉を受け、スズカの全身を更なる寒気が襲った。

「スペさん、オフサイド先輩と何かあったんですか?」

聞き間違いだと思い、スズカは聞き返した。

スペさんもその日オフサイド先輩と会い、先輩から私と会えなくなったという伝言を受けたことは聞いていたけど…

 

「…はい。」

スペは、スズカを直視することが出来ず、視線を下に向け俯いた姿勢で小声で答えた。

「私は…本当は…」

言いながら、身体が震え出していた。

「…。」

スズカの顔色が、昨晩の時より悪くなってみえた。

 

そういえば…

ふと、スズカは今更気づいたように思い出した。

スペさんの様子がおかしくなっていたのは、オフサイド先輩が来ないということを私に伝えた後からだった…

これ以上ない位悪い予感が、寒気と共にスズカの全身を駆け巡った。

 

スペは膝元に視線を落としたまま、ポツポツと話し出した。

「一昨日…スズカさんに会いに来たオフサイド先輩と私は会い、話したいことがありますと屋上に来てもらいました。」

「…話とは?」

「天皇賞・秋後の、先輩の言動についてです。」

「…っ」

スズカの表情が白くなった。

 

「…言動って、まさか…」

「私が話したかったのは、オフサイド先輩のレース後の言動についてです。…二人きりの屋上で、私は先輩のその言動を咎めました…。」

 

 

スペは震えながらも言葉を絞り出し、先程沖埜に話した内容と同じことをスズカに話しだした。

スズカの故障に対する配慮がないと責め、更には内容も追及しウマ娘としての良心を詰問したこと、スズカへの謝罪を要求したことを、全てスズカに話した。

 

「…私の理不尽な責めを受けて、オフサイド先輩は非常に苦しそうな様子になり、スズカさんと会うのをやめて、施設を後にしました…。」

全てを話し終えた後も、スペは視線を上げられなかった。

 

 

「…嘘ですよね?」

聞き終えたスズカは、昨晩ゴールドに責められた時と同じかそれ以上に蒼ざめていた。

「そんな…スペさんがそんなことする訳がないわ…」

他人を責めることなど出来ないスペさんが、悪意に染まるなどあり得ないスペさんが…そんな愚かな行為をしてしまう筈がない…

「…お願い!お願いです!嘘だと…嘘だと言って下さい!」

スズカは無我夢中でスペの袖を握り締め、心の底から必死に懇願した。

 

だがスペは、スズカに袖を掴まれたまま、僅かに顔を上げてスズカの眼を見つめると、小声で無情に返答した。

「…本当です。…本当なんです。ごめんなさい…。」

 

…嘘…じゃないの…?

スペの腕からスズカの腕が力無く落ちた。

もはや白くなった表情で、愕然とベッドの背にもたれかかった。

…何故?…なんで?…

スズカは頭を抱えると、言葉にならない声を洩らし続けた。

 

そして、しばらく苦悶し続けた後。

 

「スペさん…出てって…。」

頭を抱えたまま、スズカはぽつりぽつりと言葉を絞り出した。

「スペさん…出ていって下さい…」

氷のような口調だった。

 

「スズカさん…」

スペは顔を上げ、何か言おうとした。

だが、スズカはそれを遮るように続けた。

「お願い…出てって。」

「…スズカさん…」

「聞こえないんですか!」

スズカは大声を出した。

スペに対して初めてぶつけた、嫌悪感が滲んだ声だった。

 

「今すぐ、今すぐ出ていって下さい!」

大声で叫ぶと、スズカは堪えきれないように壁を掌で叩いた。

乾いた大きな音が室内外へ大きく響いた。

 

 

「…。」

スペはよろめきながら、ベッドの傍らから立ち上がった。

冷たい涙が頬を伝っていた。

「…ごめんなさい!」

掠れた声で謝罪し、スペは口元を抑えるながら室外へ駆け去っていった。

去り際、彼女の眼から零れた涙が儚く宙に散っていった。

 

 

 

 

 

そして現在。

 

特別病室内は、医師達からの手当てを終えたスズカ、ずっと無言で一部始終を共にしていた沖埜、先程入室してきたライスの三人になっていた。

 

「…トレーナーさん。」

スズカは、精魂が抜けたような声で、ぽつりぽつりと呟いた、

「…なんで、こんなことになってしまったんですか…。」

 

スズカの眼には、涙も失われていた。

 

 

時刻は、18時になろうとしていた。

 

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