1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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夕闇(5)

 

*****

 

18時過ぎ。

夜になり、療養施設のある高原は満天の星空の下、澄み切った寒風が吹きつけていた。

 

食堂では、多くの療養ウマ娘達が夕食を食べに集まっていた。

 

食事している彼女達の雰囲気は不安と緊迫が入り混じっていた。

理由は、先程に特別病室から聴こえた不穏な物音と、その後特別病室から戻ってきたスペの絶望感に満ちた姿を目の当たりしていたから。

 

「スペシャルウィークに、一体何があったんだろうね。」

「さあ。」

緊迫した様子で、療養ウマ娘達は食事しながらそのことを話し合っていた。

「考えられるとすれば、スズカの身に何かが起きたんじゃないかな。」

「それは分かってるよ。それ以外考えられないし。問題は、あそこまで真っ暗になってた理由だよ。相当、悪いことが起きたんだ。」

「怪我の状態が急変したのか、或いは、秋天後の騒動のことを知ってしまったのか…」

「多分後者だね。さっき沖埜トレーナー達と外へ散歩に出ていた姿を見たけど、その時から様子がおかしかったし。」

異様に張り詰めていたスズカの姿が思い起こされた。

 

「知っちゃったのか…」

「仕方ないよ。もう時間の問題だったんだから。」

「誰が知らせたんだろう?」

「さあ…。沖埜トレーナーか、生徒会のブルボン先輩か、或いは他の誰かじゃない?」

「伝える側も大変だっただろうな。絶対にスズカにとって悪い知らせなんだから。」

「秋天後のことを知ったスズカがショックを受けたことは間違いないわ。相当に取り乱したであろうことも想像に難くない。その姿を見てスペもショックを受け、ああなったんだろう。」

「だろうね。」

あの天使のように明るいウマ娘が…

療養ウマ娘達は無念の表情になった。

「一体どうなっちゃうんだろう。」

「祈るしかないよ。スズカもスペも、皆無事に乗り越えられるように。」

 

「もう、駄目じゃないかな。」

一人の療養ウマ娘が、ぽつりと呟いた。

「嘆きの声ばかりが聞こえるようになって…それが集まって、『大償聲(おおつぐないのこえ)』になろうとしてる。」

「“大償聲”?なにそれ?」

「古くから伝承されてる、大きな悲劇を意味する言葉だよ。怒り、悲嘆、絶望などの負の感情が膨大な声となって集まって、それがやがて爆発した時に『大償聲』という巨大な悲劇となって、この世界に永遠に消えない傷を刻みつけるんだって。」

 

「縁起でもないこと言わないの。」

不吉な言葉に、仲間のウマ娘は嫌な表情を浮かべた。

「絶望の声は、希望の声で消していくんだよ。そうやって私達はここまで生きてきたじゃない。」

「そうだね、ごめん。」

「いいよ別に…」

 

療養ウマ娘達は希望の声を並べようとしていたが、その胸中に押し寄せる不安だけはごまかしようがなかった。

 

 

 

 

一方、スペの宿泊室。

 

スペは未だ放心状態でベッドに座ったまま、ケンザンの介抱を受けていた。

ケンザンはスペの介抱をしながらも言葉は殆ど発さず、重い沈黙が室内に立ち込めていた。

 

コンコン。

扉をノックする音が聞こえた。

「どうぞ。」

「失礼するわ。」

入ってきたのは、松葉杖をついたルソーだった。

「どうした?」

「ちょっと、スペと二人きりにさせて頂きますか?」

 

…。

ルソーの言葉を聞いたスペはちょっと反応したが、何も言わずに黙っていた。

「分かった。」

ケンザンは空気を察し、立ち上がった。

「私はゴールドの側に戻ってる。」

そう言うと、ケンザンは部屋を出ていった。

 

二人きりになると、ルソーはスペの傍らに座った。

「…。」

スペは小さくルソーに頭を下げただけで、お茶の入った腕を抱えたまま俯いていた。

ルソーもすぐには何も言わず、しばらく無言だった。

 

やがて、ルソーは重たい口調で尋ねた。

「スズカに、オフサイド先輩とのことを話したの?」

「…はい。」

スペは頷いた。

彼女の両の目元は紅く腫れていた。

 

「スペ、ごめん。」

ルソーは、同じように俯いたまま言った。

「私のせいで、あなたにもスズカにも絶望を与えてしまった…」

「…何を言ってるんですか。悪いのは、愚かな言動をした私です。」

「オフサイド先輩はもう許してたわ。なのに私が、理不尽にそれを責めてしまったのだから。」

 

「でも、ルソー先輩は何も悪くありません。元凶はこの私…」

「過ちは誰にでもあるわ。それを正して許すことが私のすべきことだった。私はあなたのあの行動に至った苦しみも分かっていたのだから。」

スペの言葉に首を振って、ルソーは顔を歪めた。

「なのに私が選んだのは、あなた達も絶望の底へ引き込むことだった。」

 

 

「私は闇に囚われてしまった。オフサイド先輩からスズカもあなたも救けるよう願われた真意を分かってなかった。」

「…オフサイド先輩が、私やスズカさんを?」

「うん。」

先輩はこの未来を恐れてたんだと、今のルソーには分かっていた。

だけど私のしたことは、それと正反対のことだった。

 

「…。」

ルソーの悔恨の言葉に対し、スペは何も言えなかった。

 

「スペ。私はもうどんな裁きを受けても構わない。でも、もうこれ以上同胞が絶望に落ちることは止めなきゃいけない。絶望は待ってても終わらないから。だから、」

ルソーは、スペを見つめた。

「私は、あなたを守るわ。」

 

「え…」

「あなたが絶望の底に落ちるのを食い止めるわ。私に出来ることはそれしかない。」

「何故ですか。先輩は、私のことを恨んでもおかしくない立場なのに。」

「関係ないわ。同じウマ娘だもの。栄光に輝くウマ娘だろうが〈死神〉に取り憑かれたウマ娘だろうが、深い溝が生じたウマ娘同士だろうが、関係ない…」

それを忘れてしまったから、私は…

『みんなの笑顔、私が奪っちゃったんだね』

愛した同胞の最期の叫びと表情が脳裏に蘇り、ルソーはうっと口元を抑えた。

 

「ありがとうございます。でも…」

スペの頬に、ぞっとする程寂しい微笑が浮かんだ。

「私に救われる資格はありません。私はそれだけのことをしてしまったのですから。」

 

「してない!」

ルソーは思わず、虚無の底に落ちかけている同胞を抱きしめた。

「たとえ私が消えたとしても、あなたを救うから。」

 

 

 

*****

 

 

『サイレンススズカは不安定な状態が続いています。医師や沖埜トレーナーが看護にあたっていますが、非常に厳しい現状です。』

 

メジロ家の屋敷。

夕暮れから夜になった空の下、庭に出ていたマックイーンは、ブルボンから送られてきた通知を見、深く息を吐きながら空を見上げた。

やはり、事態は徐々に深刻化してきましたか。

予測のついてたこととはいえ、重い溜息が出た。

サイレンススズカに事の解決への協力を求めることは無理そうですわね…

 

 

しばし夜空を見上げていたマックイーンは、再びスマホに眼を戻した。

スズカの状況を記した通知の最後に、ブルボン個人の通知が記されていた。

 

『私は今後、ライスシャワーの行動を制止することはしない決断をしました。勝手な行動をお許しください。』

 

「了承しましたわ。」

通知を閉じて、マックイーンは呟いた。

恐らくブルボンは、差し迫ったライスとの永別の時まで片時も離れず、彼女のその行動…いや、最期の使命を全う出来るよう見守り続ける決意だろう。

 

あなたならライスの余命を優先すると思ってましたが…

 

だが、マックイーンはブルボンの決断を尊重することにした。

ライスに対する思いと繋がりが最も深い同胞は、自分よりもブルボンの方だということは分かっていたから。

だからその決断は、私よりも重い。

 

ブルボン、あなたに託しますわ。

ライスの最期の祈り、スズカを救うという使命を、どうか果たせてあげてください。

 

マックイーンは込み上げる震えと嘆きを抑えて、再び夜空を仰いだ。

 

 

 

*****

 

 

『私は、全てのウマ娘を幸せにする為に、この世界に入りました』

 

メジロ家の別荘。

夜空の下、岡田は競走場でオフサイドの練習を見守りながら、かつての沖埜の言葉と、彼とスズカの姿を脳裏に浮かべつつ、胸中で思った。

 

…沖埜、お前は、スズカを救うことだけを考えろ。

スズカを救える人間は、スズカの一番の理解者でかつ彼女の生きがいを切り拓いたお前しかいないのだから。

 

 

 

 

*****

 

 

場は戻り、療養施設のシアトルの宿泊室。

 

エレベーター前でライスと鉢合わせした後、自身の宿泊室に戻っていたシアトルは、夕食を食べた後一息つきながら、先程邂逅したライスの姿を思い浮かべていた。

 

 

自分を見た時に翳った眼光、俯いた表情、そして杖をついた脚と…

『もうライスは永くないかもしれないわ…彼女を宝塚の呪縛から解き放って欲しい』

椎菜の言葉が思い起こされた。

 

「永くない…か。」

シアトルは、悲しそうに呟いた。

ライス先輩といえども、あの大怪我だけはどうしても乗り越えられなかったか…

 

でも…

「還られる前に、一緒に乗り越えましょう。」

今度は、決意を込めた口調で呟いた。

「あの宝塚の悲劇を。」

 

シアトルは窓の外の夜空へ視線を向けながら、ゆっくりと立ち上がった。

 


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