1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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懸ける(1)

 

一方その頃。

特別病室前でブルボンと共に待機していた美久も、自身の宿泊室に戻っていた。

 

『あなたは去った方がいい…もうここでは幸せな写真は撮れないから』

部屋で一人佇んでいる美久の脳裏には、ブルボンから言われた言葉が渦巻いていた。

その言葉の意味は、今後起こりうるであろう事の展開と結末を暗示しているように思えた。

 

言う通りにした方がいいかしら。

重いものばかりが募っていく胸中で、美久は思った。

スズカやオフサイドの件だけでももうかなり身に堪えていたのに。

『私、もう永くないわ』

ライスから受けた衝撃の告白がよぎり、重い鈍痛となって胸に響いた。

こんな、悲しことばかりになってしまった場所に、私の居場所はもうないかもしれない。

ウマ娘の幸せな姿を残すことを天職としている美久は溜息を吐いた。

 

 

コンコン。

部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「…どうぞ。」

「失礼します。」

 

「…!」

来室者を見て美久は驚いた。

「ダンツシアトル。何の用?」

「三永美久さん。あなたにお願いがあって来ました。」

 

美久の前に立ったシアトルの口調は、先程とは違い何かの決意を帯びた緊張感を伴っていた。

 

 

 

 

一方、特別病室前。

沖埜と共に特別病室にいたライスが部屋を後にしたのは、入室してから40分程経った頃だった。

 

「ライス。」

「…。」

病室を出てきた彼女に、ずっと室外で待機していたブルボンは声をかけたが、ライスは何も答えず、そのままブルボンの傍らを通り過ぎた。

「部屋に戻られるのですか。」

「はい、一旦戻ります。」

ライスは言葉少なに答えた。

様子からして、彼女はスズカに対し何の行動も起こしていないようだった。

今は沖埜トレーナーに任せたということですか。

ブルボンはそう推察し、最上階を去っていくライスの姿を見送った。

 

 

ライスがいなくなってから数分後。

白衣姿の椎菜が最上階に現れた。

 

「どう、様子は。」

「状況の変化は特にないようです。」

側に来た椎菜の問いかけにブルボンは答えた。

現在病室内にいるのはスズカと沖埜の二人きりで、先程出てきたライスも何も言わなかったからどんな状況なのかは外部からではよく分からない。

「待機している医師の先生方にも動きはないので、現状サイレンススズカは危険な状態には至ってないかと。」

「そう。」

もう限界寸前だろうということは、椎菜もブルボンも分かっていた。

「スペシャルウィークは?」

「下に戻ったきりです。彼女がどうなっているかは分かりません。」

 

「…。」

椎菜は傍らのベンチに腰掛けた。

スズカとスペの間で何かが起きたらしいという報告は他の医師から受けていた。

恐れていた事態はここまで来たかと、椎菜も胸中も切迫していた。

「スペの側には誰かいる?」

「フジヤマケンザン先輩が付き添っていると思います。」

「ケンザンが?」

「スペシャルウィークと一緒に下に降りて行きましたので、多分そうだと思います。」

「…そう。」

立場的には色々と複雑だろうにと、椎菜はケンザンを思い遣った。

後輩が殆ど救いを受けられなかったのにね…。

『ほんの僅かでも救いの可能性を広げる為に』

病室でのケンザンの言葉が思い起こされた。

 

「ライスはどうしたの?」

少し経った後、椎菜は尋ねた。

「ライスは先程、一旦下に戻るとここを後にしました。」

「彼女の脚の状態はどうだった?」

 

「…え?」

不意をつかれたように、ブルボンは思わず眼を見張って椎菜を見た。

椎菜は表情を変えず、ふっと息を吐いた。

「私だって医師だから気づいてるわ。ライスの脚は、もう限界寸前でしょう。」

 

「今そのことは、一切触れないで下さい。」

ブルボンは珍しく睨むような視線を向けた。

「ライスの脚については絶対に口外しないようお願いします。」

「分かってるわ。」

椎菜はニコリともせずに頷いた。

「ただ、私もライスに対し行動を起こさせて貰ったわ。」

「…?」

怪訝な表情をしたブルボンに、椎菜は続けた。

「ダンツシアトルをここに呼んだわ。」

 

「…何ですって。」

ブルボンの無表情が、険しく動いた。

「もう来てるわ。さっき私と挨拶もした。もしかするとライスとももう顔を合わせたかもしれない。」

「何故、シアトルを?」

ライスの様子が少し変わってたのはそれが理由かと察しつつ、ブルボンはやや口調を険しくして詰問した。

「目的は一つじゃないわ。私の為、ここで生活してる療養ウマ娘の為。そして、ライスの為。」

椎菜はブルボンの厳しい視線を見返した。

「彼女がこの世を去ってしまうかもしれないその前に、あの宝塚の呪縛から解き放つ為に。」

 

 

 

 

遡ること数分前。

特別病室を後にしたライスは、杖をつきながら施設内の宿泊室へと戻っていった。

 

だが。

「あ。」

宿泊室の手前で、ライスは足を止めた。

部屋の扉の前で二人の人物…美久とシアトルが、彼女を待つように立っていたから。

 

 

「…。」

「…。」

先程エレベーター前で鉢合わせした時と同じく、ライスとシアトルの間に重い沈黙が流れた。

言いようのない感情と時間を揺らめかせながら。

 

 

「お久しぶりです、ライスシャワー先輩。」

重い沈黙を破ったのはシアトルの方だった。

「…お久しぶり、ダンツシアトルさん。」

左脚に激痛を感じつつ、ライスは杖で身体をなんとか支えながら挨拶を返した。

「今日、こちらに来たのかしら?」

「ええ、椎菜先生から頼みを受けましてね。私もそろそろ療養施設に顔出ししてもいいかなと思って、それで来ました。」

「そうですか…お元気そうで良かったです。」

 

「…。」

ライスの言葉にシアトルはなんとも言えない微笑を浮かべ、そして続けた。

「少し、お話でもしませんか?」

「話?」

「3年前の宝塚記念のことをです。」

 

シアトルの言葉と同時に、場の空気が更に張り詰めたものに変貌した。

 

「はい。」

息が詰まりそうな空気の中、ライスは静かに頷いた。

眼光から漏れ出た蒼芒が、やや怯えて見えた。

「では、外で。」

「はい。」

「美久さんもご一緒下さい。」

「うん。」

 

シアトルは廊下を歩き出した。

ライスは杖をついた身体を美久に支えられてつつ、その後ろに続いた。

 

 

 

*****

 

『ダンツシアトルが、椎菜医師の頼みでライスと会う為に療養施設に来ました。どうやら既に再会したようです。』

メジロ家の屋敷。

庭に出て夜景を眺めていたマックイーンは、ブルボンからその報告を受けると静かに眼を瞑った。

 

「感謝します。椎菜医師、ダンツシアトル。」

ライスの為に動いてくれたことを。

自分と違い、ライスにはまだ救いの道が残されていたのだから。

 


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