(ダンツシアトル回想)
宝塚記念後。
ウマ娘界のニュースは、私の優勝ではなくライスシャワー先輩の故障一色に染まった。
ライス先輩の故障はやはり重く予後不良もやむを得ない程のもので、僅かな可能性に懸けて懸命の治療が行われていた。
一方の私は、宝塚記念優勝に関するニュースは少々報道されたが、あまり大きく称えられることはなかった。
大スターであるライス先輩とほぼ無名だった私との知名度の差もあったろう。
私の優勝をニュースするということは同時にライス先輩の故障をニュースすることでもあったからだし、またその影響でレースシーンも振り返り難い為だった。
もうあの宝塚記念は、ウマ娘の歴史上で最も振り返りたくないレースの一つになるだろうことは明らかだった。
そして学園内でもやはり、ライス先輩の身を案じる声が大きく、私への祝福の声は少なかった。
正確には祝福し難かったのだろう。
レースを闘うウマ娘らしく勝負的に見れば、例えライス先輩が故障しなくても私の優勝は動かなかっただろうという見方が多かったと思う。
先頭勢にいた私と違いライス先輩はかなり後方でレースを進めていた為、故障時に他の出走者がその影響を受けた点はほぼなかった。
また私の優勝タイムがレコードだった点、中距離ではやや実績が乏しいライス先輩は、例え無事だったとしても勝てた可能性は低いという見方も多くあるようだった。
それにそもそも、無事であることも実力の一つである点、私の優勝に疑問符がつけられる点は一切なかった。
でも、それら全てを分かっていても、周囲はやはり私の栄光に対してぎこちなくならざるを得なかった。
それだけ、ライス先輩の故障は同胞達にも多大なショックを与えていた。
それに何より、私自身がそれをあまり求められなかった。
宝塚記念の表彰式で『とても喜べない』と発言した以上、この状況は受け入れざるを得なかった。
そして数週間経ち、懸命の治療が報われライス先輩は奇跡的に生命が助かり、世間は安堵し喜んだ。
勿論私もその一人だった。
宝塚記念のことを祝福されなかったのは心残りだったけど、また次の大舞台で栄光を掴めばいい。
そうすれば今度こそ祝福を受けられるだろうと、なんとか心を入れ替えようとしてた。
だけど。
宝塚記念から一月程の経った頃、私は古傷を抱えていた脚に違和感を覚えた。
そして検査を受けた結果、悪い予感は的中した。
かつて患った〈クッケン炎〉、通称〈死神〉の再発症だった。
遂に掴んだ栄光から飛躍を遂げることなく、私は再びレースから離脱し療養せざるを得なかった。
そして、その療養生活は一月も経たずに終わった。
治ったわけじゃない。
私は復帰を諦めて引退を選んだから。
*****
(現在)
「レースへの想いが、失われてしまったんです。」
療養施設の高原。
ライスの傍らで膝を組んでいるシアトルは、夜景を見ながら淡々と回想した。
「あの宝塚記念…いや、その数ヶ月前の春、〈死神〉との闘いを乗り越えて1年以上ぶりにレースの舞台に戻ってきた私は、これが栄光を掴む最後の機会だと覚悟してました。一日一日〈死神〉再発症の恐怖と闘い、限界ギリギリまでパフォーマンスを上げられるようトレーニングを必死に行い、レースに挑む準備をしてました。」
そして復帰初戦の条件戦を12番人気で勝ち、続くOP戦は他走者の落バによる致命的煽りを受けながら3着に食い込み、次戦のOP戦では完勝し初のOP勝利。
更に次の京阪杯ではG1覇者や重賞覇者が何人もいる中で1番人気に推され、そしてその期待に応え優勝。
初重賞制覇を果たすと同時に、初のG1レースである宝塚記念への切符を掴みとった。
この間、僅か50日間の出来事だった。
「脚の不安は当然ありましたし、ハードなローテの疲労もありましたが、夢を叶える為そして生き残る為には耐え抜いて闘うしかなかった。正直、脚が壊れて還っても構わないくらいの覚悟がありました。」
そして、遂に立つことが出来たその夢舞台で、悲願の栄光を掴んだ。
だけど…
「そこまでの覚悟の果てに私が得たかったものは…これだったのかな。宝塚記念後、私はそんな思いに苦悩しました。」
歓喜なき栄光、祝福なき勝利、顧みられない走り。
宝塚記念後、その異様な状況がシアトルを苦しめていた。
仕方のない、やむを得ないことだと受け入れたつもりでも、やはり複雑な心境だけはごまかせなかった。
そして、なんとか次の大舞台に向けて心を切り替えようとしていた矢先に起きた〈死神〉再発症。
以前までだったら、再び復活することへの意欲があったと思う。
だけど、あの祝福なき栄光を経験してしまった現状により、夢への憧れやレースへの渇望というのが失われてしまっていた。
その結果、シアトルは引退した。
心が折れた以上、〈死神〉に抗うのはもう不可能だったから。
「虚しかったですね、学園を去る時は。」
シアトルは、一切包み隠さず当時の心境を口にした。
「悲願の栄光を手にしたのに…ボロボロになった脚を鞭打って闘い勝利したのに、誰からも素直に祝われなかった。やりきれなくて、もう二度とレースのことは考えたくないとすら思いました。」
「…。」
ライスは、眼を瞑って心を押し殺しながら、シアトルの言葉をじっと黙って聞いていた。
「それでも、私は引退後に一縷の夢を持ってました。私は血統に無敗の3冠の血を引き、また宝塚記念をレコードで制した実績とスピードを持ったウマ娘。次世代を担うウマ娘達を輩出できる立場にあると自負してましたから。ウマ娘は引退後も重要。ライス先輩もそれはよくお分かりですよね。」
「…ええ。」
ライスは小さく頷いた。
宝塚記念前に既にG1を3度制していたライスが引退しなかったのは、引退後の重要さを分かっていたからでもあった。
「最も、私のその考えは甘かったですね。」
シアトルは自虐的に微笑した。
「私は、知名度や印象というのを過小して考えてました。オサイチジョージ先輩やプレクラスニー先輩の前例等をちゃんと勉強するべきでしたね。」
引退後、シアトルはG1覇者でありながら、次世代のウマ娘を輩出する仕事をあまり与えられなかった。
理由は、当時に重要視されてた血統の背景などの理由もあったが、一番の理由はシアトルの世間における知名度の低さと印象の薄さだった。
彼女の名を聞いてもG1覇者だと分かる者は少ない程、彼女の存在は知られていなかった。
宝塚以外の実績が乏しかった点も影響したにしろ、それにしても知られてなさ過ぎた。
そして何より…
「私が制したG1レースが何か分かると、誰もが複雑な表情を浮かべるんですよ。時には『あの悲劇のレースか』とはっきり言う人達もいましてね…それが本当に辛かった。」
微笑を保ちつつも、シアトルの表情は引き攣っていた。
「…。」
ライスは、何も言うことが出来ず、ただ黙っているしかなかった。
少し間を置いた後、シアトルはゆっくり続けた。
「私には、引退後の夢を叶えられる場所も満足になかった。そう痛感しました。おまけに、どこにいっても私の印象は『悲劇のレースの勝者』…正直、絶望しましたね。もうこの世界に私の居場所なんてないとすら思った程に。実際、もう還ってしまおうかと、何度か崖の淵に立ったこともありました。」
…。
ライスは思わず顔を伏せた。
さすがにシアトルの表情を直視することは出来なかった。
「でも、全てを捨てて帰還する選択は一歩手前で思い留まり続けました。」
ライスの様子を横目で見た後、シアトルはその時の心中を思い返しつつ続けた。
「私はまだこの世界でやることがある、出来ることがある。そう望みを繋いできましたから。生きていれば、生きてさえいれば、いつかそれが見つけられると。〈死神〉との闘病中もそうでした。先の見えない絶望の中で、僅かな希望を集めてそれを繋ぎながら必死に生きてきましたから。」
「…。」
「そして、しばらく経った頃、九州の地で私を必要としてくれる人達がおり、そこで次世代輩出の仕事を頂きました。その後、北の大地や関東の地にも一時期いましたが、今は九州に定住して仕事を続けています。正直、理想的な次世代の輩出は厳しい現状ですが、それでも少しでもウマ娘界の未来に役立てればと思って、生き続けています。」
シアトルはそこまで話しきると、大きく息を吐いて夜空を仰いだ。