1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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『第6章・下』
トレーナー(1)


 

*****

 

その頃。

メジロ家の別荘では、オフサイドが自室で岡田と共に夕食をとっていた。

 

朝からオフサイドと岡田はほぼずっと行動を共にしていたが、会話をかわしたのは朝と午後の数回だけ。

オフサイドは相変わらずトレーニングに集中し続け、岡田はただそれを見守っているだけだった。

 

 

だが、夕食後。

 

「オフサイド、」

岡田は、再びトレーニングを再開しようとしていたオフサイドに、意を決したように声をかけた。

「なんでしょうか。」

「話がある。トレーニングはせずに、後で私のいる別室に来い。」

「それは、命令ですか。」

「命令だ。」

岡田は、今までにない厳しい視線で告げた。

「分かりました。」

オフサイドは特に表情を動かさず、恩師の指示に頷いた。

 

 

数分後。

岡田とオフサイドが、別荘内の一室で二人きりになった。

 

「改めて言うことでもないが、確認の為に聞いておこう。」

向かい合わせに座りあうと、岡田はすぐに口を開いた。

「先日私はマックイーンから、お前が今度の有馬記念で重大な行動をおかす決意を固めているということを聞いた。それは、本当で間違いないのか?」

「ケンザン先輩やゴールドにも、自分の決意は話しました。」

窶れた表情に不気味なほどの冷静さを保たせて、オフサイドは淡々と答えた。

 

そうか、と岡田も表情を変えずに頷いた。

「そこまでに至ってしまったお前の絶望の大きさは、私も分かってるつもりだ。あの天皇賞・秋にお前がどれほどの想いをもって挑んだか、人間では私が一番知ってるからな。」

 

「…。」

岡田の言葉を受け、オフサイドの頬に複雑な微笑が浮かんだ。

「あれほどの想いをかけて挑んだレースがあんな内容になってしまって…トレーナーには申し訳なく思ってます。」

「やめろ。」

岡田はその言葉を遮るように睨んだ。

「お前はそう言うが、私の思いはの天皇賞・秋後のインタビューの通りだ。恥ずべき内容などとは露ほどにも思ってない。」

 

「…。」

岡田のその言葉にオフサイドはやや眼を伏せた。

もう称える声すら、彼女の胸には響いていないようだった。

岡田もそれは分かっていた。

「私がどう言っても、お前があのレースで求めてたものを得られずに全てを失ったと感じてしまっている以上、もうその決意を変える気はないようだな。」

 

「お許しください。」

オフサイドは俯いて、感情のない声で返した。

岡田の言葉通り、もう彼女の決意は揺るがなかった。

 

「とはいえ、」

オフサイドの詫びる姿を見て、岡田は一呼吸おいた後、再び言った。

「お前がその決意をした理由は、マックイーン達に伝えたようにただ絶望しただけではないのだろう?」

 

「…。」

ピクっと、オフサイドの俯いた肩が反応した。

その反応を見つつ、岡田は続けた。

「絶望だけじゃない。間違いなくブライアンのこともあるだろう。そして何より、お前は帰還することに使命を見つけてしまった。それが理由じゃないのか。」

人間の岡田の言葉が、ウマ娘のオフサイドの肺腑に突き刺さった。

 

重い沈黙が流れた。

オフサイドは俯いたまま微動だにせず、岡田もただ黙念と彼女の姿を見つめているだけだった。

 

「岡田トレーナー、」

やがて沈黙を破ったのは、オフサイドの方だった。

「私の考えていることは、全て見通しているということですか…。」

「当然だ。私は、お前の生き様を誰よりも見てきた人間なのだから。」

「では、」

オフサイドは顔を上げ、虚ろな微笑と共に岡田を見つめた。

「私の使命の遂行を、後押しして下さるのでしょうか。」

 

「馬鹿なことを言うな。私を誰だと思っている。ウマ娘の未来の為に人生を捧げると決めた人間だぞ。」

岡田は即座に否定し、厳しい口調で言った。

「そんな私が、お前のその絶望から導き出された使命を肯定するわけがないだろう。」

「では、私は使命も果たさずただ空虚な絶望の中で朽ち果てるしかないと言うのですか。」

「違う。私は、お前には本当の使命を見つけて欲しいだけだ。」

「本当の使命?」

なんですかそれは、とオフサイドが尋ねると、岡田は答えた。

「生きていれば、いずれ分かる。」

 

「…。」

岡田の返答を聞き、オフサイドはふっとまた窶れた微笑を浮かべた。

「そうかもしれないですね。でも、私はその先の使命など求めません。私が成すべき使命は、ここまで辿り着いたものしか出来ない使命ですから。」

言いながら、オフサイドはゆっくりと右脚を庇いながら立ち上がった。

 

そして、岡田を見下ろしながら、大きく深呼吸して眼を瞑った。

その瞬間、オフサイドの雰囲気が一変した。

同時に、彼女の周囲に恐ろしい幻影が拡がった。

 

「お前…」

それが視えた岡田は、思わず身体を戦慄させた。

 

数秒後、オフサイドはゆっくりと眼を開いた。

同時に雰囲気も元に戻り、幻影も消えた。

 

「分かりましたか?」

冷たい汗を滲ませた岡田を見下ろしつつ、オフサイドは淡々と言った。

「私はここまで来てしまったんです。最果ての世界…そう、〈死神〉の領域に。」

彼女の頬に、冷たい微笑が浮かんで見えた。

 

「私は、私にしか出来ない使命を遂行します。ウマ娘の未来の為に。」

絶望の果てで達観したような口調で言うと、オフサイドはそれ以上は何も言わず、岡田に一礼し部屋を出ていった。

 

 

オフサイドが去った後、しばし黙念としていた岡田だが、やがて携帯を取り出し電話をかけた。

かけ先は療養施設にいる沖埜だった。

「もしもし沖埜か。…ああ、今はやはり会うのは無理だ。…来るのはやめろ。…オフサイドはこちらでなんとか対応する。まだ時間はある…。…今は、スズカの方が懸念が大きい…そうか、分かってたか。…じゃ。」

 

 

オフサイド…

沖埜への電話を終えた後、岡田は椅子に座ったまま眼を瞑りつつ重い溜息を吐いた。

オフサイドが背負ってしまった者達と、オフサイドの心を破壊したものの正体…

先程、それを見せつけられた

以前から薄々感じてはいたことだが、それが明確に分かるとやはり衝撃は大きかった。

 

だが。

衝撃を受けつつも、岡田は胸の内で思った。

オフサイド、帰還は絶対に駄目なことだ。

〈死神〉を受け入れてはいけないんだ。

例えその先に、お前の言うウマ娘の未来の為の使命があったとしてもだ。

 

俺だけじゃない。

ゴールドもルソーもケンザンも、沖埜もスズカもマックイーンも、そして他のウマ娘達も、皆お前の帰還など望んでいない。

お前を理不尽に責めた人間連中ですらそうだろう。

何より、お前と全てを共にしたあの二人の同胞が、そんなことは絶対に許さないに決まってる。

 

それに、もしお前が使命遂行し帰還したら、それはお前一人で済まないことだって分かってるだろ。

お前と同じ夢を抱いていた同胞達がどうなるか。

 

苦悩に満ちた思いが、岡田の胸中と脳裏を渦巻き続けていた。

 

 

それから数十分後。

岡田の携帯が鳴った。

 

相手は沖埜だった。

 

「もしもし、沖埜か。」

『岡田さん。私は、一つの決断をしました。』

 

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