1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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トレーナー(2)

 

*****

 

 

数十分前、療養施設。

 

特別病室の外で岡田からかかってきた電話の対応をしていた沖埜は、電話を終えると病室内に戻ってきた。

 

ベッド上で蒼白な表情のままずっとうずくまっているスズカの傍らに行き、沖埜は口を開いた。

「スズカ。話がある。」

 

「話…」

スズカは、顔を上げて沖埜を見た。

見るからに心身が憔悴した表情で。

「今は、誰とも話したくありません。」

小声で拒否すると、再びうずくまった。

 

 

夕方にスペからオフサイドとのことを打ち明けられて以降、スズカの精神状態は更に悪化していた。

スペから告げられた真実に対するショックは、昨晩のゴールドから告げられた事よりも大きかったように映る程だった。

スペを病室から追い出して以降、スズカは誰とも一切口をきこうとせず、ベッド上で沈黙を続けていた。

そんな彼女を、沖埜は普段と変わらず冷静な様子でずっと見守っていた。

だが勿論、彼女の心身の苦しみは彼も同じくらい感じていた。

 

「スズカ、」

話を拒否されたが、沖埜はベッドの傍らの椅子に座り、うずくまっているスズカに静かに言った。

「メジロ家の別荘にいるオフサイドトラップと連絡がとれるよう色々手を尽くしたが、今はどうしても不可能のようだ。」

「…。」

スズカは何も答えなかったが、気力が更に落ちたように見えた。

 

「お前、自分を責めているんだな?」

何も答えないスズカに、沖埜はそう尋ねた。

「…。」

「お前が責任を感じることは何もない。今回のことで最も責任を負うべきはこの私だ。」

「…。」

沖埜の言葉に対し、スズカはシーツを被り横になって背を向けた。

何も聞きたくないという意思表示だった。

 

だが沖埜はそれを分かりながらも、背を向けた彼女に言葉を続けた。

「スペのことだってそうだ。あいつがオフサイドに対してあのような行動をおかしてしまったのは、この私の言動が原因となっている。あの天皇賞・秋後に、私が残してしまった浅慮な言葉のな。」

 

その言葉にスズカは反応し、背を向けたまま小声で返した。

「トレーナーさんの言動は、報道の切り取りだと聞きました。」

「切り取りであろうと、私が影響を考えずに発言をしてしまったことは事実だ。その結果、大衆を扇動させオフサイドトラップをここまで追い込ませる現状になった。この責任は重い。」

「どうされるおつもりなんですか。」

普段の口調の裏に何かの決意を感じ、スズカが尋ね返した。

それに対し、沖埜は淡々と答えた。

「私はその責任を受け入れる。トレセンを離れる覚悟をしている。」

 

「えっ。」

その言葉に、スズカはビクッと息を呑んだ。

「何を仰るんですか。」

「一人のウマ娘のかけがえのない名誉を貶めたんだ。この世界で生きてる以上、そのくらいの報いは受けて当然だ。」

沖埜は、感情を押し殺した口調で言った。

「だが、お前達までその責任が及ぶことはあってはならないんだ。私と違い、お前もスペも悲劇の被害者だ。責任をとるのは私だけでいい。」

 

「駄目です。」

スズカは起き上がった。

「トレーナーさんがトレセンを去るなんて…トレーナーさんはウマ娘の未来の為に不可欠な方です。そのようなことは絶対にしては」

「私のトレーナーとしての実績など免罪符になどならない。それに、重要な人間であればこそ、必ず責任を取らなければ駄目だろう。有耶無耶にしてはいけないんだ。この世界の未来に禍根を残さない為にもな。」

首を振ったスズカに対し、沖埜は諭すように言った。

かつての教え子マックイーンが、かつての師である自分に処分を検討していることを思い浮かべつつ。

「例え私が去ることになっても、お前やスペが責任を感じることはない。罪悪感を背負う必要はない。お前達はウマ娘だ。今回の事態の発端は、私達人間から始まったことなのだから。」

 

「…。」

頑なに決意を変えない沖埜に、スズカの表情が悲しげに歪んだ。

彼女は再びシーツを被り、沖埜に背を向けた。

「すみません、一人にさせて下さい…」

 

「分かった。」

沖埜は立ち上がった。

「スズカ。お前にもスペにも、まだ未来は残されている。だから、決して不必要に自分を責めるな。」

そう言い残すと、沖埜は特別病室を出ていった。

 

 

病室を出た沖埜は、室外で待機していたブルボンと会った。

 

「少し下に行ってくる。また戻るからそれまでスズカを頼む。」

「かしこまりました。」

ブルボンに頼んだ後、沖埜は最上階を後にした。

 

 

エレベーターで下に降りた沖埜は、スペの宿泊室に向かった。

スペの部屋に入ると、ベッド上に座っているスペとそれに寄り添っているルソーがいた。

 

「ルソー。」

君がスペの側にいてくれたのかと尋ねると、ルソーは無言で頷いた。

「そうか、ありがとう。」

オフサイドの件でスペと険悪になっていた筈の彼女の、今の心境を薄ら察しつつ沖埜は礼を言った。

「もう少しの時間、スペと一緒にいてくれるか。」

「構いません。」

沖埜の頼みをルソーは了承した。

 

「…。」

二人が会話している間、スペは沖埜の姿を見ることが出来ずずっと俯いたままだった。

沖埜もそれに気づいていたが、今は何も声をかけなかった。

 

 

沖埜はスペの部屋を出た。

そしてそのまま、コートを羽織って施設の外へ出た。

 

遊歩道の途中にあるベンチにまで着くと、沖埜はスマホを取り出し、岡田に電話をかけた。

沖埜と岡田は、夕方に沖埜がスペの件で岡田と連絡をとって以降、何度も連絡を取り合っていた。

 

『もしもし、沖埜か?』

「岡田さん。私は、一つの決断をしました。」

 

『決断、それはなんだ?』

「事の責任をとり、トレセンを去ります。」

沖埜は、端正な表情も整然とした口調も変えずに言った。

 


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