1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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深刻(1)

 

*****

 

21時頃。

療養施設は就寝時間が近づき、殆どの療養ウマ娘達はそれぞれの病室に戻っていた。

 

医師の椎菜もこの日の医務を終え、医務室でコーヒーを飲んで一息ついていた。

昨晩の出来事以降、彼女の心身の疲労は、これまで幾多の辛い経験と直面してきた彼女といえども隠せない程に重く溜まっていた。

それでも椎菜は懸命に意識を保たせて、この日の医務は全て無事にやり遂げていた。

 

「失礼します。」

彼女のもとに、来室者が現れた。

シアトルだった。

 

「ライス先輩と会って来ました。」

来室したシアトルは椎菜の向かいの椅子に座ると、差し出されたコーヒーの杯を受け取りながら言った。

「会って、どんな話をしたの?」

「全て話しました。あの宝塚のことから今に至るまでの、私の全てを。もうこれで、宝塚の悲劇の呪縛は消えたと思います。」

「ライスも、あなたも?」

「ええ。長かったですが、どうやらようやく終わることが出来たようです。」

シアトルは暖かい吐息をし、コーヒーを飲んだ。

背負っていたものから解放されたような幸福感がその表情に表れていた。

 

「そう、ありがとう。」

切迫した状況がずっと続きかなり疲弊していた椎菜の表情にも、ほっと微笑が浮かんだ。

彼女もまた、あの宝塚を巡る葛藤から解放された気がしたから。

 

 

「ただ、」

シアトルはフッと息を吹き、幸せな表情を打ち消した。

「その話を全て終えた後に、ライス先輩から、今起きている事態について教えて頂きました。」

 

「…。」

椎菜の表情からも微笑が消えた。

「じゃ、あなたも現状を周知したのね。」

「ええ。オフサイドトラップの有馬記念における決意、昨晩サイレンススズカに起きた出来事、スペシャルウィークとホッカイルソーのことなど全てを。」

コーヒー杯を置いて答えたシアトルの表情は、陽気なものからかなりの緊張感を帯びたものに変わっていた。

 

「ではあなたは、今後どうするつもりなの?」

椎菜の問いに、シアトルは答えた。

「全てを知りましたが、事の圏外にいた私には出来ることも限られてます。だから私は、ここに来た目的を果たすことに集中します。」

〈クッケン炎〉と闘う仲間達を助ける。

その言葉をシアトルは再度口にし、そして付け加えた。

「オフサイドトラップにも、救いの手を差し伸べたい。」

 

「オフサイドと会って、決意を翻意させる気?」

「出来ればそうしたい。でも私とオフサイドは直接の接点が薄い。また天皇賞・秋後の彼女のことも私は殆ど知らないので、私だけの力で翻意させるのは難しいと思います。」

ですので、とシアトルは続けた。

「〈死神〉から生還し栄光を掴みしかし悲劇によりそれを閉ざされてしまった、その共通の同胞として、彼女の為に可能な限り出来ることをします。状況は異なれどその絶望を乗り越えたこの私にしか出来ないこともある筈ですから。」

 

「…頼んだわ。」

コーヒーカップを置き、椎菜はシアトルの手を握った。

「今、あなたのようなウマ娘の存在は事を状況を変える為に本当に重要だわ。力を貸してくれてありがとう。」

「当然です。」

シアトルはその手を力強く握り返し、引き締まった笑顔で返した。

「私は仲間を助けに来たんですから。」

 

 

 

*****

 

 

一方。

シアトルとの話を終えたライスは、美久と共に自らの宿泊室に戻っていた。

 

杖を置いて椅子に腰掛けしばらく一息ついていたライスは、やがて携帯を取り出し、特別病室前にいるブルボンと連絡をとった。

「…もしもし。今、スズカさんの状態は…一人…病室にいるのもブルボンさんのみですか。沖埜トレーナーは…そうですか。…スペさんと一緒にいるのは…分かりました。」

 

電話を終えると、ライスはしばし考えこんでいたが、やがて杖を手に立ち上がった。

「どこに行くの?」

「ルソーさんの病室。」

「そう。」

美久もカメラを手に立ち上がった。

今の美久の表情には、先程までの悲しみに満ちた影はなくなっていた。

 

 

部屋を出た後、美久はライスにはついていかず自分の宿泊室へ戻っていき、ライスは一人でルソーの病室へ向かった。

 

病室前に着くと、ライスは扉をノックした。

コンコン。

「どうぞ。」

返答の声はゴールドだった。

「失礼します。」

ライスが中に入ると、ベッド前の椅子に一人座っているゴールドの姿があった。

 

「起きてたのね、ゴールドさん。」

ゴールドに用があったのか、ライスは話しかけながら彼女の側に歩み寄った。

「ライス先輩。」

ライスの姿を見たゴールドは視線を伏せた。

昨晩のあの時は二人共現場にいたが、会話も目を合わせることもなかったので、実質会うのは2週間ぶりだった。

「身体の具合は大丈夫?」

「もう熱は治りました。身体だけは丈夫なんで。」

 

体調こそ戻ったものの、心に負ったものの大きさを表すようにゴールドの表情は暗かった。

かわいそうに…

昨晩のゴールドの言動を現場で見たライスには、彼女のその心の傷の大きさがよく分かっていた。

“全部奪われて消されちゃった…ひどすぎるよ”

2週間前に『祝福』で最後に会った際、自分の眼の前で泣き崩れた彼女の姿が脳裏に蘇った。

 

「辛かったでしょう、ずっと。」

ライスは、ゴールドの心の傷をいたわるように言った。

「私なんて、どうでもいいです。」

ゴールドは俯いたまま首を振った。

「一番辛いのはオフサイド先輩とスズカです。私の苦しみは自業自得。仲間の為に何も出来ず、無二の親友を理不尽に責める選択をしたのだから。」

 

「自分を責めなくていいわ。」

真っ暗な表情のゴールドに対し、ライスは優しい微笑を返した。

「あなたがオフサイドさんもスズカさんも救おうと頑張ってたことは知ってる。そんなあなたを誰が責める?」

「仲間の為に頑張ったその果てがあの行動です。最悪でしょう。」

「まだ決まった訳じゃないわ。」

ライスは微笑したまま、ゴールドの眼を蒼く光る眼で見つめた。

「あなたのあの行動で状況大きく動いたのは事実。でも悪いことばかりじゃない。」

もう曖昧な活路が閉ざされたことで、皆それぞれ覚悟を決めたのだし。

「まだ時間は残されているわ。あなたの苦しみを永遠になど絶対にさせない。同胞の未来の為に、このライスが救いの道を必ず切り拓くわ。だから信じて。」

 

そう言うと、ライスは蒼芒を光らせたままゴールドをそっと包み込むように抱き締めた。

 

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