1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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深刻(3)

 

数分後、ブルボンの連絡を受けた沖埜は特別病室に駆けつけた。

室内には他に、スズカの状態の報告を受けた医師達も集まっていた。

 

「何もしないで下さい…」

スズカを安静にさせようとする医師達に対し、ベッド上のスズカはそれを拒否していた。

清廉な彼女とは思えない、嫌悪感を滲ませた素振りで。

「私のことはほうっておいて下さい…一人にさせて下さい…」

「だが…」

「お願いです!…はあ…はあ……出ていって下さい!…もう…やめて!」

彼女の呼吸は乱れ、声も掠れていた。

心の状態が急激に悪化しているのが明らかだった。

 

「スズカと二人きりにさせて下さい。」

絶望に蝕まれているスズカの状態を見て、沖埜は医師やブルボンにそう要求した。

医師達も、今のスズカは沖埜に任せた方がいいと判断し、その要求を受け入れた。

 

間もなく、特別病室はスズカと沖埜の二人きりになった。

 

「トレーナーさん…一人にさせて下さい…」

二人きりになったが、スズカは沖埜に対しても病室を出ていくよう哀願していた。

「今は誰とも会いたくありません…お願いです。」

「…。」

ベッドの傍らの椅子に座った沖埜は、無言で首を振った。

彼の雰囲気が先程と違っていることはスズカも薄ら気づいていたが、それを気に出来る余裕はなかった。

「すみません、今はトレーナーさんの姿も見たくないんです。」

 

「…。」

何度も要求したが、沖埜は無視するように動かなかった。

やがてスズカも諦めたように要求をやめ、室内に沈黙が流れた。

 

 

「…トレーナーさん。私は、一体何の為に走ってきたのでしょうか…。」

沈黙が続いた後、スズカはベッド上から窓の外へ眼を向けて、途切れ途切れに言葉を洩らしはじめた。

「私は、自分にとって最高の走りを目指しました。最高に気持ちのいい、美しい走りを…。私だけが見れる先頭の景色を観たいと、その夢を抱いてレースを走りました。」

「…。」

沖埜は沈黙したまま、眼を瞑って聞いていた。

「何度も上手くいかなくて、辛いことも何度もあって…それでもでも私は遂にその走りを見つけられた。そしてその走りが、観てくれる人達に大きな喜びと夢を与えられることを知って、私は嬉しかった。この走りを極められれば、私は皆さんにかつてない程の大きな夢と喜びを与えられると信じて…それを目指しました。」

 

「…そう信じてたのに…。」

振り向いたスズカの眼には、何の希望もなかった。

「…私が皆に与えたのは…私の夢の結末は…こんなことだったんですか?」」

 

「…。」

沖埜は眼を開いた。

しかし彼は何も言葉を発さず、ただじっとスズカを見つめているだけだった。

 

「なんで…」

スズカは涙も出ない目元に指を当てた。

「なんで皆、故障がなければ私が勝ってたとか…思ってしまったのですか?…あの天皇賞・秋は完全に私の負けです。原因がどうとか関係ありません…。道中で故障して、私は競走中止した…それが厳然たる現実であり結果です。…皆、そう受け止めてくれてると思ってました…。」

「…。」

「それなのに…本当は、誰も勝者のオフサイド先輩をちゃんと称えず、本来は私が勝っていたレースだったと先輩の栄光を貶めた…。私…そんなこと全然望んでなかったのに…なんでそんなことをしてしまったの…?」

 

言いながら、スズカは苦しみに満ちた表情で頭を抱えた。

「…なんで?…私…最後まで走りきることも出来なかったのに…完走すら出来ていないウマ娘を勝者扱いするなんて…私は、…私はそんな惨めなウマ娘に見えましたか?そんな空虚な称賛に喜ぶと思いましたか?」

“惨め”という台詞に、重い感情がこもっていた。

 

「…私はこんなものを受ける為に走ってきたんじゃない。敗北は…敗北として受け入れて欲しかった…勝敗の尊厳まで変えることなんて望んでないのに…」

小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、毎日王冠…過去のレースで私が残してきた誇りや走りが消えるわけじゃないのに。

なんで…なんでこんなことになっちゃったの。

 

 

でも、分かってる。

皆がそんな過ちをおかしてしまった理由も、あの天皇賞・秋が閉ざされてしまった理由も、過ちが連鎖してしまった理由も、全て…

『…あなたが故障しなければ誰も悲しむことはなかった…誰も傷付かなかった…』

 

「…一番悪いのは、この私ですね…」

ゴールドの重い重い言葉を脳裏に蘇らせつつ、スズカは絶望的な口調で呟いた。

「ゴールドの言う通りです…。私のこの故障が、皆に悲しみと過ちを与えてしまいました。故障さえしなければ、絶対にこんなことにはならなかった…。」

 

「…。」

沖埜はなおも黙っていた。

スズカは包帯が巻かれた左脚に手を当て、更に呟き続けた。

「私の故障が、オフサイド先輩を絶望に追い込んだ…。純真無垢なスペさんに過ちをおかさせた…。トレーナーさんにも深い深い悲しみと後悔を与えて…ゴールドまで傷つけて……みんな私のせいで…」

最後は耐えきれなくなったように声が震えていた。

そのまま、スズカはシーツにを掴んで顔を伏せた。

 

 

「…スズカ、」

顔を伏せたスズカを見て、ずっと沈黙していた沖埜が口を開き、そして静かに言った。

「…お前、帰還しようと考えているのか?」」

 

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