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22時半。
療養施設は消灯時間を過ぎ、夜の静寂に満たされていた。
最も、消灯時間を過ぎたからといって皆が寝静まったわけではない。
就寝に入っても中々寝付けない療養ウマ娘も数多く
この日、施設ではスズカ・スペの異変、シアトルの来訪など色々なことがあった。
施設内で進行している見えない現状に憂いを抱く者も多く、静寂の中で重い雰囲気が流れていた。
そうした中、非常灯のみが灯る誰もいない暗い食堂に現れたウマ娘がいた。
ブルボンだった。
ブルボンは自販機で買った飲み物を手に、食堂内の一席に腰掛けた。
それを一口飲むと、栗毛の美髪に触れながらふうっと深呼吸をした。
昨晩からブルボンはほぼ休む事なくスズカの状態の見張りを行い続けている。
彼女の美しい無表情にも、疲労の色が見て取れた。
現在、スズカはスペと共に二人きりで外へ散歩に出ている。
沖埜も医師も、そしてブルボンも付き添いにはいっていない。
スズカがそう要求したからだ。
本来ならそれでも付き添うべきなのだろうが、今はスズカの心を刺激しない方がいいと判断しそれは自重した。
もしスズカの身に何かあったらすぐに連絡するようスペに伝えていた。
大丈夫でしょうか…
髪の毛に触れながら、ブルボンは憂げに息を吐いた。
スズカとスペ、あの二人は親友以上の仲。
しかしオフサイドの件で二人の間に大きな亀裂が入ったことは当然ブルボンも分かっている。
そのことについて話す為に、二人きりで外に出たであろうことは想像に難くなかった。
果たしてどうなるか…
二人の状況が今後に大きな影響を及ばすことは分かっているが、現状暗い未来しか想像出来なかった。
一度入った亀裂が元通りに治るのは難しい。
ましてや、スズカは勿論スペも甚大なダメージを負ってしまった程に深い亀裂だ。
何故、こんなことになってしまったのだろう…
ふと、溜息が洩れかけた。
「ブルボンさん。」
不意に、憂げに座っている彼女を呼ぶ声がした。
見ると、杖をついたライスが食堂に入ってくるのが見えた。
「ライス。」
ブルボンは彼女の姿を見て思わず眼を見張った。
暗いのではっきりとは見えないが、それでも夕方頃に会った時と比べて明らかに顔色と雰囲気が澄んでいたから。
「もしかしたらいるかなと思って来ました。当たってましたね。」
ライスはそう言って微笑しながら、ブルボンの傍らの席に腰掛けた。
ライスも、スズカとスペが外に出ていることはブルボンから報告を受けて知っていた。
「ライス、脚の状態は大丈夫なんですか?」
「大丈夫です。」
答えたライスの表情には、苦痛を堪えている色も全く見えなかった。
寧ろ、それが消えてしまったような清々しい表情に見えた。
そういえば。
つと、夕方に椎菜から聞いたことをブルボンは思い出した。
「ダンツシアトルと、会ったのですか?」
「はい。」
不安げに尋ねたブルボンに対して、ライスは微笑を湛えたまま頷いた。
「彼女と、あの宝塚記念のことを?」
「ええ、あの事を中心にお話ししました。」
「シアトルは何を話したんですか?」
「全部お話しして下さりました。レース後のこと、引退後のこと、現在のことをそして、」
ライスは、僅かに蒼芒の洩れた目元に指を当てた。
「あの宝塚記念のことを、許してくれました。」
「え。では…」
「はい。呪縛から、解放させてもらいました。」
その後、ライスはシアトルとのことの内容をブルボンに全て話した。
「そうでしたか。」
話してる途中からまた泣き出していたライスにハンカチを渡しながら、ブルボンの無表情にも僅かに微笑が浮かんでいた。
ようやく、ライスは解放されたのか…
ライスがあの宝塚の呪縛にどれだけ苦しんでいたか、彼女と最も近い同胞であるブルボンは誰よりも知っていた。
感謝します、ダンツシアトル、椎菜医師…
「スズカさんを救う為にも、大きな力を貰いました。」
ライスは涙を拭って、澄んだ表情に張り詰めたものを漲らせた。
「この状況下でも、私は最後の使命を全う出来る…そう信じられる程のものを。
「…ええ。」
ライスの使命遂行を見守ると決めているブルボンは、微笑したまま頷いた。
「必ず出来ます、ライスなら。」
「生徒会長にも、このことはお伝えしましたか?」
「…うん。マックイーンさんにはさっき伝えたよ…」
呪縛から解放されたからか、ライスの口調が一瞬生徒時代のものになった。
あっと、ライスは恥ずかしそうに赤くなった。
ブルボンはクスッと無表情を綻ばせた。
「大人になりましたが、ライスの子供っぽさもまだ健在ですね。」
「やめてよブルボンさん。」
「赤くなるとますます小さくなるのも変わってないですね。」
「うう…」
暗い食堂の中で、二人はまるで生徒時代のような和やかな雰囲気で接していた。
しばらくそうした雰囲気が続いた中、ブルボンの携帯が鳴り、受付から連絡が来た。
『スペとスズカが施設内に戻りました。』
…。
その連絡に、明るい雰囲気だったブルボンの表情は現実に戻されたように無表情になった。
了承と返答したものの、ブルボンはすぐには席を立たずにしばし思考していた。
「特別病室に戻らないのですか?」
「いえ…」
口調を戻したライスの尋ねにもブルボンは言葉を濁していたが、やがて意を決したように携帯を取って医師達に連絡した。
「…ブルボンです。スペとスズカが施設に戻ったようです。…はい、私は、もう少し後に戻ります。ですので…ええ、沖埜トレーナが特別病室にいるので…宜しくお願いします。」
連絡を終えると、ブルボンは立ち上がった。
「ライス、外でもう少しお話ししませんか。」
「戻らなくてもいいのですか?」
「後で戻ります。それまでもう少し、あなたとお話ししたい。」
もうこんな時間はないかもしれませんし、それに…
「この状況を乗り越える為に、私はあなたから力を頂きたいから。」
コートを羽織ると、ブルボンはライスに手を差し伸べた。
「はい。」
ブルボンの言葉に、ライスも微笑しつつ右眼を蒼く光らせて、彼女の手を握り立ち上がった。
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同じ頃。
場は変わり、メジロ家の屋敷。
マックイーンは、自室のソファで紅茶を喫しながら身体を休めていた。
ライス…
マックイーンの表情は、ここ最近閉ざされていた名族令嬢らしい穏やかなものになっていた。
ようやく、あなたは解放されましたか。
先程、マックイーンは電話でライスからシアトルとの事を伝え聞いた。
ブルボンと同じくライスの無二の親友である彼女も、ライスが宝塚の呪縛から解き放たれたことに心の底から安堵していた。
ライスに残された時間はもう僅か。
その耐えがたい悲しみの中で、一つの確かな救いが叶った。
最大の呪縛から解き放たれた今、ライスには最期の時まで安らかな時間を過ごして欲しいと、マックイーンは思った。
でも、もうそれは不可能だ。
ライスは最後の使命を果たす為に生き切ろうとするだろう。
ライスを止めるべく派遣したブルボンも、彼女の覚悟を受け入れた。
私も。
マックイーンはゆっくり立ち上がり、窓を開けて夜空を仰いだ。
あなたの覚悟を受け入れますわ。
そして、事に救いの未来をもたらすことが出来たら…
「ブルボンと共に、あなたと最期までの時間を、一緒に過ごしましょう。」