「綺麗ですね、夜空。」
施設外の高原の芝生道。
車椅子上のスズカは満天の星空を仰ぎながらふと呟いた。
「そうですね…。」
車椅子を押していた手を止め、スペも夜空を見上げた。
療養施設に来るようになって以降、何度もここから観える夜空を見てきたが、今晩は特に美しい澄みきった光景が広がっていた。
「そういえば、今日はクリスマスでしたね。」
「クリスマス…」
そういえばそうだったと、今更のように気づいた。
「聖夜だから、これだけ綺麗な夜空なのかもしれないですね。私達へのささやかなプレゼントでしょうか。」
そう言ったスズカの口調は普段の清廉なものだった。
「昨年はどんなクリスマスでしたっけ?」
「えーと…」
尋ねられ、スペは思い出そうと頭に手を当てた。
「確か、『スピカ』に加入したばかりのスズカさんの歓迎会も兼ねて、皆で楽しく過ごした記憶があります。」
「あ、そうでしたね。」
スペの返答に、スズカは思い出しように言った。
「トレーナさんのご自宅で皆でクリスマス会をしましたね。マーベラス先輩やエアグ先輩達も一緒に。楽しかったですね。」
「はい。」
「確か、スペさんが一人でケーキを全部食べかけてたから皆で慌てて止めた覚えがあります。」
「あは、そうでしたか。」
「あの時に私は、スペさんが凄く食欲旺盛な方だと知りましたから。」
「流石に、ケーキ独り占めは止められますよね。」
「ウマ娘はスイーツ好きが多いですから。私もそうですし。」
過去の思い出を他愛なく話しているものの、二人の表情には笑顔はなく、雰囲気に明るさは全くなかった。
「あんな楽しい時間が、私達にもあったんですね。」
夜空の遥か彼方に灯る星を見つめ、スズカはぽつりと言った。
「…。」
スペは何も答えず、無言で再び車椅子を押し始めた。
やがて芝生道を抜けて、二人は遊歩道に入った。
「少し、ここで一息ませんか。」
遊歩道の自販機のあるベンチ前を通りかかった時、スズカはスペに言った。
「…はい。」
スペは従うように頷き、車椅子を止めた。
「温かい飲み物を買って頂けますか。」
自販機を見て、スズカはスペに頼んだ。
「分かりました。」
スペは自販機で温かいお茶を買うと、スズカにそれを渡した。
「ありがとうございます。」
スズカをそれを受け取ると、飲むのではなく暖を取るように両手に抱えた。
「夜景は綺麗ですが、流石にちょっと寒いですね。スペさんは飲み物いらないのですか?」
「私はそこまで寒くないので。…スズカさん、マフラーがずれてますよ。」
答えながら、スペはスズカの首元に手を当てて、マフラーを着け直した。
「ありがとうございます。」
スズカは礼を言いながら、ほんの少し微笑した。
スペもほんの少し微笑を返し、車椅子の傍らのベンチに腰掛けた。
しばしの間、二人の間に沈黙が流れた。
ここで、大切な話をするのかな…
一面に広がる夜の高原の光景を前に、ベンチに座ったスペはスズカが言葉を発するのを待っていた。
一方のスズカは、両手に飲み物を抱えたまま、しばらくじっと眼を瞑っていた。
やがて、
「…スペさん、」
スズカはやがて眼を開き、夜景に眼を向けつつ静かに口を開いた。
「何故スペさんは、オフサイド先輩を責めたのですか?」
「…。」
スペは思わず、膝頭に爪を立てた。
覚悟していたが重い問いかけを受けて、心が大きく動揺した。
「…夕方、お伝えした通りです。」
なんとか平静を保ち、蒼白な表情で声を震わせながらスペは答えた。
「あの天皇賞・秋後のオフサイド先輩の言動を、完全に誤解してしまった為です。未熟な私には、先輩の心中や勝者の尊厳というのをまるで分かっていませんでした。先輩の言動を歪んだ眼で見た結果、私は愚かな行為をしてしまったんです。」
スズカは、スペを見ずに、乾いた口調で続けた。
「深く後悔しているんですか?」
「…はい。」
スズカの問いかけに、スペは涙声で頷いた。
「私の行動でどれだけ先輩が傷ついたか。…本当に申し訳なくて、もう詫びようもありません。悲壮な決意をされてしまったのも、私のせいです。」
「スペさんのせいではありません。」
スペの涙混じりの懺悔に、スズカは首を振った。
「スペさんはまだ何も知らなかったから、歪んでしまった風潮に流されてしまっただけです。」
「そんなこと、なんの言い訳にも」
「それに、オフサイド先輩が抱いてしまった決意には、スペさんの行動は関係ないと思います。」
スズカはスペの言葉を無視するように続けた。
「有馬記念に出走すると決めた時点で、もうその決意をされてたのでしょう。ゴールドも言ってました。オフサイド先輩が夢も希望も不屈すらも失った理由は、誰も先輩の走りを顧みようとせずに、栄光に値しない・無価値の烙印をおされたからだと。そのことに絶望し、その果てに、栄光に相応しくない走りをした自らが悪いと責めてしまって、帰還の決意をしてしまったのだと。」
昨晩ゴールドに突き刺せられた言葉を、スズカは唇を震わせながら口にした。
「だから、スペさんと先輩の決意は関係ない筈です。それに恐らく、先輩もスペさんのことを責めてなどいないでしょう。」
寧ろその逆でしょうと思いつつ、スズカは言った。
「でも、私がオフサイド先輩を傷つけたことだけは間違いありません。」
スズカの言葉を聞いた後も、スペはぽつぽつと続けた。
「それに、オフサイド先輩とスズカさんが会える大切な機会を、自分は消してしまいました。」
その事実だけは間違いないと、スペは心底から自責する様に言った。
「…。」
その言葉に対しては、スズカは何も言えず黙った。
だが、
「辛かったですよね、スペさん。」
やがて再び口を開くと、スズカは唇を噛み締めながら涙を拭っているスペを見つめた。
「…?」
「本当に苦しかったでしょう…他人を責めてしまう行動は。」
オフサイドと会ったであろう時から、スペの表情から笑顔が消えていたことをスズカは気づいていた。
純真無垢で天使のような明るさと笑顔をもつスペがそうなった…それは、彼女自身にもその行動による反動に苦しんでいたことを間違いなく表していた。
「私の苦しみなんて自業自得です。寧ろ足りない位…」
「それ以上自分を責めないで。」
再び、スズカはスペの言葉を遮ったい。
「スペさんは悪くないから、この私の罪に侵された犠牲者だから。」
スズカが深い吐息と共に言うと同時に、冷たい寒風が吹いた。