今年に入ってから、共に快進撃を続けていたスズカとスペ。
快進撃の理由としては、沖埜の指導の影響が勿論大きかったが、二人がチーム仲間となって以後切磋琢磨をし合いながら、お互いを深く想い合うようになった点も大きかった。
「スペさんは、いつから私のことを特別に感じるようになったのですか。」
「多分、昨年の天皇賞・秋からだと思います。あのレースでのスズカさんの走る姿を初めて観て、今までない衝撃を受けました。その後、初めてお会いして、チーム仲間になって、時間を一緒にすることが増えていくうちに、それがどんどん大きくなりました。」
スペは包み隠さず、努めて自然な口調で答えた。
「私も、スペさんと初めて会ったあの時から、スペさんに対して特別な感じを抱きました。」
スズカは深く回想するような口調だった。
「間違いなく、運命だったのでしょうね。」
「…運命。」
「それに、私がレースで勝った時、スペさんは毎回私以上に喜んでくれましたね。」
またほんの少し、スズカの頬に微笑が浮かんだ。
「私はそれが一番嬉しかった。一人のウマ娘としては、無邪気に明るく祝福してくれるスペさんを見たいという思いで、レースを走っていました。」
「レース後、いつも幸せそうな表情で帰ってくるスズカさんの姿が大好きでしたから。」
スペの表情がちょっと紅くなった。
スズカがレースで勝って戻る度、スペは抱きついて祝福していた。
時には感激のあまり泣きつくこともあった。
「毎度、想像を超えて強さで勝つスズカさんの姿を見る度に、私もスズカさんみたいになりたいって強く思いました。それが、あのダービーに繋がりましたから。」
「あれは、本当に凄かったですね。」
スズカはダービーにおけるスペの走りを思い出した。
残り200mから同期のライバルを全員ぶち抜いて、衝撃の5バ身差の優勝。
あの凄まじい勝ち方には、観ていたスズカも思わず身体が震えた程だった。
それに…
「スペさんは自分の優勝より、トレーナーさんの悲願を叶えたことを喜んでましたね。あの姿も印象的でした。」
「ダービー制覇はトレーナーさんの大きな夢でしたから。その夢を叶えられたことが凄く嬉しかったです。」
「私も、惨敗したダービーの記憶を幸せなものに変えて下さって、本当に嬉しかった。」
スズカの頬には微笑が残っていた。
「そして、そんな日々を送っていくうちに、スペさんにはもう一つの特別な思いも芽生えました。…あなたとレースで闘いたいという思いが。」
「はい。」
スズカの言葉に、スペは前髪に手を触れ、夜空を仰いだ。
「そのことをお話しましたね、天皇賞・秋の前に。」
*****
天皇賞・秋の前日、東京府中競バ場。
夜、この日の開催レースが全て終わり誰もいなくなった場内の観衆席に、制服姿のスズカとスペが並んで座っていた。
「いよいよ明日ですね。」
「ええ。」
夜景を前に二人が話している内容は、勿論明日の天皇賞・秋のことだった。
「スズカさん、最高に状態が良さそうですね!」
「体調もメンタルも今までの中で一番の状態だと思います。」
スズカは自分の身体を見つめているスペの問いかけに清廉な笑顔で返した。
実際、心身の状態は生涯最高といっていいぐらい充実していた。
「レース本番でも、今までにない走りを皆さんにお見せ出来そうです。」
「わー!楽しみです!」
珍しく自信に溢れた言葉を口にしたスズカに、スペはぱあっと満面の笑顔になった。
「では、レコードタイムも更新出来るかもしれないですね!」
「自信はあります。」
明日は恐らくバ場状態も良、枠番も1枠1番と好条件が揃っている。
十分レコードタイムを出せると思えた。
「とはいえ、タイムを気にし過ぎてはいい走りは出来ないですから、自分の力を120%出すことに集中します。」
スズカはそう言ったものの、スペは期待で一杯の表情だった。
「どれぐらいのタイムを出すのか楽しみです!10バ身くらいの差をつけて1分57秒台のスーパーレコードでしょうか?それとも…」
「スペさんたら…」
スズカはおかしそうに笑った。
毎日王冠の時はすごく心配そうだったのに、今は一抹の不安もなさそうだ。
まあ、私も一抹の不安もないけどね。
最高の走りが出来れば負ける可能性は絶対にないと、スズカは確信していた。
「天皇賞・秋の後は、JCに出走するんですよね?」
明日への期待に眼を輝かせたまま、スペはふと尋ねた。
「ええ、来年の海外遠征の前に、なるべく国内の大レースは出走する予定なので。」
「では、私もJCに必ず出ます!」
もともとその予定だったスペは、更に眼を輝かせて言った。
「今月末、ここで遂にスズカさんと闘えるんですね!すっごく楽しみです!」
一月後に行われる大レースに向け、スペの胸は早くも躍っていた。
「気が早いですよ。私にはまず明日の天皇賞・秋がありますし、スペさんも来週に菊花賞があります。まず目の前のレースを終えてから、次のレースを意識しましょう。」
「…はい。」
先輩っぽく指摘されたスペはちょっと前髪を掻いた。
「うふふ。」
スズカはその様子を見て微笑みながら、つと競バ場に眼を向けた。
「でも、実は私も凄く楽しみです。スペさんと闘えることが。」
あのダービーやその他のレースでも何度も見せた、電光石火ともいうべきスペの豪脚。
あの持ち主と闘える時が迫っていることに、少なからず高揚感があった。
「とはいえ勿論、相手がスペさんであろうと、先頭の景色は最後まで譲らない自信はありますよ。」
「わー、凄い自信ですね!でも、私も負けません!」スズカの言葉に対し、スペの明るい天使の表情がレースで闘うウマ娘のものに変わった。
「例え相手がスズカさんであろうと、私は負ける気はしません。最高の走りをするスズカさんを最高の末脚で差しきって魅せます!」
「あら、大した自信ですね。」
「当然です、私はダービーウマ娘ですから!」
「私もグランプリウマ娘ですよ。」
言いながら二人の視線はぶつかり合い、火花が散って見えた。
でもそれもほんの数秒だった。
「…うふふ。」
「…あはは。」
思わず笑い合いながら、二人は笑顔に戻った。
「本当に楽しみですね。」
再び競バ場の方に視線をやりながら、スズカはつとスペの手を握った。
「はい!」
スペもその手を握り返しながら、つと身をスズカににじり寄せ、幸せそうに眼を瞑った。
「…大好きです、スズカさん。」
「…。」
スズカは夜空に微笑を向けたまま、眼を瞑っているスペの前髪を優しく撫でた。
*****
「その願いは、叶いませんでしたね。夢とともに全部消えてしまった、何もかも。」
夜空に瞬く遥かな星々を見つめて、スズカは喪失感が滲んだ口調で呟いた。
「…。」
スペは何も答えられず、ただ目元を抑えるしか出来なかった。
しばしの間、屋上は静寂に包まれた。
やがて、スズカは夜景に眼を向けたまま、再び口を開いた。
「さっき、スペさんは私に、もしオフサイド先輩が帰還されたらどうする気なのか尋ねましたね。」
「はい。」
目元を拭ってこくりと頷いたスペに、スズカは言葉を続けた。
「私は、もうそのことは考えていません。」
「…。」
「そんな、絶望の未来を考えて待つだけより、私が今するべき行動をとる方が重要ですから。」
スズカの口調は、普段の清廉な淀みないものだった。
「はい。」
スズカの言葉に、スペはふーと息を吐くと、嘆きをこらえて頷いた。
「私も、こんな私でも、少しでもお力になります。オフサイド先輩を、スズカさんを救う為になら…。」
スペのその言葉に、スズカは悲しげな微笑を見せ、小さく吐息した。
「私のことは、もう考えないで下さい。」
「…え?」
「考えるべきは、救うべきは、オフサイド先輩です。そのことだけを考えて下さい。」
「…。」
スズカの言葉はずしりと重く、スペは返す言葉に詰まった。
更に、スズカは続けた。
「でも、どれだけ皆で力を合わせて手を尽くそうと、オフサイド先輩の絶望の未来は到底変わらないでしょう。ですから、その未来が世界を覆う前に、私は、オフサイド先輩の決意を身をもって翻意させなければなりません。」
…身をもって?
「…どういう意味ですか?」
スズカの言葉に、スペは不吉な感覚を覚え、震える口調で尋ねた。
だがスズカは横顔を見せるだけで何も答えなかった。
その横顔が、異常な程清廉になっていること気付き、更に寒気が走った。
スズカさん…まさか…
何か言葉を出そうとした、その時。
「え?…あれ…?…」
突然、スペはめまいのようなものを覚えた。
…何、これ…
気のせいかと思ったが、それは急激に強くなった。
「…う…う?…」
突然の身体の異変に、スペは声を洩らしながら崩れるように身体をベンチにもたれさせて、何度も顔を振った。
だがそれは全くおさまらなかった。
めまいじゃない…
スペを襲ったのは、強烈な眠気だった。
「…なんですか、これ…」
身体の自由が効かなくなる程の眠気に、スペは青ざめた。
「どうしましたか。」
「…すみません、ちょっと急にめまいと眠気が…」
スズカの問いかけに、スペは早口で答えた。
平静を装う余裕はなかった。
とにかく医師の先生を呼ばないと。
ベンチにもたれながら、スペはなんとか意識を奮い立たせてスマホを取り出した
ところが。
「…。」
傍らのスズカが無言で、連絡をとろうとしたスペの手を制止させるように、さっと抑え込んだ。
「…え?何を…」
「…。」
驚いたスペの眼に映ったのは、全てを悟り切ったようなスズカの眼だった。
「ごめんなさい、スペさん。」
スズカのもう片方の腕には、先程スペに与えた飲み物と、昨晩担当医師から受け取った薬の錠剤が握られていた。
*****
「っ…」
施設の食堂。
美久と共にお茶を飲んでいたゴールドは、突然ビクッと身体を震えさせた。
「どうしたの?」
「…いえ。」
美久の問いかけに、茶碗を両掌に抱えたままゴールドはなんでもありませんと首を振った。
だが彼女の掌は震えたまま、カタカタと音を鳴らしていた。
「どこかおかしいの?」
「…。」
ゴールドは茶碗を置き、震えた両手で頭を抱えた。
「何か、凄く嫌な予感がしたんです…」
答えている彼女の声音も震え出していた。