1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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写真(3)

*****

 

そして時刻はしばらく経ち、陽はがすっかり暮れて夜になった頃。

 

 

カランカラン。

閉店時間近くなり、ライス一人になっていた『祝福』に、一人のウマ娘が来店した。

学園帰りのオフサイドトラップだった。

 

「あら」

「こんばんは。」

久々の彼女の来店に驚いたライスに、オフサイドは暗い瞳で挨拶し、それから頭を下げて続けた。

「今朝、ライスさんがチームに差し入れをしてくれたと、ゴールドから聞きました。そのお礼と、お詫びに…」

「“お詫び”?」

「私の不注意で、お店のカップを割ってしまいました。」

オフサイドは破片を集めた袋を出し、再度頭を下げた。

「あらら、怪我はしてない?」

「大丈夫です。あの、割れたカップの代金を…」

「要らない要らない。」

財布を出した彼女に手を振りながら、ライスは袋を受け取った。

すみませんともう一度頭を下げると、もう用はないのかオフサイドは出ていこうとした。

 

「待って。」

少し話をしない?と、ライスは言おうとした。

だがそれより早く、

「天皇賞のことは話せません。」

扉前で立ち止まったオフサイドは、背を向けたまま言った。

「私に構わないでください。ライスさんにもご迷惑がかかりますから。お願いです。」

 

…。

ライスはオフサイドの背中を悲しい眼で見つめた。

分かったわ、と頷き、その代わりあることを伝えた。

「さっき、ステイゴールドさんがお店に来たわ。」

「?」

「私や美久さんがいる前で、大泣きしたの。“先輩(あなた)が受けた仕打ちはひどすぎる”って。」

背を向けていたオフサイドの身体が微かに動いた。

後ろからでは表情は見えなかったが、何か感情が動いたように見えた。

だが彼女は何も言わず、背を向けたまま店の外へ出ていった。

 

 

 

オフサイドが店を出た後、ライスは誰もいない店内の一席で、ブラックコーヒーを飲みながらしばらく黙念としていた。

 

そして、30分程経った頃。

「ただいま。」

美久が店に戻ってきた。

 

オフサイドが来店する一時間くらい前。

先に来店してライス・美久を前に大泣きしたゴールドは、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。

眠ってしまった彼女を、美久は車で学園寮まで送り、今戻ってきたのだ。

 

「ゴールドさんの様子はどうだった?」

「寮に着くまでずっと眠っていたわ。寮に着いて起きた後はいつものように明るくお礼を言ってたけどね。」

ライスが淹れた労いのコーヒーを喫しながら、美久は答えた。

「あの子もかなり疲れているみたいだわ。」

「疲れというより、かなり傷ついているわね。」

美久の前に座って、ライスは憂げに言った。

「あの子やんちゃだけど、かなり純粋な子だからね。慕っているオフサイドさんがあそこまでバッシングされて、内心平気でいられる訳がないわ。」

先日のJCの惨敗もそれが理由だろうとライスは思った。

 

その後、ライスは美久と一緒にコーヒーを飲みながら、先程オフサイドが店に訪れたことを話した。

 

「あんな哀しい後ろ姿の天皇賞ウマ娘、見たことなかったわ…。」

天皇賞を制した歴代のウマ娘は、余程の例外を除いて誰もが誇りと自信を手に入れていた。

ライス自身、天皇賞の盾を手にした時は、周囲の声如何に関わらず自らに誇りを持てた。

だが、オフサイドには全くそれがなかった。

隔絶された不毛の地で、一人朽ちてゆくような絶望感しかなかった。

 

「絶対に、彼女を救わなければいけないわ。」

ライスがそう呟いた時、黒髪に隠れた片眼が光った。

彼女が現役時代、レースでラストスパートをかけた際に出る特徴が不意に現れた。

「オフサイドを救えなかったら、それはウマ娘史上永遠に残る悔恨になってしまう。」

「そうね。」

美久はライスの眼光に少し驚き、それからこくりと頷いた。

「あの子を救えない限り、私も幸せな写真が撮れない。」

天皇賞以後も、大レースを制したウマ娘達の華やかな写真を撮影し続けてきたが、その度にオフサイドのことが胸につかえていた。

天皇賞の盾を手にしたオフサイドの、笑顔に満ちた写真を撮りたい。

美久もそう願っていた。

 

 

その後、美久も店を後にした。

彼女が帰るとライスシャワーは店を閉め、店舗の上の自宅に戻った。

 

痛い…

自宅のベッドに横になると、ライスは少し顔をしかめながら両足、特に左足をほぐした。

ライスはG1レースを何度も制した元スターウマ娘だが、レース中の怪我で引退した。

その怪我の影響で、走ることはおろか歩くことすら実は不自由だ。

日常生活でも常に痛みが伴う程だ。

普通のウマ娘には耐えることも大変なくらいなのだが、ライスは決して人前で辛そうな素振りは見せない。

それは彼女が現役時代に培った鋼の精神力の成せる業でもあり、また現役時代最大の『悔恨』を忘れない為でもあった。

 

足をほぐし終えると、ライスは窓際に立って、夜空の月へ眼を向けた。

ライスシャワーの、現役時代最大の『悔恨』。

それは大記録を阻んだ2度のレースではない。

ツインターボの大駆けをくらう番狂わせにあったオールカマーでも、その後の不甲斐ないレースでもない。

最後のレースとなった宝塚記念のことだ。

あのレースで、ライスは一人のウマ娘を不幸にしてしまった。

 

サイレンススズカにもオフサイドトラップにも、あの悲劇の二の舞にはなって欲しくない…

夜月を見上げるライスの両眼からは、月光と同じような青白い光が放たれていた。

 


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