「沖埜トレーナー…」
今まで見たことない沖埜の姿を、スズカは茫然と見上げた。
「還るなスズカ!」
沖埜は落ちかかる身体を必死に支えながら、それでもスズカの腕は頑として離さなかった。
「お前の悲しみと絶望の大きさは分かってる!全て背負って帰還しようという決意の重さも分かってる!だけど俺はお前に生きてて欲しいんだ!」
「でももう、どうしようもないんです…。」
スズカの眼から涙が溢れ、宙を散った。
「せめて…オフサイド先輩を救う為にはこうするしか…」
「オフサイドトラップは関係ない!お前はサイレンススズカだ!」
必死に腕を外そうとするスズカに対し、沖埜は必死にそれを阻止しつつ叫び続けた。
「お前の罪も絶望も俺が一緒に背負う!この世界がお前に矛先を向けるのなら俺が守ってやる!絶対に、絶対に守る!だから生きろ!頼む、生きてくれスズカ!」
沖埜の秀麗な瞳から涙が溢れ、スズカの頬に落ちた。
「…トレーナー。」
初めて、沖埜の涙を見た。
頬に感じたその涙の熱さと感触に、スズカの抵抗していた力が弱まった。
「…く。」
スズカの身体を引き上げようとする沖埜の身体が、ずるっと前にずり落ちた。
扉を壊した際に激痛が走った片脚の踏ん張りが効かなくなっていた。
落ちかけた寸前で、沖埜はなんとか片腕と片足で耐えた。
だがこのままでは…
絶体絶命の中、沖埜は歯を食いしばりながら、それでもスズカの腕は決して離さなかった。
すると不意に後ろから、沖埜の身体を掴み、彼を支えようとした者がいた。
「…スズカさん…トレーナーさん…」
意識を失っていた筈のスペだった。
物音の連続で目覚めたのか、スペはまだ自由が効かない身体を懸命に動かし這い寄ってきて、出せる力全てを振り絞って落ちかける沖埜の身体を支えようとした。
「…スズカさん…生きて!…」
スペも身を乗り出し、宙に揺れるスズカを見つめ叫んだ。
沖埜トレーナー…スペさん…
命懸けで自分を救おうとする二人の姿を、スズカはただ見上げるしか出来なかった。
だが。
「…くそ。」
「…もう…」
共に不自由になっている二人の力では、もうスズカを支えきれなくなってきていた。
…このままでは、トレーナーもスペさんも…
限界を悟ったスズカは、眼を見開いて二人を見上げて叫んだ。
「離して下さい!このままではトレーナーさんもスペさんも!」
「…離すか…」
それでもなお、沖埜はスズカの腕を決して離さなかった。
だが次の瞬間、踏ん張りの効かなくなった彼の身体が、闇の空間に大きく傾いた。
…く…
沖埜は最期を覚悟した。
その時。
黒い突風を巻き起こして、一人のウマ娘が屋上に現れた
「サイレンススズカ!」
屋上に現れたウマ娘は黒い疾風と共に三人のもとに殺到し、身を乗り出してスズカの腕を掴んだ。
「サイレンススズカ!還っては駄目!」
両眼から蒼芒を靡かせて叫んだそのウマ娘は、ライスだった。
「…ライス先輩…」
ライスにも腕を掴まれたスズカは、彼女の蒼芒を見上げると同時に、遂行の失敗を悟った。
次の瞬間、宙に浮いていたスズカの身体は、沖埜、スペ、ライスの腕によって、屋上に引き上げられた。
「スズカ!」
「スズカさん!」
救い上げたスズカを、沖埜とスペは泣きながら抱きしめた。
「トレーナーさん…スペさん…」
スズカはただ、茫然と抱きしめられるしかなかった。
「サイレンススズカ…」
三人のすぐ後ろで、ライスも目元を拭い、大息を吐く胸を抑えて夜空を見上げていた。
その後、屋上にはブルボン、ケンザンと椎菜、多くの医師達、美久とゴールド、ルソーとシアトル等、物音を聞いて駆けつけた関係者達が次々と現れた。
関係者達が現れるなかでも、沖埜とスペはスズカを抱きしめて涙を流し続けていた。
やがて、スズカは再び車椅子に乗せられ、茫然自失状態のまま医師達に付き添われて屋上を去っていった。
彼女と共に沖埜も、扉を壊した際に負傷した脚を引きずりながら、医師の手を借りて屋上を出ていった。
薬を飲まされたスペは、その場で医師の検査を受けたが状態に別状はなく、彼女も医師に付き添われて屋上を出ていった。
スズカの帰還は、阻止された。