1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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大償(7)

 

屋上を後にしたスズカは、そのまま特別病室のベッド上に戻された。

 

沖埜やスペはそれぞれ身体の治療の為特別病室には戻らなかった。

スズカの状態を医師達が検査した後、担当医師が彼女の見張りにあたった。

 

 

「先生…」

ベッド上に半身起こした姿勢で横になっていたスズカは、茫然自失状態のまま、担当医師に尋ねた。

「スペさんの状態は、大丈夫なのでしょうか…。」

「スペは別室で寝かされているみたいだわ。状態には特に異常もなかったから安心して。」

「沖埜トレーナーの状態は…。」

「沖埜トレーナーは、脚の手当てを受けてるわ。」

担当医師は僅かに顔を顰めた。

固い扉を強引に壊した代償で、沖埜の脚が砕けた可能性が高いと報告を受けていた。

「かなりの重傷みたいだけど、命に別状はないから安心して。彼は人間だから。」

 

「…。」

スズカは一度シーツに顔を伏せ、それから窓の外に眼をやった。

彼女の表情は、まだ茫然自失のままに映った。

医師は何も声をかけず、ただ彼女の様子をじっと注意深く見守り続けていた。

 

 

帰還、出来なかった。

スズカの眼は、夜空に煌めく蒼月へ向けられていた。

覚悟も決まっていた。

こうするしかないと、絶望は避けられないと決まっていたのに。

もう私は生きていけるわけなどないと、分かっていたのに…

 

『お前に生きて欲しいんだ!』

『生きてくれ!』

全身の力が抜け落ちたような状態の中、沖埜の叫びと彼が溢した涙の感触が、スズカの中で響き続けていた。

 

 

 

しばらく経った後。

松葉杖の音と共に、沖埜が特別病室に現れた。

 

彼の右脚にはスズカの左脚と同じように包帯が巻かれていた。

「…。」

スズカは思わず眼を逸らした。

 

沖埜は、担当医師と数言会話を交わした後、彼女と代わる形でベッドの傍らの椅子に腰掛けた。

病室内は再び、スズカと沖埜の二人きりになった。

 

 

「…どうして、助けたんですか。」

手元に視線を落としつつ、スズカは力が尽きたような口調で沖埜に尋ねた。

「言ったろ、お前に生きてて欲しいからだと。」

沖埜の紅くなった秀麗な瞳は、スズカを真っ直ぐ見つめていた。

「もしかしたら、トレーナーさんも死んでたかもしれないんですよ。」

「自分の命を懸けても、私はお前を助けたかった。それだけだ。」

「こんな、私の為に?」

 

「こんななんて言うな。」

沖埜は脚を引きずってスズカに身を寄せ、彼女の身体を胸にそっと抱き締めた。

「お前は私の大切な、かけがえのないウマ娘だ、サイレンススズカ。」

 

沖埜の胸は暖かかった。

久しく感じていなかった無償の愛情とぬくもりがそこにあった。

「…う…うっ…うっ…」

沖埜の胸に顔を埋めたまま、スズカは泣き出した。

拭っても拭っても、涙が止まらなかった。

 

 

 

しばらく経った後、沖埜はゆっくりとスズカを身体から離し、担当医師を呼んでスズカを車椅子に乗せた。

「どこに行くんですか?」

スズカの尋ねに、沖埜は答えた。

「俺たちを助けてくれたライスシャワーのもとに行く。」

 

ライス先輩…

スズカの脳裏に、自分の腕を掴み止めたライスの腕の感触と、蒼芒を撒き散らした彼女の眼光が蘇った。

「…はい。」

スズカは、眼を瞑って頷いた。

 

 

沖埜とスズカは、医師に付き添われて特別病室を出た。

 

 

エレベーターに乗り、途中の階で降り、暗い廊下を進んでいる途中、

「ちょっといいか。」

沖埜が脚を止めて医師を遠ざけ、廊下にあるベンチに腰掛けるとスズカに言った。

「先に、話すことがある。」

「なんでしょうか。」

「ライスの…ことだ。」

 

…?

沖埜の口調が僅かに震えていることに、スズカは気づいた。

「…ライス先輩が、どうしたんですか?」

「先程、椎菜医師から伝えられたのだが…ライスは、ライスシャワーはな…。」

 

言葉を絞り出す沖埜の声が、暗い廊下に静かに聞こえていた。

 

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