屋上を後にしたスズカは、そのまま特別病室のベッド上に戻された。
沖埜やスペはそれぞれ身体の治療の為特別病室には戻らなかった。
スズカの状態を医師達が検査した後、担当医師が彼女の見張りにあたった。
「先生…」
ベッド上に半身起こした姿勢で横になっていたスズカは、茫然自失状態のまま、担当医師に尋ねた。
「スペさんの状態は、大丈夫なのでしょうか…。」
「スペは別室で寝かされているみたいだわ。状態には特に異常もなかったから安心して。」
「沖埜トレーナーの状態は…。」
「沖埜トレーナーは、脚の手当てを受けてるわ。」
担当医師は僅かに顔を顰めた。
固い扉を強引に壊した代償で、沖埜の脚が砕けた可能性が高いと報告を受けていた。
「かなりの重傷みたいだけど、命に別状はないから安心して。彼は人間だから。」
「…。」
スズカは一度シーツに顔を伏せ、それから窓の外に眼をやった。
彼女の表情は、まだ茫然自失のままに映った。
医師は何も声をかけず、ただ彼女の様子をじっと注意深く見守り続けていた。
帰還、出来なかった。
スズカの眼は、夜空に煌めく蒼月へ向けられていた。
覚悟も決まっていた。
こうするしかないと、絶望は避けられないと決まっていたのに。
もう私は生きていけるわけなどないと、分かっていたのに…
『お前に生きて欲しいんだ!』
『生きてくれ!』
全身の力が抜け落ちたような状態の中、沖埜の叫びと彼が溢した涙の感触が、スズカの中で響き続けていた。
しばらく経った後。
松葉杖の音と共に、沖埜が特別病室に現れた。
彼の右脚にはスズカの左脚と同じように包帯が巻かれていた。
「…。」
スズカは思わず眼を逸らした。
沖埜は、担当医師と数言会話を交わした後、彼女と代わる形でベッドの傍らの椅子に腰掛けた。
病室内は再び、スズカと沖埜の二人きりになった。
「…どうして、助けたんですか。」
手元に視線を落としつつ、スズカは力が尽きたような口調で沖埜に尋ねた。
「言ったろ、お前に生きてて欲しいからだと。」
沖埜の紅くなった秀麗な瞳は、スズカを真っ直ぐ見つめていた。
「もしかしたら、トレーナーさんも死んでたかもしれないんですよ。」
「自分の命を懸けても、私はお前を助けたかった。それだけだ。」
「こんな、私の為に?」
「こんななんて言うな。」
沖埜は脚を引きずってスズカに身を寄せ、彼女の身体を胸にそっと抱き締めた。
「お前は私の大切な、かけがえのないウマ娘だ、サイレンススズカ。」
沖埜の胸は暖かかった。
久しく感じていなかった無償の愛情とぬくもりがそこにあった。
「…う…うっ…うっ…」
沖埜の胸に顔を埋めたまま、スズカは泣き出した。
拭っても拭っても、涙が止まらなかった。
しばらく経った後、沖埜はゆっくりとスズカを身体から離し、担当医師を呼んでスズカを車椅子に乗せた。
「どこに行くんですか?」
スズカの尋ねに、沖埜は答えた。
「俺たちを助けてくれたライスシャワーのもとに行く。」
ライス先輩…
スズカの脳裏に、自分の腕を掴み止めたライスの腕の感触と、蒼芒を撒き散らした彼女の眼光が蘇った。
「…はい。」
スズカは、眼を瞑って頷いた。
沖埜とスズカは、医師に付き添われて特別病室を出た。
エレベーターに乗り、途中の階で降り、暗い廊下を進んでいる途中、
「ちょっといいか。」
沖埜が脚を止めて医師を遠ざけ、廊下にあるベンチに腰掛けるとスズカに言った。
「先に、話すことがある。」
「なんでしょうか。」
「ライスの…ことだ。」
…?
沖埜の口調が僅かに震えていることに、スズカは気づいた。
「…ライス先輩が、どうしたんですか?」
「先程、椎菜医師から伝えられたのだが…ライスは、ライスシャワーはな…。」
言葉を絞り出す沖埜の声が、暗い廊下に静かに聞こえていた。