1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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祝福の最期(2)

 

*****

 

「ライス!」

 

最期を悟ったライスの言葉を聞き、美久が側に駆け寄って彼女の腕を掴んだ。

「今すぐ治療を受けよう!まだ間に合う筈だわ!まだ、まだ諦めちゃ駄目!」

「…ううん、もういい…」

「何言ってんの!?まだあなたは生きれる筈だわ!お願いだから!」

 

「美久、」

口元の血を拭いつつ、泣いて懇願する親友の腕をライスはそっと止めた。

「もう…私も限界なの。どうか、この顔が苦痛で歪む前に、笑顔で逝かせて…」

「ライス…。」

ライスの腕を掴んだまま、美久は泣き崩れた。

 

 

「…。」

ライスの言葉を聞き、ブルボンは意を決したように、眼を瞑って震えを堪えながら携帯を取り出した。

「…もしもし、椎菜医師ですか。あの……あ、もう準備を…では、こちらで…」

連絡を終えると、携帯を持ったままブルボンはライスを見た。

「椎菜医師がもう準備をされていたとのことで…間もなくこちらに来られます。」

 

「ありがとう、ブルボンさん…。」

ブルボンの言葉に、ライスは静かに微笑んだ。

 

その、夜空と同じような澄み切った笑顔を見て、ブルボンの心の壁が崩れた。

「…。」

ブルボンはがっくりと膝をつき、両手で顔を覆った。

涙を必死に堪え、身体を震わせて。

 

 

 

*****

 

 

『ピリリリリ…』

 

…?

メジロ家の屋敷。

就寝していたマックイーンは、枕元のスマホの通知音で目が覚めた。

 

通知はブルボンからだった。

何かしら、こんな夜遅くにくるということは…

ベッドから身を起こし、緊張に身体を硬らせながら、通知の内容を読んだ。

 

『ライスの脚が限界を迎えました』

 

「え…?」

マックイーンの手からスマホが落ちた。

 

通知を見て一瞬凍りついたマックイーンはすぐにスマホを拾い上げ、ブルボンに電話をかけた。

 

『…もしもし』

「ブルボン。今の通知は…間違いですよね?」

『本当…です』

ブルボンの声は震えていた。

悲嘆を堪えているその口調が、事実を示していた。

 

「何で…一体何が?」

涙声になったマックイーンは尋ねた。

まだ限界までは一週間はあった筈…こんな突然終わりがくることなどありえない。

『ライスは…サイレンススズカを救けたんです。』

「スズカを救けた…?」

『はい…帰還しようとしたスズカを…』

 

ブルボンは、先程起きた事の一連を全て話した。

 

『スズカの危機を直感したライスは現場へ急行し、そして間一髪のところでスズカを救いました。その限界を越えた行動によって、ライスの脚は…』

ブルボンの言葉が涙で詰まり聞こえなくなった。

「…今、ライスは…?」

『椎菜医師から、最後の検査を受けています。このまま屋上で…安楽帰還の執行を受けるかと…』

 

「…っ」

マックイーンは寝巻き姿のまま部屋を飛び出した。

無我夢中で屋敷の廊下を駆けて、屋敷の外へと飛び出した。

 

転がり出るように表に出ると、外は煌々とした蒼月と一面の星空が広がっていた。

ライス…

屋敷の庭に茫然と立って夜空を見上げ、マックイーンの唇から言葉にならない声が洩れ出した。

「ライス…ライスシャワーっ…」

声を洩らしながら、マックイーンの膝が地面に崩れ落ちた。

同時に彼女の翠眼から、涙が滝のように溢れ出した。

 

 

*****

 

 

『ライス…ライスっ…』

 

電話の向こうから聞こえてくるマックイーンの嘆きを、ブルボンは屋上の入り口前で、湧き上がる嘆きを堪えながら聞いていた。

「…うっ…うっ…ライス…」

ブルボンの傍らには美久が、こちらも顔を覆った両手から涙を零し、肩を震わせて床に崩れ落ちていた。

ライス…

ブルボンは屋上の内に眼を向け、椎菜ら医師の検査を受けているライスの姿を見つめた。

もう安楽帰還の執行をされるのだろうか…

それを阻止しようと動きかねない自分の心を、歯を食い縛って懸命に制止させつつ、ブルボンは座り込んだ。

 

 

 

「粉砕骨折と開放脱臼の再発…」

屋上内。

ブルボンと美久を退がらせてライスの検査を行っていた椎菜は、その検査結果をライスに伝えた。

「もう、快復の可能性はありません。」

 

「…。」

沈痛な面持ちで伝えた椎菜に対し、ライスは静かに頷くと、夜空に視線をやった。

「では、処置をお願いします。」

「ここで?」

「ええ、ここで…」

蒼月を仰ぐライスの表情は、澄んだ微笑が浮かんだままだった。

 

「分かったわ…」

椎菜は持ってきた鞄から用具を取り出し、その準備を始めた。

ライスは少しも表情を動かさず、その準備が終わるのを待っていた。

 

 

やがて、その準備が完了した

美久は用意した注射を片手に、ライスに向き直った。

「心の準備は…大丈夫?」

「はい。もう3年半前から、覚悟は出来ていました。」

ライスは、微塵にも恐れのない表情と口調で、静かに頷いた。

 

「では…」

椎菜は、ライスの細い腕を手に取り、袖を捲った。

そして露わになった上腕部に、注射器の針を当てた。

 

「…。」

だが針を当てたまま、椎菜はそれを射つことが出来なかった。

彼女の注射器を持つ手は、小刻みに震えていた。

 

「椎菜先生?」

「ごめん、少し時間を頂戴…。」

椎菜は耐えきれないように声を洩らすと、ライスの腕を離した。

これまで何百回と安楽帰還の処置を淡々と執行してきた彼女でも、今回ばかりはそれは出来なかった。

 

「…はい、待ちます。」

ライスは微笑を絶やさずに了承し、再び視線を夜空へ向けた。

「ごめん…」

椎菜は両膝を抱えて顔を埋め、溢れそうな悲嘆を必死に堪え、心を落ち着かせようとした。

 

 

 

そして、数分後、

 

「…。」

椎菜は顔を上げて一度夜空を仰ぎ、大きく息を吐くと、決心を固めたようにライスに向き直った。

「待たせたわ。では…」

「…はい。」

ライスは自ら袖を捲り、腕を差し出した。

 

椎菜はその腕を手に取り、注射器の針を当てた。

もう腕は震えてなかった。

 

 

そして、躊躇わずにそれを射った。

 

 

強く冷たい寒風が、大きな風音とともに屋上に吹きつけた。

 

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