1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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『第7章・上』
オフサイドトラップ回想録(4)


 

4年生の6月。

 

ナリタブライアンは〈死神〉こと『クッケン炎』を発症し、療養施設での生活を始めた。

病室は昨年の故障の時と同じく私と一緒だった。

 

療養生活を始めたものの、ブライアンは目に見えて消沈していた。

走りを失いかけた故障からようやく復活しつつある中で〈死神〉に侵食された彼女の無念はどれほどのものか、想像するだけでも私は胸が潰れそうだった。

 

それだけでなく、今後の去就についてもブライアンは苦悩していた。

彼女は既にウマ娘史に残る偉大な足跡をレースに残したウマ娘。

その立場にありながら、これ以上現役に固執していいのか。

三冠ウマ娘の名誉を下げてしまうようなことにならないか。

ブライアンの懊悩は、日増しに濃くなっていった。

 

そんなブライアンに対し、私はただ一緒に闘病に励むことしか出来なかった。

他の闘病仲間に対しては諦めないよう鼓舞しているけど、ブライアンに対してはそれは簡単に出来なかった。

ブライアンはもう引退後に道も拓けているし、それに何よりレースの覇者としての責任も背負っている。

レースで無実績の私には、覇者の苦悩など心底から分かる訳がない。

だから、ただ闘病に励む姿を彼女に見せることしか出来なかった。

ブライアンの去就の相談相手は、岡田トレーナーや覇者の仲間入りをしたサクラローレルに任せた。

正直、もどかしかった。

苦悩が深くなっていくブライアンの姿を見て、私は自分の無力さを恨んだ。

 

そうした日々を送っていくうち、私はブライアンの心が固まりつつあることに気づいた。

それは、内心で私が望んでいないものだということを薄々感じた。

でも、私は何も言わなかった。

いずれ、ブライアンは私にもそれを打ち明ける。

その時にどう答えるか、それだけを考えていた。

 

 

そして、ブライアンが療養生活を始めて一月程経った日の夜、彼女は私にその決断を打ち明けた。

『引退』の決断を。

 

私はそれを受け入れた。

そこに至るまでのブライアンの心中の葛藤や苦しみを考えれば、その決断にあれこれ言うことなど出来なかった。

私に出来たのは、ただブライアンを労わることだけだった。

でも、やっぱり涙だけは堪えられなかった。

私にとって最大の憧れで夢のような存在だった彼女がこんな形でレースを去ることになるなんて…思ってもなかったから。

 

 

ブライアン引退後、私は後輩のホッカイルソーと共に脚の治療を続けた。

かけがえのない盟友の引退は悲しかったけど、それで心が折れることはなかった。

寧ろ、絶対に〈死神〉に打ち克ってやる…いや、これ以上ない敗北を与えてやると復讐を誓った。

 

私が〈死神〉との闘いを始めて既に2年、その間百人以上の同胞が〈死神〉に脚を奪われ絶望に叩き落とされた。

その中には偉大な先輩も数多くいた。

そして遂には、私にとって最も大切な同胞までもが〈死神〉の餌食にされた。

 

もう、これ以上我慢出来る訳がなかった。

絶対に〈死神〉を許すものかと心に固く誓い、私は復活へ向かっての闘いを続けた。

不屈を貫き復活することが〈死神〉への最大の復讐だと信じて。

 

 

そして月日は流れ、11月。

私はおよそ1年近く脚に纏わりついた〈死神〉を撃退し、レースに帰ってきた。

 

3度目のカムバックは学園4年目の年末を迎えていた。

ウマ娘にとって最も大切とされる歳月をほぼ全て〈死神〉との闘いに費やし、もはや老兵と見られておかしくない年齢でのカムバック。

もう私のことなど忘れていたという人が多かっただろう。

だけど、私は諦めなどしなかった。

諦めなかったから、このターフに帰ってきたんだ。

それに私は一人じゃない。

チーム仲間、トレーナー、そして私に不屈を見せつけた盟友サクラローレルが側にいてくれた。

引退したブライアンも、私の復活を信じてくれた。

かけがえのない同胞の支えで、私は恐らく最後になるだろうレースへの闘いに入った。

 

 

復帰第一戦はOP戦4着、続くレースもOP戦で2着。

勝ちはつかなかったけど走れる手応えははっきりと感じた。

今度〈死神〉が再発症したらそれが私の最期…その恐怖の中で復帰2戦を危なげなく走れた。

大丈夫だ、走れる。

そう心を奮い立たせた。

 

この年はこの2戦で終えた。

来年は5年生、恐らく栄光を掴めるラストチャンスの年齢だろう。

絶対にそれを手にすると私は信じて、4年目を終えた。

 

私が復帰した一方で、サクラローレルは秋天こそ悔しい敗北を喫したが有馬記念では見事な走りで完勝し、年度代表ウマ娘の称号を手にした。

私以上の絶望の淵から生還し頂点に君臨する盟友の姿には私はこれ以上ない程に勇気つけられた。

 

他のチーム仲間は、フジヤマケンザン先輩は夏に引退し、後輩のフサイチコンコルドも菊花賞の後に引退した。ホッカイルソーは〈クッケン炎〉の闘病を続けていた。ロイヤルタッチはタイトルにこそ恵まれなったけどG1で好走を続けた。ステイゴールドは残念ながら2戦2敗。サイレンススズカは来年デビューとなった。

チームの柱だった仲間が次々と学園を去ったものの、『フォアマン』は依然存在感を見せつけていた。

 

 

 

 

明けて、5年目。

私は1月から始動した。

 

緒戦は2年ぶりの重賞レース(アメリカJC杯)に出て、結果は4着だった。

やや長い距離だったが好走出来たことでまた手応えを掴んだ。

 

更に2月にも再び重賞レース(東京新聞杯)に出走、初めて重賞で3着に入った。

成績も内容も明らかに良くなってきていた。

やれる!私はまだやれるんだ!

次々に手応えを感じる中で私はそう思った。

 

 

だけど、その後のある日のトレーニング中、私は脚に痛みを覚えた。

それは〈死神〉再発症ではなかったが、長年それに蝕まれていた脚が徐々に限界に近づいてきていることの前兆だった。

時間はもうあまり残ってないんだな…

そう感じた。

 

周囲が心配する中、私は痛み止めを飲んで次のレースに挑んだ。

 

3月の重賞(中山記念)。

私は勝てる自信を持って出走した。

だけど結果は2着。

着順は上がったけど、勝利を目指した私にとっては嬉しくなかった。

勝たなければ復活とは言えないし、栄光への扉も開かれないのだから。

 

しかし翌月の重賞(ダービー卿チャレンジ)もまた2着。

脚の痛みが段々強くなる中で、必死に走ったのに勝てなかった。

 

更に翌月、私は勝ち星を手にする為に挑んだOP戦で1番人気に推されながら3着敗退。

この敗戦は堪えた。

上がっていった筈の成績や手応えがピタリと止まり、逆に下がっていく。

この現実程苦しいものはなかった。

 

周囲には、復帰後の私の成績を善戦、奮戦していると称賛する者も多くいた。

確かに私のこれまでや脚の状態を考えれば、それを受ける類の成績かもしれない。

でも私が求めていたのはそれじゃない。あくまでも勝利、そして栄光だ。

それ以外はいらない。

そこまでいかなければ〈死神〉への復讐にならないし、愛するブライアンの無念を晴らしたことにならないのだから。

 

 

でも、成績の下降が私の心を蝕み始めたと同時に、憎い〈死神〉が再び顔を出し始めていた。

脚の痛みが徐々にその色彩を帯びていく。

ふざけるな、負けるか…

強くなっていく絶望に抗って、私は痛み止めを口に飲み込み、5月末の重賞(エプソムC)に挑んだ。

勝ちさえすれば、脚の痛みも絶望も消える筈だ!

 

しかし待ち受けていた結果は、復帰後初の掲示板外(6着)という惨敗だった。

 

無残な結果に打ちひしがれる中、私は脚の痛みがそれになったことに気づいた。

終わったか…

もう、笑うしかなかった。

 

 

5年生の5月末、私は3度目の〈クッケン炎〉を発症した。

 

〈続く〉

 

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