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場は変わり、療養施設。
マックイーンとの電話を終えた椎菜は、学園に向かう支度をしていた。
この日の医務は後輩の医師達に任せることにしていた。
支度を終えた椎菜は医師仲間達に挨拶した後、沖埜と会った。
「留守中の間、施設を宜しくお願いします。」
療養ウマ娘の精神状態が非常な危機の寸前にある現在、沖埜の存在は非常に重要だった。
「ええ、こちらは私達がなんとか支えます。渡辺先生もお気をつけて。」
「はい、では。」
沖埜の言葉に椎菜は頷き、施設を後にした。
施設の外にはメジロ家の車両が待っていた。
椎菜はそれに乗り込み、学園へと向かった。
遂にこの時が来たか…
学園へ向かう道中、椎菜は車窓から遠ざかっていく高原の景色を眺めていた。
まだ30歳過ぎの彼女だが、ウマ娘専門医師としての経歴は既に10年余りの歳月を重ねていた。
そしてその歳月の全てが、ウマ娘の命と濃く関わりあっていた。
椎菜はウマ娘と関わりの深い家庭に生まれた。
その為幼少期からウマ娘を取り巻く問題のことを多く知っていた。
自然と、その問題を解決しウマ娘達を幸せにしたいという夢を抱くようになった。
そして志したのがウマ娘専門医師だった。
しかし、ウマ娘専門医師となった椎菜が直面したのは、どうしようもない現実の連続だった。
特に〈クッケン炎〉という死神のような故障の恐ろしさは彼女の想像を超えていた。
その病に冒されたウマ娘達が絶望のどん底に突き落とされ、次々と心折れ全てを諦めていく。
その現実に椎菜は戦慄し、そしてそんなウマ娘を救い出す為に〈クッケン炎〉の治療に尽力すると決めた。
それ以後は、心折れそうな事の連続だった。
どのような治療を施そうとも〈クッケン炎=死神〉という不治の病の牙城は固かった。
椎菜が日々眼にしたのは、治療の痛苦に悲鳴をあげるウマ娘達、治療に疲弊し衰弱していくウマ娘、そして心折れゆくウマ娘達。
治療を乗り越えたウマ娘は数十分の一にも満たなかった。
そしてその数十分のですら、満足に走れずレースを去る者と〈死神〉再発で再び戻ってくる者が多かった。
〈死神〉を乗り越えてレースで輝いた者はどれくらいいただろう。
椎菜はふと指折り数えた。
メジロライアン、カリブソング、ダンツシアトル、そして今回のオフサイドトラップ…
そのぐらいしかいなかった。
それでも、例えレースで輝けなくても、復帰出来なくても、引退後の余生を無事送れたのなら幸せだ。
しかし、それに恵まれたウマ娘も果たしてどれくらいいただろう。
椎菜の脳裏に浮かんだウマ娘は数少なかった。
浮かぶのは、追い詰められて帰還を選択するウマ娘の姿と、その執行をする自分の姿ばかりだ。
帰還執行の場に初めて立ち会ったのは、医師になって数ヶ月程経った頃。
先輩医師が執行するのを傍らで補佐した。
淡々と無感情で執行する先輩医師と、悲しみを押し殺してそれを受けるウマ娘。
そして、事切れて冷たくなったウマ娘の遺体。
この世界の負の部分を初めて目の当たりにしたその時の衝撃は永遠に消えないくらい脳裏に焼き付けられた。
椎菜はショックのあまり医師を辞めることも一時は考えた。
でもウマ娘を幸せにするという夢を思い出し、この現実と闘わなければと自分を奮い立たせた。
それから十数年。
前述のように、その夢は過酷な現実の前に泡沫の夢のまま。
椎菜が救えたウマ娘より、彼女の手によって帰還させたウマ娘の数の方が遥かに多かった。
帰還執行を行える医師は椎菜以外にもいるが、彼女は自ら希望してそれを数多く執行してきた。
それは彼女のウマ娘に対する懺悔であり、救えなかったウマ娘のことを絶対に忘れない為でもあった。
200人以上か…
椎菜は自分の手によって帰還したウマ娘の数を数えていた。
その一人一人の記憶が椎菜の脳裏に焼き付いてる。
殆どが〈クッケン炎〉などの不治の病に冒されたウマ娘だった。
病室仲間で支えあいながら闘病していた3人組。
親友以上の仲にあった先輩後輩。
闘病を共にしたチーム仲間。
〈死神〉と恐れられる病に対し、気丈に抗っていた彼女達が徐々に心折れ、あの地下室での終焉を受け入れていく様は忘れようたって忘れることなど出来ない。
「…。」
椎菜は持参していた鞄から一冊のノートを取り出した。
そのノートには、自身が帰還執行に初めて立ち会った時以後に最期を迎えたウマ娘達の記録が記されていた。
オフサイドトラップと同じく椎菜もそれを書き残していたのだ。
ノートを捲りながら、椎菜はそこに記された何人かのウマ娘の最期を思い返した。
あるウマ娘は最期まで無言のまま帰還した。
あるウマ娘は親友への謝罪を口にしながら逝った。
あるウマ娘は執行を受けてから還りたくないと泣きながら力尽きた。
そしてまた、あるウマ娘は最期の最期で自分の胸を掴んで問いかけてきた。
『私はいらないウマ娘だったの⁉︎』と。
…いらないウマ娘なんて一人もいない。
問いかけたウマ娘に椎菜はそう返したかった。
でも答えられなかった。
無言で、その眼を見つめ返すことしか出来なかった。
そのウマ娘は、自分の胸ぐらを掴んだまま生を終えた。
終えた直後、自分の胸を離れた彼女の腕が落ちた鈍い音は未だ耳に残っていた。
椎菜はノートを閉じ鞄にしまうと、目元に指を当て眼を瞑った。
ウマ娘達の悲しみの声とそれを目の当たりにしてきた自分の思いはこれまでずっと封印してきた。
でも、今となっては出さなければいけない。
ウマ娘達が負の部分を公にする決意を固めた。
ならばその負の中心にいる自分も表に出なければならなかった。
無論、自分とウマ娘は立場が違う。
恐らく表に出たことで、自分は人間・ウマ娘双方から責めを受けることになるだろう。
構うものか。
自分の手でウマ娘を救うことが出来なかった自分は責められて当然だ。
それでも、自分にしか届けられない声は届けなければ。
椎菜は再び鞄を取り、中から一枚の書類を出した。
それは今朝マックイーンから渡された、記者会見の内容が記された書類。
内容の凄まじさには流石に驚いたが、椎菜は反対しなかった。
…ライスシャワー、これでいいんだよね?
書類を見ながら、椎菜の脳裏に昨晩旅立った祝福のウマ娘の姿が浮かんだ。
誰よりもウマ娘の幸福を願い、人間との共生を夢見ていたウマ娘。
絶望的な現状に何度も直面しながら最期まで逃げなかったウマ娘。
彼女は命尽きるまで闘い続けた。
闘うことの意味をライスは証明した。
だから、私も闘う。
閉ざされた世界の扉をこじ開ける為に。
そしてその結果、叶うならば、今誰よりも救われて欲しいウマ娘・オフサイドトラップに、自分の思いが届いて欲しい…
車窓から外の風景を眺めながら、椎菜はそう祈っていた。