1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉のウマ娘(2・オフサイドトラップ回想話)

*****

 

一方その頃。

 

別荘を発った一台のメジロ家の車両が、傾き始めた陽が照らす道路を走っていた。

その車両には、オフサイドの姿があった。

彼女はメジロ家の使用人以外には誰にも知らせず別荘を発っていた。

 

 

限界が近いのか…

車両の座席に座りながら、オフサイドは胸と脚に手を当てて、自らの状態を思った。

さっきのビワとのやり取りの最中でも、心があわや堪えきれない状態になっていた。

 

もう私は、誰とも会わない方がいい。

ビワと会った後にそう思ったオフサイドは、美久と会う約束を反故にし、急遽別荘を発った。

岡田にも伝えずに発った。

躊躇したら最後、抑えている〈死神〉が溢れ出そうだったから。

 

 

ふー…

オフサイドは一度大きく深呼吸をすると、抑えていた箇所から手を離し、ゆったりともたれて眼を瞑った。

彼女の心身を完全に蝕んだ〈死神〉の苦痛と絶望は、もはや自我を失いそうな程凶悪なものに変貌していた。

脚に巣食った『クッケン炎』の〈死神〉もそうだが、あの天皇賞・秋の後、心に巣食った『負』の〈死神〉が、あまりにも強大だった。

 

全て、この私の責任であり、そして受けるべき報いだ…

心の苦痛を堪えながら、オフサイドは懺悔の思いに満ちていた。

私と共に闘ってくれた幾千万の同胞の魂を、私は〈死神〉に変えてしまったのだから。

 

ごめん、みんな…

オフサイドの脳裏に、これまでの闘いの日々の記憶が思い起こされていた。

 

 

 

***

(オフサイドトラップ回想)

 

 

3年生の春。

2度目のクッケン炎に冒された私は、夢も何もかも諦めた。

だけどその諦めは、私に続いて故障に見舞われた盟友のサクラローレル・ナリタブライアンを前に打ち消され、無謀で途方もない闘いに挑む決心へと変わった。

 

〈死神〉と恐れられるクッケン炎。

生還率は数%しかないこの病を相手にどう闘えばいいのか。

抗いようのない絶望感が漂う中、私は必死に模索した。

そして導き出した答えが、“〈死神〉と闘う同胞の想いを全て背負う”だった。

 

2年生時に〈死神〉に罹って以降、私は闘病を共にしてきた同胞達が何人も〈死神〉に敗れていく様を見届けてきた。

中には、無実績ゆえに帰還せざるを得ない者もいた。

療養中に親しくなった同胞も、何人も帰還した。

怪我に敗れた者、病に敗れた者、まるで枝から落ちる枯れ葉のように、儚く散っていく。

希望も願いも祈りも叫びも、〈死神〉の前では虚しく響いて消えていくだけだった。

 

私は、帰還した同胞のことはあまり考えないようにした。

はっきり言って、考えることが怖かった。

どれだけ必死に闘病したとしてもいずれ自分もそうなってしまうのではという、諦めと絶望が怖かったから。

 

だけど、それじゃ駄目だと思った。

〈死神〉に罹ったが最後、絶望と窮地の果ての帰還という可能性からは絶対に逃げられないのだから。

どうせ逃げられないのならば、いっそその絶望の現実と真っ向から向き合ってやろうと、私は決心した。

そう、あの終焉の地下室との現実とも。

 

当然、私の考えは周囲から反対された。

チームの岡田トレーナーからも、リーダーのケンザン先輩からも、〈死神〉の闘病を共にしていたマイシンザン先輩からも強く反対された。

絶望の現実とまともに向き合うのは心が折れる危険性が大でとても耐えられない、絶対にやめるべきだと、私は周囲から諭された。

 

でも、私の決心は動かなかった。

このまま何もしなければ、いずれは絶望が待ち受けているのが分かっているんだ。

ただ遅いか早いかの違いでしかない。

それなら、例え危険だろうと無謀だろうとあがけるだけあがいてやるんだと。

それで心が折れたら、私はその程度のウマ娘だったということだけなのだから。

 

それに、私には心が折れない自信があった。

だって、私は一人じゃなかったから。

私のすぐ側に、私以上の絶望と闘うローレルとブライアンがいた。

このかけがえのない二人が、私の決心を受け入れてくれた。

そのことが、何よりも大きな心の支えになった。

 

 

決心を固めた後。

私は、重度の〈死神〉と闘う同胞と接する機会を増やした。

病症の重い同胞は、多くが心を徐々に折られて〈死神〉に敗れていく。

私は、その心が折れないように彼女達を支え励ました。

再び〈死神〉の魔の手に罹ったとはいえ、私は一度は復活した身だ。

諦めないこと・希望を持つことの大切さを説いて、闘病する自らの姿を見せて、病症仲間達の心を支えようと頑張った。

 

でも、どんなに希望を説いても、どんなに闘病を共にして支えようとも、現実は果てしない絶望が待ち受けていた。

脚も未来も希望も、その全てを〈死神〉は容赦なくウマ娘から奪い去っていく。

私が必死に支えようとした同胞も、力及ばず次々と絶望に飲み込まれ、諦めていった。

そしてその中には、あの地下室を余儀なくされる者も多かった。

 

私は、帰還していく同胞達のその最期を、あの地下室で看取り続けた。

看取らねばならなかった。

〈死神〉に敗れた同胞の無念を背負う為に、〈死神〉に打ち克つ為に。

 

悲嘆の中で帰還していく同胞達を看取ることは、本当に苦しく悲しかった。

同胞の最期の言葉や姿が脳裏に爛れるように焼き付き、心が何度も折れかけた。

無意識に自分が地下室に行きかけることもあった。

 

それでも、私は絶対に逃げなかった。

〈死神〉に散った全て同胞の魂を背負わない限り〈死神〉を破ることは出来ないと、心を決死に奮い立たせた。

 

 

 

…それから数年。

ローレルの復活やブライアンの引退など時と共に周囲が変わっていく中、私は〈死神〉相手に闘いを続けていた。

ブライアンの競走生命をも奪った〈死神〉への思いが復讐心にまで膨れあがる中、3度目の復帰を果たした私は復讐を果たそうと必死にレースを走り続けた。

だけど栄光を掴めぬまま、5年生の5月末、私は3度目の〈死神〉を発症した。

それは事実上、私の完全敗北を意味していた。

 

 

 

***

 

…私は、完全に心が折れかけていた。

メジロ家の車両。

眼を瞑りながら過去を回想していたオフサイドは、口元で呟いた。

 

…3度目の発症が明らかになった時、私自身、はっきりとそう感じた。

それまでの発症時は悔しさや悲しさが込み上げていたがこの時はそれすらなく、ただ乾いた笑顔しか浮かべられなかった。

昨年末から今にかけて、栄光への最後の機会だと覚悟して挑んだ半年8戦の闘いでは、復活の勝利すら挙げることも出来なかった。

悔しさも通り越した、乾いた空虚な感情しか出なかった。

 

3度目の〈死神〉発症を受け、私は内心で引退を決意した。

既に5年生という高齢、乏しい実績、何より3度目となる〈死神〉を発症した脚の限界などを顧みれば、引退の選択はやむを得ない状況だった。

 

チームの岡田正貴トレーナーも、私の意志が引退に固まっていることを察していた。

トレーナーは引退後の私が無事に余生を送れるよう、出来る限りの尽力を四方八方にしていた。

私が血統的には少々良い点もあったからか、余生を得られる可能性は充分高いらしかった。

 

だけど、私はそんな岡田トレーナーに感謝しつつも、余生を送ろうという思いはなかった。

私の心にあったのは、打倒〈死神〉を誓った同胞達への贖罪意識。

必ず復活してくれると信じた同胞達の願いは到底叶えられなかった。

生きながら得るに相応しい実績も評価も挙げられてない。

凡庸な実績と血統のアドバンテージだけで残りの余生を得ることなど、出来るわけがなかった。

 

 

私が引退を考えているということは、療養施設の方にも伝わっていた。

闘病を共にした仲間達は、それを受け入れてくれてるようだった。

皆、〈死神〉に敗れた私を、ここまでよく頑張ってくれたと称えてくれた。

恐らく復帰中に挙げたささやかな実績によって、自分が余生を送れる可能性が高いと思っていたのだろう。

それだけでも勇気つけられたと闘病仲間達は感謝しているようだった。

ただ、闘病中のチーム仲間ホッカイルソーと医師の渡辺椎菜先生は、私が余生を選択しないかもしれないという不安を抱いているらしかった。

私は二人に申し訳ないと思いつつも、闘病仲間達の未来を託すしかなかった。

 

闘病仲間だけでなく、チーム仲間達も私の決意を薄々と感じとっていた。

後輩達は悲しみながらもそれを受け入れようとしているようだった。

サイレンススズカやステイゴールドも。

後輩達は皆優秀なウマ娘で、彼女達の未来の為にもこれ以上私ごときがチームの脚を引っ張るわけにはいかないという思いも心のどこかにあった。

だが彼女達にも、自分のが余生を送る気などないことまでは悟られる訳にはいかなかった。

 

 

私の引退はほぼ決定しつつあった。

だけどその私の決意を、断として阻もうとする同胞がいた。

 

サクラローレルとナリタブライアン。

同期のチーム仲間であり、かけがえのない無二の盟友であるこの二人が、私の決意の前に立ちはだかった。

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