1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉のウマ娘(4・過去話)

 

「まだ言うの?」

オフサイドは憐れむような眼で、ローレルの瞳を見つめ返した。

「じゃあ聞くわ。私が闘い切ってないと言える、その根拠は一体何なの?」

 

「決まっています。」

オフサイドの問いかけに、ローレルは即座に答えた。

「あなたが稀有な、特別な素質を持ったウマ娘だからです。」

「稀有な素質?」

「ええ、史上でも類のない、強靭な『不屈』の素質です。」

 

「…何それ。」

ローレルの返答に、オフサイドは呆れたように吐息を洩らした。

もっと論理的な返答が来るかと思ったら、ただの感覚じゃないか。

 

「『不屈』、ねえ。そういうのはね、偉大な実績を残したウマ娘だけが語られる資格があるのよ。」

オフサイドは濡れた前髪に触れながら言った。

「タニノチカラ先輩やホウヨウボーイ先輩のように、再起不能の故障から栄光を手にした同胞ならその言葉に相応しいわ。勿論あなたや、ダンツシアトル先輩もね。でも私は全然違うわ。」

相次ぐ故障で栄光はおろか、その舞台にすら届いていない。

どこに不屈の要素があるのだろう。

 

「それはその通りです。あなたはまだ栄光に向かう途中なのですから。」

「はあ?」

「でも、あなたは間違いなくその栄光に辿り着ける素質があります。〈死神〉も、年齢も、連敗も、常識ならとうに限界であるはずのそれらを全て乗り越えて。」

呆れているオフサイドに対し、ローレルは心の底からそう信じているように言った。

 

「もういいよ。」

オフサイドはローレルから眼を背けた。

「どうやら、あなたはただ私に引退して欲しくないから、無理やり理由を探して引き留めようとしているようね。」

 

「…。」

吐き捨てるように言ったオフサイドの言葉に、ローレルの表情が引き攣った。

その表情を見、オフサイドは言葉を続けた。

「あなたの気持ちはよく分かる。私を復活させたいという思いも、本当のことを言えば嬉しいわ。でも、もう現実は厳しいの。そんな感覚的な言葉では到底変えられない程にね。」

 

 

「感覚的…」

ローレルは雨空を仰ぎ、一度深呼吸した。

それから、今までと違う異様に重い口調で言った。

「帰還寸前の重傷を乗り越えて年度代表馬ウマ娘の座を手にした、このサクラローレルの感覚だとしてもですか?」

 

「…。」

初めて聞いたローレルの異様に重い口調と醸し出された威圧感に、オフサイドは肌に粟立ちを感じて沈黙した。

 

沈黙した彼女に、ローレルは重い口調のまま、言葉を続けた。

「勿論、あなたとは故障の類が違いますがね。あなたはクッケン炎、私は骨折。でもどちらも未来が絶望に染まる程のものです。その絶望を私は乗り越えた。誰もが99.9%諦めた重傷から復活して、レースの頂点に立った。…そんな私の感覚は、あてにならないでしょうか?」

 

「フッ…。」

ローレルの言葉に、沈黙していたオフサイドはふっと微笑した。

「初めてね。あなたがそこまで自分の軌跡に胸を張るなんて。」

「誇りをもっていますから。」

 

「誇り、か。」

オフサイドは眩しそうに栃栗毛の美髪の盟友を見つめた。

確かにローレルの不屈の軌跡は、先にオフサイドが口にしたようにウマ娘史上でも屈指のものだった。

 

2年前の春、両前脚の骨折という重傷を負った時は、誰もがローレルはここまでだと諦めた。

ローレル自身ももう諦めかけていた。

命すら危険な状態で、そのまま帰還してもおかしくなかった。

でもローレルは死の淵の寸前で踏み止まり故障と闘うことを決意した。

その結果、長い長い故障との闘いを乗り越えてレースに帰ってきた。

それだけでもとてつもないことなのに、ローレルはそこから頂点にまで立った。

まさに奇跡と不屈を体現したウマ娘だった。

それほどの彼女が感じた感覚は、確かに相当な重みがあることは間違いなかった。

 

だけど。

「あなたも今言ったけど、私のあなたとでは故障そのものもその他の状況もまるで違うのよ。」

年度代表ウマ娘の威厳を前に、オフサイドは気圧されながらも冷然と言い放った。

「あなたの故障時は3年生の春。長期の療養を余儀なくされたとはいえ、まだ年齢的にはチャンスが多く残されていたわ。また、過去に重度の骨折を乗り越えた先輩方の前例という心の支えもあった。そして何より、あなたは故障前にはあのブライアンに迫る一番手と目される程の強さと結果を挙げていた。故障から復活出来たならば、と思った者も周囲に多い筈よ。…そんなあなたと比べて、この私はどう?衰えが現れる5年生という年齢、3度目の〈死神〉を患ったウマ娘が復活した前例などないという事実、未だ重賞未勝利な上2年以上勝てていない実績…」

 

言いながら、心が苦しくなってきたオフサイドは、面に手を当てて言った。

「私とあなたは、もう故障の時点で大きな差がついてしまっているの。2年前の時とは、もう同じじゃないのよ。」

 

「ええ、確かに私とあなたとでは違うと、私自身も思っています。」

苦悶を堪えているオフサイドに対し、ローレルの方は表情を変えていなかった。

「だって、『不屈』の素質では、この私などあなたの足元にも及ばないのですから。」

「え?」

「全然及ばないんです。前例のあることを心の支えに療養していた私と、既に前例のない状況の中で暗闇の中をもがきながら闘病を続けているあなたとでは。」

 

「それは本心なの?」

「本心です!」

ローレルは大きな声を出した。

威厳に溢れていた表情が、いつのまにか羨望と悔しさが入り混じったものに変わって、雨に濡れながらオフサイドを見据えていた。

 

「私は今、『不屈のウマ娘』『奇跡のウマ娘』と称賛されています。でも、私は心のうちではそうだと思っていません。『不屈』に関しては…オフサイドトラップ、あなたという途轍もない存在を間近で見てきましたから。」

言葉を絞り出すローレルの唇が、震えながら噛み締められていた。

「療養生活を共にしている時も、復帰後の生活を共にしている時も、私はあなたの姿を見ることでそれを強烈に思い知らされました。私の不屈は、この…このウマ娘には到底及ばないのかと。」

「…。」

自分のことを“このウマ娘”と呼んだローレルの異様な感情のこもり方に、オフサイドは思わず息を呑んだ。

 

「一時的な絶望なら私の方が大きかった。でも長期間の絶望感という点では、あなたが直面したもののそれは膨大かつ強烈過ぎる。そしてそれに対して心折れずに真っ向から抗うあなたは一体何者なのか、とても理解が出来なかった。」

ローレルの口調に、冷静さが失われていた。

「…。」

「そして、時が経つにつれ、ようやく分かったんです。あなたは、ウマ娘の最大の敵である〈死神〉をも乗り越えうることを宿命つけられた『不屈』のウマ娘なのだと。」

 

「…。」

「…そんなあなたが!」

ローレルは悔しさを剥き出しにした表情で、先程とは逆にオフサイドの胸を両手で掴んで叫ぶように言った。

「〈死神〉への敗北を認めたですって?私は絶対に信じませんし、それを受け入れる気も全くありません!年齢?限界?実績?そんな些細な理由があなたの心を折らせる筈がないわ!あなたは…オフサイドトラップは、このサクラローレルが認めた…認めざるを得なかった、最強の不屈のウマ娘なのだから!」

 

「ローレル…」

「よく聞くといいわ、オフサイドトラップの心に巣食った〈死神〉!」

ローレルはオフサイドの胸を強く掴み締めたまま、それへ向けて叫んだ。

「オフサイドの心を絶望で覆ったつもりだったかもしれないけど、残念ながら彼女にはこのサクラローレルがいるわ!私がいる限り、オフサイドの心は絶対に折れない、不屈の炎は永遠に消えない!そして〈死神〉、お前はオフサイドの不屈に敗れる日を待つしかないのだわ!分かったら、オフサイドトラップの心から去れ!」

 

「…。」

「…ハア…ハア…」

雨が降りしきる中、ローレルは叫びきるとオフサイドの胸から手を離し、力を使い果たしたように両膝を足下についた。

オフサイドは茫然と立ち竦んだまま、ローレルの姿を見下ろすしかなかった。

 

 

 

***

 

 

それから数日後。

オフサイドはローレルと同じく引退に反対している盟友、ナリタブライアンと会った。

場所は、学園の競走場の片隅だった。

 

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