1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉のウマ娘(6・オフサイドトラップ回想話)

 

*****

 

(オフサイドトラップ回想)

 

ローレル・ブライアンと会った後、私は今後の決断について苦悩に陥った。

もう引退=帰還の決意は固まっていた筈だったのに、盟友二人によってそれが動かされてしまった。

 

“不屈において、私はあなたに全く及ばない”

“お前には私が必要だと知るべきだった”

無二の盟友が見せた涙と叫びが、私の心に焼きついてしまった。

 

苦悩している間、私の脳裏には様々な記憶が流れ続けた。

療養施設の地下室で、絶望の嘆きと共に帰還していく同胞の手を握りながら看取っていった記憶。

帰還した同胞の遺体を前に、〈死神〉を倒すことを誓った記憶。

治療の痛苦に何度も帰還したくなりながらそれを耐えた記憶。

 

散っていった同胞の無念を晴らす為、絶望と闘い続ける同胞に未来を見せる為、私は〈死神〉と闘い続けた。

 

だが力尽きて脚はもう動かなくなり、冷たい絶望の地に這いつくばるしかなくなった。

温情でとどめを刺されないくらいなら、この絶望に朽ちてやろうと覚悟した。

もう誰の声も届かなくなって、私はこのまま消えていく筈だった。

 

だけど、ローレルとブライアンの叫びだけは違った。

絶望の闇を貫いて、私の心に届いてしまった。

 

もう私には〈死神〉に抗う力は残っていなかった、その筈だった。

残っていなかった筈なのに、消えかけていた心の炎が再び点灯した。

点灯させたのは二人の叫びだった。

微かな灯でも、それは消えようのない灯だった。

 

これが私の宿命か…

心に灯されてしまった灯火に、私は観念した。

〈死神〉という途轍もない大敵に無謀な闘いを挑んだ時点で、潔く敗北を認めるなどということはもう許されないのかと。

 

 

そして数日後、私はある決意を胸に、二人と再び会った。

 

 

*****

 

 

「…もう一度、闘うことにした。」

 

誰もいない夜の学園の競走場で、オフサイドはその決断をブライアンとローレルに打ち明けた。

「もう諦めきっていたけど、あなた達に心の火を灯されてしまった。だからもう一度、〈死神〉に抗うと決めたわ。」

オフサイドは胸のあたりをさすりながら言った。

 

「良かった、本当に良かったです。」

オフサイドの決意を聞き、ローレルが涙ぐみながら微笑った。

「やはりあなたは不屈のウマ娘。これで諦める筈ないと信じてました。」

「じゃあ何で泣いてるんだお前は。」

「ほっとしただけです。ブライアンさんだって涙ぐんでるじゃないですか。」

「もらい泣きだ。」

 

ブライアンは苦笑しながら目元を拭うと、オフサイドへ腕を差し出した。

「ありがとう、オフサイド。」

「“ありがとう”?」

「私は、もう駄目かと諦めかけてた。でも、お前はまた闘うことを決心してくれた。それへの感謝だ。」

「感謝って、別にそんな」

「感謝だよ。私にとってお前は、唯一無二のかけがえのない存在なのだから。」

 

「唯一無二…私もそうだよ。」

オフサイドも腕を差し出し、ブライアンの腕を握った。

 

やがて腕を離すと、オフサイドは二人を見つめ直した。

「正直、もう無謀以上の闘いだと思う。治ることは無論、例えレースに復帰したとしても今まで以上に絶望と隣合わせになると思う。最悪、レース中に脚が限界を超えて予後不良になる可能性も充分ある得るわ。その覚悟は、私の退路に立ち塞がったあなた達にも出来てるかしら?」

 

「当然です。」

「勿論だ。」

オフサイドの言葉に、二人は静かに頷いた。

頂点を極めたウマ娘に相応しい、覚悟の表情を湛えて。

「結末がどうなろうと、私はお前の闘う姿からは絶対に眼は逸らさない。もしその瞬間が来たとしても、最期までお前の手を握って、散り際を見届けてる。」

「私もです。あなたが還ってしまう時は、その最期まであなたの姿をこの瞳に焼き付けて、永遠に忘れませんから。」

 

「ありがとう。」

二人の言葉に、オフサイドの頬に微かに笑みが浮かんだ。

「なら、私も誓うわ。〈死神〉に、必ず勝って見せるって。最高の栄光を、必ず手にするって。…あなた達から貰った心の炎は、絶対に消さないから。」

 

心が折れかけているからか、言葉も途切れ途切れだった。

それでも、オフサイドはその誓いの言葉を二人に伝えた。

 

 

***

 

私は、最後の闘いを決意した。

それまでと全く違う、心が折れかかった状態での闘いの決意だった。

盟友二人の存在と言葉だけを支えに、私は闘いに踏み切った。

 

トレーナーにも、私は秘めていた決意を明かし、現役続行の許しを請うた。

トレーナーはショックを受けながらもそれを認めてくれた。

 

 

5年目の6月初頭、私は4度目の療養生活に入った。

 

 

 

 

*****

 

 

そして、現在。

 

ブライアン、ローレル…

メジロ家の車中。

窶れた表情のオフサイドはかつての日々を思い返しながら、かけがえのない同胞二人の姿を思い浮かべていた。

 

ごめん、私はもう、あなた達が夢を託したウマ娘じゃなくなってしまったわ…

 

涙も出ない目元に手をやりながら、オフサイドはローレルの姿を思い浮かべた。

ローレル、どうかお願いだから、私に会いに来ないで。

私のこんな姿を見てしまったら、恐らくあなたまで、〈死神〉に侵食されてしまうから。

あなたにだけは生き残って欲しい、だからどうか。

 

身体の奥底からふつふつと溢れ出しかけている〈死神〉の影を感じつつ、オフサイドは心底から願った。

 

 

 

*****

 

 

同時刻頃。

一機の個人専用飛行機が、日本へと向かっていた。

 

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「…はあ…大丈夫です…はあ…」

機内には、多くの人間に看護されているサクラローレルの姿があった。

 

「あと…どれくらいで日本に着きますか?」

「まだ数時間かかります。」

「そうですか…遠いですわね…」

 

オフサイドトラップ…待ってて下さい…

未だ治ってない脚の激痛と移動による不安と動悸に気を失いかけながら、ローレルは無二の盟友の姿を脳裏に浮かべ、必死に意識を保っていた。

必ず私が、あなたを〈死神〉から救い出しますから…

 

絶え絶えに呼吸するローレルの胸、そこに当てられている掌の中には、白いシャドーロールが握られていた。

 

 

 

*****

 

 

少し前、メジロ家の別荘。

 

「オフサイドは中山へ発ったと?」

使用人からその報告を聞いたビワハヤヒデは、しまったと唇を噛んだ。

彼女がこんな行動をしてまで三永美久と会うのを避けたということは、やはりもう限界が近いということか。

「オフサイドの後を追いましょう。」

同じく報告を聞いていた美久が、すぐにビワに言った。

「私は彼女に会わねばなりません。会って、絶望が決壊する歯止めにならなければ。」

「分かりました。」

ビワはすぐに了承した。

「使用人の方に車の用意をお願いしますので、あなたは先に向かって下さい。」

「ビワは?」

「私は後ほど岡田トレーナーと共に向かいます。では。」

一刻の猶予もないように早口で対応すると、ビワは芦毛を靡かせて場を去っていった。

 

午後、事態は刻一刻と差し迫っていった。

 

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