1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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嵐の中(1)

 

*****

 

 

オフサイドがメジロ家別荘を発ったのと同じ頃、療養施設。

 

施設の一室に、二人のトレセン学園元生徒のウマ娘がいた。

かつて『フォアマン』のチームメンバーで、今日ここに派遣されてきたヤマニングローバルとマイシンザンだった。

 

 

グローバルとマイシンは、療養施設内の現状について相談をしていた。

二人とも既に、先日から現在に至るまでの出来事は全てケンザンなどから聞いて知っていた。

ゴールドの暴露、スズカの帰還未遂、ライスの帰還も。

 

二人とも、かなり険しい雰囲気で相談をしていた。

「想像以上に深刻な状況ですね。」

「ええ。」

「スズカやスペ達よりもむしろ、何も知らない療養ウマ娘達の方が危なそうですね。」

一連の出来事に直接関わっていた同胞達はまだ知っているから耐えることが出来てるけど、関わってないウマ娘達はまだ耐性が殆ど出来ていない。

ある程度の悪い予感は感じているのは明らかだが、その想像以上のことだと知るとどうなるか。

この施設内のことだけでなく、まもなくある生徒会の重大会見まであるのに…

 

「療養施設のウマ娘を一堂に集めて、起きた出来事を伝えるしかないかな。」

額に手を当てながら、グローバルが提案した。

「怪我ウマ娘、病気ウマ娘双方ともですか。」

「うん。沖埜トレーナーや、ダンツシアトル・ミホノブルボンの協力も仰ごう。それしかないと思う。」

 

二人が相談を続けていると、

「失礼します。」

同じチーム仲間だったケンザンが部屋に入ってきた。

 

「ケンザン。関係者達の様子はどう?」

「スズカは沖埜トレーナーや医師達と、スペとゴールドはルソーと同室にいます。危険性はなさそうですが、まだ彼女達は誰も動ける状態にありません。」

先輩二人の質問に答えながら、ケンザンは傍らの席に座った。

「ブルボンは?」

「ブルボンは別室で待機しています。生徒会の方の用事は終わったようで、いつでも動ける用意は出来てると。」

「ダンツシアトルは、快復した?」

「彼女はまだ部屋に篭りっぱなしです。直に会ってはいませんが、どうやら動けそうにありません。」

 

「まずいですね。この状況下、シアトルの協力が不可欠なのに。」

ケンザンの報告を聞き、マイシンは顔を顰めた。

そして、すぐに決心したように彼女は立ち上がった。

「私。シアトルに会いにいってきます。先輩方は、今後の事の用意をお願いします。」

そう断ると、マイシンは部屋を出ていった。

 

 

「大変ね、ケンザン。」

二人になると、グローバルはケンザンにお茶を用意した。

「…ちょっと、私もきついです。」

ケンザンはお茶を受け取り一口飲むと、彼女らしくない大きな溜息を吐いた。

「一昨日の夜中から事態があまりにも動きすぎて…。ライスが帰還してしまったこともまだ受け入れきれなくて、混乱しています。」

「しかも、ここだけが主戦場じゃないとはね。」

「学園の状態も気になりますし、何よりオフサイドがどうなっているか…」

 

それが一番心配であるケンザンは頭を抱えかけたが、それを寸前でやめて顔をあげた。

「でも私は、ここだけでも何とか守れるよう尽力します。まだ力尽きてはいません。」

 

「そう、流石ね。」

長年『フォアマン』のリーダーを務め“精神力のウマ娘”と呼ばれていた後輩に、グローバルは力強い視線を送り、そして唇を引き締めると立ち上がった。

「沖埜トレーナーと会ってくるわ。」

「分かりました。私は医師の先生方に話し、療養ウマ娘達を集める準備をします。」

「了解。」

グローバルは部屋を出ていった。

 

 

ふう…

部屋で一人になったケンザンは、お茶を飲み干すとすぐには行動せず、少し身体を休めるように椅子にもたれた。

まだ気丈に振る舞える力は残っているが、もう心身とも疲弊し切っていた。

昨晩からの一連の出来事は、それだけ衝撃が大きかった。

 

スズカが帰還を図り、寸前でそれは阻止されたが、その代償としてライスが帰還した。

ライスの帰還はもう時間の問題だったことは分かっていたが、本当に帰還してしまったことへの喪失感は膨大だった。

彼女の遺体を目の当たりにした時は意識を失いかけた程だった。

 

今、出来事の関係者達はそれぞれの部屋で待機している。

ただグローバルに伝えたように、動けそうな者は殆どいない。

脚の治療が終わった沖埜トレーナーは動くことは出来るかもしれないが、ウマ娘達は厳しい。

スズカは絶対に動かすことは出来ないし、ゴールドやスペも然り。

ルソーは動けるかもしれないけどさすがに無理はさせられない。

今は、元生徒である自分達が頑張るよりなかった。

 

だが関係者達より、今差し迫っての問題は、療養ウマ娘達の方だった。

言いしれない絶望感が、彼女達の間に立ち込めているのが明らかだったから。

 

…『大償聲』だけは回避させなければ。

昨晩あわや起きかけたそれを呟きながら、ケンザンは眼を瞑って拳を握った。

力を貸して、トウカイテイオー…

ここには派遣されなかった盟友の姿を脳裏に、ケンザンは沈みかける心を必死に保たせていた。

 

 

***

 

 

一方。沖埜に会いに行ったグローバル。

沖埜は特別病室でスズカといたが、グローバルが尋ねてくると病室の外の廊下に出て彼女に対応した。

二人は、グローバルの現役時代に縁があり、以来顔馴染みだった。

 

昨晩の出来事で脚を負傷した沖埜は松葉杖をついていた。

かなり重そうな怪我に見えたが沖埜の表情からそれは窺えなかった。

この状況下において暗い表情はしないという自制心かとグローバルは察し、脚のことには触れなかった。

 

グローバルは、現状のことを療養ウマ娘に伝えようという考えを沖埜に打ち明けた。

「学園の重大会見の時刻も迫っています。こちらでの出来事と関連した内容である可能性は高い。状況が掴めず混乱した中で彼女達がそれをまともに迎えることは危険です。」

 

「分かった。」

沖埜はグローバルの意見を了承した。

「ただ、スズカは彼女達の前に出せる状態じゃない。そこは許してくれるか?」

「それは受け入れます。」

『フォアマン』のメンバーも同様の状態であることを思いつつグローバルは了承した。

「伝えることは我々ウマ娘で執り行います。沖埜トレーナーはスズカと一緒にいて、彼女を護って下さい。」

「分かった。私だけでも何か出来ることがあれば何でも頼んでくれ。」

「ええ、その時は宜しくお願いします。」

 

沖埜の了承を得ると、グローバルは彼と別れた。

 

 

本当に深刻ね…

沖埜と会った後、グローバルは施設内を移動しながら、現状のことを思った。

『フォアマン』メンバーとは言え、部外者であった彼女が岡田の頼みでマイシンと共にここに派遣されたのは今朝。

オフサイドの件でいざという時の協力を岡田から以前より頼まれていたが、それではなくこの療養施設への派遣になった。

 

グローバルもマイシンも重度の故障から復活を果たした経歴をもつウマ娘であり、故障に苦しむウマ娘達からは大きな尊敬を集めていた。

深刻な状況にある彼女達の支えになる為、二人は派遣されたのだ。

 

完全に想定外の急遽派遣であったが、これまで幾多の厳しい経験をしてきた二人は現場の状況に対応しようとしている。

しかし想定以上に、事態が深刻だった。

 

…とにかく、一連の出来事を療養ウマ娘達に伝えることが最優先の重要事項だ。

残り少ない時間のうちにその計画をまとめておかねばならないが、無事に終わる可能性は皆無に思えた。

 

だがどうなろうと、総力をもってあたるしかない。

苦境を実感しながらも、三冠ウマ娘の血を滾らせて、グローバルは心を奮い立たせた。

 

 

やがてグローバルは、怪我専用病棟に着いた。

今一度、療養ウマ娘達の状態を確認する為だ。

 

「やあ。」

「ヤマニングローバル先輩!」

彼女の姿を見た怪我療養ウマ娘達は、口々に驚きの声をあげた。

前述のようにグローバルは重度の骨折から復活したもつウマ娘で、怪我に苦しむウマ娘達には現在でも大きな羨望と尊敬を集めていた。

 

「グローバル先輩、どうしてここに?」

「療養施設の状況がかなり深刻だと言うことを聞いてね。ここに派遣されたの。」

「ではもしかして、…ここ数日施設内で起きている異常なことについて、もう知ってるんですか?」

「…。」

グローバルはそれには何も答えなかった。

 

「…先輩。」

何も答えないグローバルに、療養ウマ娘は眼を見開いた。

その瞳に不安と絶望の色が濃く滲んでいるのが、グローバルの眼にもはっきりと視えた。

 

 

***

 

 

一方。

シアトルの部屋へと向かったマイシンは、部屋で彼女と会っていた。

二人は同期で、現役時代の〈クッケン炎〉発症中は共に療養生活を送っていた。

引退後は会うことは殆どなくなったが時々連絡は取り合っており、それなりに親しい仲にあった。

 

 

「シアトル…」

「…。」

シアトルの部屋。

マイシンはベッドに腰掛けてうずくまっているシアトルの背を叩くように声をかけていたが、シアトルは膝に顔を埋めたまま何も答えなかった。

彼女の眼は泣き腫れていた。

その姿は、ライスの帰還に対するショックを如実に表していた。

 

マイシンも、そのショックと悲しみの深さは分かっていた。

シアトルとライスの間にあった因縁は当然知ってるし、二人のみが分かち合えた苦悩や愛憎というものを深く理解していた。

今のシアトルは計り知れない程の喪失感に覆われているだろうと感じ、マイシンも胸が痛んだ。

 

 

だけど。

「しっかりしな!今は悲しみを堪えて!」

マイシンは悲しみに暮れているシアトルの肩を揺すり、大きな声で言った。

「ブルボン先輩も、ケンザン先輩も、ライス先輩の帰還の悲しみを堪えてこの状況下で闘っているわ!あんたは療養仲間達を救けに来たんでしょう?だったら、その責務を全うしなさいよ!」

 

「…分かってるよ。」

マイシンの強い言葉に、シアトルは顔を埋めたまま答えた。

「だけど、心がそれを許さないの。奮い立たせようとしても、どうしても心が…」

折れてしまっているのか、答える口調も弱々しかった。

 

「弱音を吐くな!あんたはまたあの宝塚での後悔を繰り返す気なの!?」

沈み切ってるシアトルに、マイシンは怒鳴った。

「あんた、あの宝塚で勝者の義務を全う出来なかったことをずっと悔やんでいたのでしょう?そのことでライス先輩を苦しめてしまったと!だったら、今あんたがすべきことだって明白じゃない!心が折れてようがいなかろうが関係ない!」

「…マイシン!あなたは私の気持ちは…」

「今は理解する余裕なんてないわ。この状況を乗り越える為には、あんたの力がどうしても不可欠なのだから!」

 

シアトルに反論すらさせずにマイシンは言い切ると、彼女から手を離した。

「そろそろ時間だから行くわ。どうか力を貸して欲しい。〈死神〉に敗れなかったあんたなら、同胞を絶望から護ることが出来る筈だから。」

項垂れたままのシアトルにそう言うと、マイシンは部屋を出ていった。

 

 

…頼むわ、シアトル。

シアトルと別れた後、マイシンは施設内を移動しながら彼女のことを思った。

前述のようにマイシンとシアトルは同期で療養生活を共にした仲だが、それ以外にも多くの共通点があった。

3冠ウマ娘の血を継承している点。

引退に追い込まれたものの〈死神〉を乗り越えて復活の勝利を挙げている点。

そして、節目の勝利を飾ったレースで悲劇が起きている点も(マイシンが優勝したNHK杯で同期のグロリークロスが故障し予後不良で帰還)。

だから、シアトルの心中の悲しみは他人よりも深く察していた。

 

でも、それを斟酌している余裕はない。

今や療養仲間達にかつてない程の膨大な絶望が襲いかかろうとしているのだ。

 

療養仲間達を護る為には、総力を結集するしかない。

そしてその最大の力になりうるのは、自分でもグローバルでもなく、その他この場にいる錚々たる人間やウマ娘でもなく、シアトルしかいないとマイシンは思っていた。

重度の怪我も病も経験しながらそれを乗り越えて栄光を掴み、その後の現実の残酷さにも屈せずに生き続けているシアトル。

彼女ならば、絶望を払拭する力がある筈だと。

…あんたは、生き残ったウマ娘なんだから。

 

 

 

***

 

 

 

一方、施設内の食堂。

 

昼食の時間はとうに過ぎているものの、そこには多くの療養ウマ娘達が集まっていた。

その一部に、怪我療養ウマ娘達が集まっていた。

しかしその誰もが、表情が暗かった。

 

「昨晩の騒ぎ、なんだったんだろうね。」

「さあ…。でも一昨日に続いて、だよね。」

「悪いことであったことは間違いないね。多分スズカ絡みだろう。」

「スズカか…ということは、例の天皇賞・秋後の騒動を知ったんだろうね。それで、錯乱でもしたのかな。」

「錯乱で済んだかな。もしかすると、今日まだ誰もスズカの姿を見てないということは…自ら帰還したかもしれないよ。」

「…縁起でもないことを」

「その可能性あるよ。スズカはまだ精神的に成熟してない。心に弱点があることは知ってるでしょ?もしあの天皇賞・秋のことに責任を感じてしまったら」

「やめようよ!」

不吉なやり取りに、それを聞いていたウマ娘がテーブルを叩いて叫んだ。

「そんな恐ろしいこと、口に出さないで!ただでさえ最近、施設内の雰囲気が暗いのに、これ以上暗くなるこというのはやめて!心が…折れちゃうから…」

 

 

怪我療養ウマ娘達から少し離れた別の一席には、病気療養ウマ娘達が集まっていた。

 

「ルソー先輩、今朝から姿見えないね。」

「昨晩の騒ぎに関わってたのかしら。…せめて先輩だけでも無事ならいいけど。」

「ここ数日、ルソー先輩はかなり追い詰められてる様子だったね。オフサイド先輩のことやリートのことで、かなり心身にきてるんじゃないかな。」

「まさか、闘病を諦めてしまったりしないよね?」

「その心配は…」

そのウマ娘は否定しかけたが、それを止めて沈黙した。

正直、もうその可能性は否定出来なかった。

故障に長年苦しんでいるウマ娘は突然心が折れることも多い。

ルソーだってそれは例外でないのだから。

「…耐えよう。」

一人のウマ娘が言った。

「どんな事態が起こっていようと、私達は心を保つしかない。そうでなければ絶望の餌食になるだけだわ。今は一人一人、耐えることに全力を尽くそう」

 

 

 

一方。

施設の外の遊歩道では、数人の高学年の療養ウマ娘達が、散歩しながら昨晩のことを話ししていた。

 

「スズカに何かことがあったことは間違いないね。壊れた物音とか沖埜トレーナーの声とか聞こえたし。」

「帰還まではしてないだろうけど、状態が悪化していることは想定出来る。」

「折角ここまで快復したのに…天皇賞・秋後の愚かな風潮のせいでこんなことになるなんて…酷い。」

「スズカだけじゃない。スペにも何かあったみたいだし、ルソーも相当ダメージがきている。昨日からここにいるゴールドも憔悴してるし、あんなに元気だったダンツシアトル先輩に至っては姿すら見えないわ。もう何がなんだか…」

 

「姿が見えないと言えば、」

一人が足を止め、かなりの憂いが見える表情で言った。

「ライスシャワー先輩の姿が、今朝から見えないね。」

 

「ライス先輩…そうだね、全然見当たらないね。」

「先輩と一緒に来ていた筈の美久さんも急に施設を去っていたし。」

「まさかね…。」

杖をついて行動していたライスの姿が頭によぎり、彼女達の脳裏に最悪な予感が浮かんだ。

「いや、そうかもしれないね。ライス先輩の脚、明らかに悪そうだったから。」

 

「…。」

一人のウマ娘が、嘆きの溜息と共にしゃがみ込んだ。

「なんなのよこれ。かつてないぐらい、絶望の嵐がこの療養施設に吹き荒れているわ。私達、一体どうなってしまうのよ…」

 

「…。」

しゃがみ込んだ仲間を見下ろしているウマ娘も不安に覆われた表情で、つとスマホを取り出した。

ニュースを見ると、今学園が執行している天皇賞・秋後の件に加え、一つの重大事が報道されていた。

 

『夕方に学園生徒会が会見予定』

 

「どうなるんだろうね、本当に。」

ニュースを見ながらそのウマ娘は呟いた。

かつてない絶望の嵐が、療養施設だけじゃなく、ウマ娘界全体に吹き荒れているように思えた。

「この嵐を乗り越えられるだろうか…」

 

つと、そのウマ娘は上空を仰いだ。

絶望が吹き荒れているのに、空だけは澄み切った冬晴れが果てしなく広がっていた。

 

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