***
一方、再びシアトルの部屋。
「…。」
マイシンが去った後、シアトルはまだベッド上にうずくまっていた。
「ライス先輩…」
シアトルは膝を抱えながら声を洩らした。
「なんで、こんなに早く逝ってしまったんですか…」
彼女の唇から洩れるのは悲嘆の声だった。
昨晩の屋上での出来事の際、シアトルはそれが終わってから現場に到着した。
周囲が騒然としている中で、ただ一人屋上に座り込んで夜空を仰いでいるライスの姿を目の当たりにした時、シアトルは彼女の脚が限界を超えたことを悟った。
その後、シアトルは同じくライスの帰還を悟っていたケンザンらと屋上を後にした。
ライスの最期を見届ける勇気はなかったから。
そして一人自室で待機する中、ライスの帰還を伝られた。
こんなに悲しいなんて…
胸中から込み上げ続ける悲嘆に、シアトルは口元を抑えた。
同胞との永別は数多く経験していたし、もうその悲しみにも耐性が出来ていた筈だった。
だけどライスとの永別は、これまでのそれと全く違っていた。
まるで、自身の命の半分を失ったような感覚に襲われていた。
それは、あの宝塚記念の悲劇を背負ってきた自分とライスだけが共有していた苦悩があったからだろう。
ライスの余命は少ないことは既に周知していたけど、まさかようやくの再会が叶った直後に逝ってしまうとは全く想像してなかった。
その分衝撃が大きかったし、喪失感も大きかった。
…でも、このままじゃ駄目だ。
悲嘆に暮れながらも、シアトルは必死に心を奮い立たせようとしていた。
私は、苦しい状況に置かれている同胞達を救ける為にここに来たんだ。
その私が、ここで潰える訳にはいかないんだ。
『あんたはまたあの宝塚での後悔を繰り返す気なの!?』
マイシンからぶつけられた言葉も、脳裏によぎった。
もう、同じ後悔を繰り返す訳にはいかない…
シアトルはよろよろと身体を動かし、ベッドから起き上がった。
起き上がったシアトルは、ふと気づいたように、ベッドの枕元に手を伸ばした。
そこには、一通の未読の手紙が置いてあった。
ライスが帰還した後にブルボンから手渡された、自分宛てのライスからの手紙だった。
「…。」
崩れかけている心を奮い立たせて、シアトルは手紙を読んだ。
『ダンツシアトルさんへ
あなたがこの手紙を読む時、おそらく私はこの世にいないと思います。
ライスシャワーの遺言だと思って読んで下さい。
私が帰還したことに対し、あなたは深い悲しみに陥っているでしょう。
でもその悲しみを堪え、かつてない危機を迎えているウマ娘界の未来の為に力を尽くして下さい。
絶望の嵐に晒されようとしている療養ウマ娘達を護って下さい。
幾多の絶望を乗り越え、世の理不尽にも屈せず今日まで生きているあなたは、療養ウマ娘達にとって最大の守護者であることは間違いありません。
もし、あなたまでもが絶望に心折れそうになったら、このライスシャワーを思い出して下さい。
決して救われる筈のなかったこのライスシャワーが、あなたに救われたという事実を、心に思い出して下さい。
私は、あなたと再び出会えて良かった。
本当に、本当に良かった。
あの宝塚記念の後に生き残れたことに、初めて感謝出来ました。
またいつか、向こうの世界で再会しましょう。
私は笑顔で、あなたを待っています。 ライスシャワー』
「…。」
手紙を読み終えたシアトルは、服装を制服に着替えた。
「闘わなきゃ…最後まで…」
制服の胸ポケットにライスの手紙をしまうと、シアトルは重い身体を引き摺るように部屋を出ていった。
***
一方、その頃。
施設外の遊歩道を松葉杖をついて歩いている療養ウマ娘がいた。
ルソーだった。
ライスの帰還に大きなショックを受けていたルソーは、病室でゴールドらと共にケンザンに看護されていたが、少し立ち直ったのか或いは心を落ち着かせる為か、表へ散歩に出ていた。
足取りも重く顔色も蒼白だったが。
やがてルソーは遊歩道傍にあるベンチに着き、それに腰掛けた。
そして、病室から持ってきた手紙…ライスが彼女宛てに書き遺していた手紙を広げた。
「…。」
既に病室で一度それを読んでいたものの、ルソーはベンチで再び読み始めた。
『ホッカイルソーさんへ
天皇賞・秋の後から始まった一連の出来事において、最も辛い状態に置かれているウマ娘は、恐らくあなたでしょう。
これまで幾度となく接した中で、あなたのその苦悩の大きさが窺えました。
私は、あなたをその苦境から救い出せる術はもっていませんでした。
いや、私だけでなく、他の誰であろうとあなたを苦しみから解放させることは不可能でしょう。
それだけ、あなたの背負う苦しみは巨大だと感じました。
あなたを救えるのは、もうあなた自身しかいないと思います。
思い出して欲しいことがあります。
それは2年前の日経賞、シグナルライトの悲劇が起きたレースです。
あの時、彼女のあまりにも悲惨な悲劇を目の当たりにした人々は誰もが大きな衝撃を受け、心に深い傷を負いかけていました。
でもあなたは、ウマ娘としてレースを走りきり、そしてレースの勝者としての義務を果たしきりました。
その結果、あのレースが悲劇一色に覆われるのを阻止した。
そして、人々の心に深い傷が負われるのを防ぎました。
シグナルライトの悲劇の後、あなたと『フォアマン』のメンバーの間で何があったか、私には全く想像が出来ません。
ただ一つ明らかなことは、あの時あなたはシグナルライトの悲劇に最も悲しんだウマ娘であったことと、その状況でありながら悲劇の余波を食い止めたことです。
あの状況下で勝者の義務を果たすことは、並大抵のウマ娘では不可能です。
少なくとも私には出来ないし、考えられない。
しかしあなたはそれをやり遂げた。
まだ、あなたの中では、あの悲劇がまだ終わってないでしょう。
それでも、私はあの時のあなたの行動を心から称えたいし、感謝したい。
悲惨過ぎる悲劇ゆえにレース映像も封印され、結果のみが残されたあの日経賞で、誰よりも深い悲しみに陥りながら人々を絶望から守る為に必死に行動したあなたは、間違いなくウマ娘の誇りでした。
私は信じています。あなたの力を。 ライスシャワー』
「…ライス先輩。」
ルソーは再読した手紙を胸に押し当てて、雲一つない青空を仰いだ。
青空の彼方に、亡きライスの姿を思い浮かべて。
ケンザンやシアトルと違い、ルソーはライスの脚の状態を知らなかった。
悪そうだとは気づいていたが、まさかそこまで深刻だとは気づいてなかった。
だからライスの帰還を聞いた時は耳を疑ったし、彼女の遺体を目の当たりにしてもまだ信じられず、茫然自失としていた。
時間が経つにつれ、ライスがこの世を去ったことを少しずつ認識し始めたが、それと共に膨大な悲しみと後悔が胸を浸し始めた。
同じ長距離ウマ娘として、ルソーはライスにずっと憧れていた。
学園では接することはなかったが療養施設では療養生活が一時期重なっていたこともあって何度か接していた。
接する中で彼女への憧れも尊敬も大きくなっていった。
ライスもルソーには一目置いており、自身が療養生活を終え喫茶店を開いて以降は頻繁にコーヒー豆を送ってくれるなど、それなりに親しい関係を築いていた。
だけど、まさかこんな別れ方になるなんて…
ルソーは目頭を抑えた。
秋天の騒動以降、オフサイドのことやスペのことなどで心が荒んでいき、そしてその荒みをライスに何度もぶつけてしまった自身の愚かな言動を、ルソーは悔恨の念と共に顧みた。
ライス先輩自身も苦しんでいたのに…
自分から心ない言葉をぶつけられて打ちひしがれたライスの姿が思い起こされ、ルソーは息が苦しくなった。
でも…
ルソーは目元を拭った。
今は罪悪感に浸る時じゃない。
自分のおかした過ちの報いは受けなければならないが、その前に私にしか出来ない義務を果たさなければ。
ルソーは松葉杖を手に立ち上がった。
「…ライス先輩、」
青空の彼方に向け、ルソーは震える声で誓うように呟いた。
「私、最後まで闘いますから…」
その後、ルソーは施設内の自分の病室に戻った。
室内にはスペとゴールドと、その二人に寄り添っているケンザンがいた。
「ケンザン先輩、」
戻ってきたルソーは、立ったままケンザンに言った。
「私、これからグローバル先輩達の所に行き、先輩方と今後の対応にあたります。二人を宜しくお願いします。」
「そう、分かったわ。」
ケンザンはやや心配そうな表情を浮かべたが、ルソーの憔悴した表情に確かな覚悟の色が滲んでいるのを見るとそれを打ち消した。
「行ってきなさい、ルソー。」
「はい。」
ルソーは痛む脚に力を込めて頷くと、病室を出ていった。
グローバルのいる部屋に着くと、グローバルとマイシンの他に、ブルボンとシアトルの姿もあった。
「ルソー、来たの?」
「ええ、私はもう大丈夫です。」
ライスの手紙をしまってある胸元に手を当てながらルソーは答えた。
「…よし。」
後輩の姿を見、マイシンは唇を引き締めて言った。
「じゃあ、今後の方針について相談を始めよう。」
「はい。」
十数分後。
5人は話し合いを終えた。
「では、療養ウマ娘達に集まるよう指示を出します。」
話し合いが終わると、ブルボンが立ち上がった。
「うん、大広間にね、宜しく。」
グローバルが答えながら、シアトルとルソーを見た。
「二人とも、頼んだよ。」
「ええ、」
「覚悟は出来ています。」
二人は答えると、ブルボンに続いて部屋を出ていった。
*****
「そうか、そちらは動き始めたか。…ああ、こちらの方も対処にあたっている。…ゴールドの状態は…そうか、明日の有馬はギリギリまで決断を待つと伝えてくれ。…あと、オフサイドの帰還決意のことは、まだ療養ウマ娘達には伏せるように。…まだ全貌が掴みきれない。それがはっきりしたら、こちらからまた連絡する。…じゃ。」
療養施設から場所は変わり、メジロ家の別荘。
岡田は療養施設のケンザンに連絡をとっていた。
それを終えると、彼はすぐに別荘の外に出た。
外ではメジロ家の車両とビワが待機していた。
「待たせたな、行こう。」
「ええ、行きましょう。」
二人は車両に乗り込むと、別荘を出発した。
向かう先は勿論、オフサイドが向かった中山だった。
「療養施設の方、動き始めたようですね。」
車中、ビワは眼鏡を磨きながら岡田に話しかけた。
「生徒会の方も会見の時が迫ってますし、いよいよ事態は正念場を迎えますね。」
「正念場…そうだな。」
正念場というにはあまりも状況は苦しいがと思いつつ、岡田は頷いた。
「今はただ、現場で闘う彼女達を信じるしかない。」
「信じる…」
ビワは磨いた眼鏡をかけ直した。
「信じるというのは、彼女達が事態の悪化を止めてくれるとですか?」
「違うな。」
鞄から薬を取り出した岡田は、それを服用しながら答えた。
「苦しい現場で、自らがすべきことをやり遂げてくれるとだ。その結末に対しては、ただ祈るだけだ。」
岡田の表情に、僅かに苦悶の色が滲んだ。
「現場にいない立場というのは苦しいですね。」
岡田の表情を見、ビワも小さく息を吐いた。
療養施設、学園の生徒会。
今最も切迫詰まった状況にある現場に自分はいない。
そのことに、ビワは心中苦しさを覚えていた。
特に、役員の立場にありながら学園の生徒会にいないことが。
ビワの言葉と表情に、岡田は彼女の心中を察した。
何も聞いていないが、生徒会内で何かあったらしいということは薄々感じていた。
だけどそれは言及せず、岡田は薬をしまうと前を向いて言った。
「私達は、私達の現場で義務を果たしきらなければ。」
「ええ。」
自分達の現場の相手は最も難敵であることを思いつつ、ビワは岡田の言葉に頷いた。
「岡田トレーナー、」
しばらく経った後、ビワはつと今までの会話時以上に真剣な口調で、岡田に言った。
「前々から考えていたことなのですが、一つ提案したいことがあるんです。」
「何だ?」
「オフサイドトラップとナリタブライアンの関係と、…あの9月27日の事を公表しようと思うんです。」
「なんだって?」
ビワの提案を聞いた岡田は顔を歪め、反対するように腕を組んだ。
「私自身、悩みました。」
反対の姿勢を示した岡田に対し、ビワは真剣かつ深刻な口調で続けた。
「でも、これを公表すれば世間のオフサイドへの理不尽な風当たり、そして学園に向けられている不信感も変わる筈です。そうすれば、オフサイド自身の決意にも変化が…」
「ビワ、」
彼女の言葉を遮り、岡田は腕を組んだまま、視線を車窓の外に目を向けつつ言った。
「ブライアンのことだけならば、彼女と姉妹である君が何を公表しようと干渉しない。だけどオフサイドが関わる事は、やめて欲しい。」
「しかし…」
「あの9月27日、私はその現場にいなかったが、オフサイドに何が起きていたかは想像がつく。そして、ブライアンがオフサイドに何を託したのかもな。」
反論の余地すら与えないように岡田は言った。
「…。」
岡田の言葉に、ビワは眼を伏せた。
まだあの日を乗り越えきれてない彼女の目元には涙が滲んでいた。
それに気付きつつも、岡田は厳しい口調で続けた。
「その時に起きた事は、絶対に公にしないでくれ。オフサイドトラップとナリタブライアン…この二人だけの、絶対に侵されてはならない世界だから。」
12月26日、時刻はまもなく夕方を迎えようとしていた。
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