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それから数日後のこと。
「オフサイド。」
オフサイドの病室に、松葉杖姿のロイヤルが尋ねてきた。
「ちょっと話いいかな?」
「うん。」
重要な要件であることを察しつつ、オフサイドは頷いた。
ロイヤルとオフサイドは施設の外に出て、人気のない場所に移動した。
「話というのは?」
快晴の元、芝生の地面に並んで腰掛けると、オフサイドは尋ねた。
「うん、」
ロイヤルは一度深呼吸すると、虚空を仰ぎながら、努めて感情を抑えた口調で言った。
「私の闘いは、このへんで終わりにしようと思うんだ。」
「どうして?」
オフサイドは表情を変えず、普段と同じ口調で尋ねた。
「もう心がもちそうにないの。走れないことが辛過ぎて。」
ロイヤルは、包帯が厚く巻かれた自らの両脚を暗い目で見下ろしながら答えた。
ロイヤルビーム。
彼女は総合チーム所属のウマ娘。
素質や能力は極めて凡庸なウマ娘だが身体の頑丈さには恵まれており、1年生の夏にデビューしてからは毎月のようにレースに出走し、通算出走数は40戦を超えていた。
成績こそ冴えずレースの格は条件戦止まりだったものの、根っから走ることが大好きなウマ娘であるロイヤルにとっては、楽しく充実した日々が続いていた。
だが4年生の春。それまで一度も故障のなかった彼女を悪夢が襲った。
両脚の〈クッケン炎〉発症だった。
「私は能力も成績も凡庸で、栄光とは全く無縁のウマ娘だったのかもしれない。それでも頑丈さにだけは恵まれて、レースを沢山走ることが出来た。それは本当に楽しくて、例え引退後の未来がなくても幸せな生涯を送れるなと思えてたんだ。…でも、まさかこんなことになるなんてね。」
嘆きを押し殺すように言いながら、ロイヤルは両脚をさすった。
彼女の両脚に取り憑いた〈死神〉は重度のもので、ロイヤルはそれまで想像だにしなかった苦境の日々を送ることになった。
脚の苦痛、それに伴う心の虚無。
それはレースを走ることが生きがいだった彼女を一気に絶望へと蝕んだ。
それでも、同期のオフサイドや療養仲間達の励ましを支えとして、彼女は再びレースを走ることを希望に必死に闘病生活を続けてきた。
だが。
「脚の状態は一向に良くならない。走りたくても走れない。当たり前だったレースの舞台は遥か夢の彼方になってしまった。…1年以上耐えてきたけど、流石に限界がきたわ。今までありがとう、オフサイドトラップ。」
ロイヤルは、脚を何度もさすりながら言った。
「…。」
オフサイドは、ロイヤルのその決断が示すものをすぐに理解していた。
ロイヤルの成績も能力も血統も、このウマ娘の世界の未来の為には到底必要とされないレベル。
ということは、彼女を待ち受ける未来は帰還だということを。
「まだ、諦めて欲しくないわ。」
決意を表明したロイヤルに対し、オフサイドは首を振った。
「あなたの辛さはよく分かる。限界と感じてしまうのも無理ないわ。私だって何度もそうだったから。」
淡々と柔く噛み締める口調で、オフサイドは語り出した。
「そうなの?」
「そうだよ。私はそこまで強いウマ娘じゃないし、諦めることばかり考えていたこともあったわ。でもその心を抑えたのは、レースへの憧れと、その舞台への復帰を果たした時の経験だった。」
「復帰果たした時の経験?」
「うん。絶望の歳月を乗り越えて、再びレースの舞台に立った時の感覚。あれは本当に夢のようだったわ。どんな勝利でも味わえない、夢のような感激に満ち溢れていた。あの感覚が、私の心を支えているわ。苦しい歳月も何もかも払拭してくれる、あのターフの踏み心地がね…」
オフサイドはその感覚を思い出すように、微笑しながら言った。
「だから私は、闘病仲間達には一度でいいからあの感覚を味わって欲しいと思ってる。一度だけでもその感覚を経験すれば、かけがえのない心の支えになるから。絶対に消えない、心の記憶と支えにね。」
言いながらオフサイドは、ロイヤルの手を両掌で包んだ。
「あなたの絶望の大きさも分かる。でもその絶望を乗り越えた先には、その絶望よりも大きな歓喜が待っていることも忘れてはいけないわ。諦めさえしなければ、その日は必ず来る。だから、まだ限界を受け入れないで欲しい。」
「オフサイド…。」
オフサイドの一連の言葉に、ロイヤルは心を動かされたように沈黙した。
やがて、ロイヤルは無言のままオフサイドの手を解くと無言のまま立ち上がり、松葉杖をつきながらその場を去っていった。
一人残されたオフサイドも、胸に手を当てて溜息を吐きながら立ち上がった。
「届かなかった、かな…」
胸中に無力感を漂わせつつ、オフサイドは施設内に戻っていった。
ロイヤルは施設には戻らず、別の芝生道の方へ向かっていた。
「…。」
一面に広がる芝生の中に腰を下ろすと、彼女はスマホを取り出した。
そして、保存されている自分の過去のレースの動画を見ていた。
『ロイヤルビームきた!ロイヤルビーム内をすくう!ロイヤルビーム先頭に変わった!ロイヤルビーム先頭でゴールイン!デビュー7戦目、遂に初勝利です!』
『ロイヤルビーム粘る!ロイヤル逃げ切りか!後続が来るが粘る粘るロイヤル!逃げ切った!ロイヤルビーム逃げ切り!半年ぶり2勝目!』
『ロイヤルビーム外から迫る!ロイヤルビーム先頭か!激しい争いだ!並んだままゴールイン!僅かに外ロイヤルか!』
自分が勝ったレースだけでなく、負けても健闘したレースや惨敗したけど全力で走りきったレース、その映像をロイヤルは見返していた。
その一つ一つの全てが、楽しく幸せでかけがえのない記憶だった。
またこの喜びを味わえる日なんて…本当に来るの?
先程のオフサイドの言葉と、痛みを伴い続ける両脚の患部を感じながら、ロイヤルは呟いた。
「来ないよ、永遠に…」
スマホをしまうと、ロイヤルは空を仰いだ。
空一面、夏晴れの青が広がっていた。