1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉と墓標(過去録・3)

*****

 

 

そして、翌日の朝。

オフサイドは椎菜の医務室で、ロイヤルが引退を決めたことを告げられた。

 

「昨晩、彼女がその決断を下したわ。もう手続きも全部終わった。ロイヤルビームは今日限りで競走生活を引退し、学園を退学した。」

「要するに、帰還を決断したんですね。」

「うん。もうその手続きも終えてる。今夜、執行するわ。」

「…。」

もう覆すことは出来ない事実を告げられ、オフサイドは腕を組んで表情を伏せた。

 

「彼女のことも看取るの?」

「はい。」

オフサイドは顔を伏せたまま頷いた。

「じゃ、夜にここで待ってて。」

「…。」

淡々と無感情に話す椎菜を無視するように、オフサイドは腕を解くと部屋を出ていった。

 

 

医務室を出たオフサイドが向かった先は、ロイヤルの病室だった。

 

ロイヤルの病室に着くと、既に室内は整理されて殺風景になっており、ベッド上に黙念と座っているロイヤルがいるだけだった。

 

「ロイヤル。」

「あ…オフサイド。」

「決断、してしまったのね。」

オフサイドの声は乾いていた。

 

「うん、ごめんね。」

悲しげに見下ろすオフサイドに対し、ロイヤルは眼を伏せて、謝るように言った。

「私はやっぱり、これ以上の絶望と闘うことは出来ない。これ以上蝕まれたら、まだ僅かに残っている大切なレースの思い出すら侵食されて消えそうだから。せめて、まだ楽しい記憶が残っているうちに、この世界を去ると決めたの。」

 

「もう、その意志は絶対に動かないの?」

「うん、絶対に。これが最善の選択だと確信したから。」

「最善?」

「最善よ。私はあなたのように最強の選択は出来ないから。」

「…。」

ロイヤルの言葉が、オフサイドの心を鈍く刺した。

 

ロイヤルは顔を上げ、やや俯いているオフサイドを見た。

「ちょっとだけ、あなたが羨ましいな。」

「え。」

「あなたには心の支えがあるから。引退したブライアンや、ローレル、『フォアマン』チーム仲間といった心強い存在がね。総合チームの私には、心の底から共に闘ってくれる仲間はいなかったから。」

「…。」

「いたとしても、この運命は変わらなかったかもしれない。それでも、そういう存在を身近に感じてみたかった。選ばれた者たちだけが味わえる仲間意識というものを経験してみたかったな。」

 

「…。」

オフサイドは無言でロイヤルの側に歩み寄り、その傍らに腰掛けた。

 

もう彼女を救うことは出来ない現実を悟りながら、ゆっくりと口を開いた。

「長い間頑張ったね、ロイヤル。」

努めて優しい口調と共に、同期のウマ娘に微笑みかけた。

「今日まで生きてきた中で、心に残っている思い出はある?」

 

「思い出…そうね、やっぱり初勝利を挙げたレースかな。」

オフサイドの問いかけに、ロイヤルも微笑しながら、ゆっくりと噛み締めるように答えた。

「それまでは走ることだけでも楽しかったけど、勝つことでそれが更に楽しくなるということを知って、ますますレースが好きになった。」

「あら、勝負師に目覚めたの?」

「うん。ただ全力で走るだけじゃなくて、作戦を立てる楽しさも覚えた。作戦失敗して大敗したこともあったし、作戦が完璧にハマったのに負けたこともあったけど、それでも楽しかった。レースに真剣に挑んで、全力で走って、本当に楽しかったな。」

 

「羨ましいな。」

感慨深そうなロイヤルに、ぽつりとオフサイドは呟いた。

「羨ましい?」

「だって、私はそこまでレースを楽しんで走れたことないから。必死に走って勝つことに、全力を尽くしてきたから。」

 

オフサイドの言葉に、ロイヤルはクスッと笑った。

「それは、あなたの生まれながらの宿命だからでしょ?」

「宿命?」

「優秀な血統と能力を携えた、栄光と未来の為に闘うウマ娘としてのね。私みたいに、生まれた時から栄光と未来とは無縁を運命つけられたウマ娘とは違うよ。」

「…。」

ロイヤルのその言葉は、再び痛みを伴ってオフサイドの胸に刺さった。

 

「気にしないで。」

またちょっと俯いたオフサイドの肩を、ロイヤルはポンと叩いた。

「別に嫉妬じゃないよ。未来がないウマ娘を宿命つけられた分、私はレースをただ楽しむことに徹しられたからさ。未来がないのは最初から受け入れてたし。悔しいのは、走りきれないまま最期を迎えてしまったことだけどね。でも、楽しい思い出は残せた。それだけでも良い生涯だったかな。」

 

「…ロイヤル、」

オフサイドは思わず、ロイヤルの腕を握りしめた。

「私、あなたのこと絶対に忘れないわ。」

 

「ありがとう、オフサイド。」

ロイヤルも、その腕を握り返した。

「療養生活の間、私を励まし支えてくれたのは嬉しかったわ。あなたのおかげで、ここでの生活も決して絶望だけじゃなかった。あなたはこの絶望を乗り越えて、夢を必ず叶えてね。」

「うん。」

オフサイドはロイヤルの腕に額を当てて、誓うように頷いた。

 

 

 

 

そして時間は経ち、夜遅く。

ロイヤルは患者服から制服に着替え、施設の地下室へと向かった。

 

 

地下室に着くと、椎菜と数人の助手医師が待機していた。

 

「意外と明るい部屋なんですね。」

中央にあるベッドに腰掛けると、ロイヤルは室内を見渡した。

「てっきり豆電球だけかと思ってました。」

「そんなに暗くちゃ何も出来ないわよ。」

椎菜は彼女に飲み物を差し出したが、ロイヤルはそれを断った。

 

腰掛けて心を落ち着かせつつ、ロイヤルはふと尋ねた。

「私の前は、誰でしたっけ?」

「2週間前のシングフォスマイルよ。」

「ああ、シングフォか。」

確か彼女も私と同期で、同じ総合チームの凡庸なウマ娘だったわね…

「シングフォの最期は、どんなでした?」

「…。」

椎菜は答えられないというように無言で首を振った。

ロイヤルはそうですかと軽く頷いた。

ま、向こうで彼女から聞けばいいか…

 

 

やがて。

「…先生、」

一度大きく深呼吸すると、ロイヤルはベッドに横になった。

「心の準備が出来ました。宜しくお願いします。」

 

「分かったわ。」

ロイヤルの促しを受けると、椎菜はいつものように淡々とした手つきで、ベッド上の彼女の身体をベルトで固定にかかった。

 

ロイヤルの身体を固定すると、椎菜は注射器を取り出した。

「いいかしら?」

「ええ、どうぞ。」

ロイヤルは天井に視線を向けたまま、淡々と答えた。

 

「…。」

椎菜はロイヤルの二の腕に注射針を当て、それをうった。

 

 

十数分後。

「…椎菜先生、」

意識の薄れてきたロイヤルは、傍らで寄り添っている椎菜に、最期の力を振り絞って話しかけた。

「…先生は、…ウマ娘のレースを見ていますか?」

「うん、見てるよ。」

「先生の眼には、…レースを走るウマ娘は…どのように映りますか?」

 

「…。」

椎菜は少し考えた後、答えた。

「背負うものを背負って走っているように見えるわ。楽しんで走っているウマ娘も、必死に走ってるウマ娘も、誰もが皆ね。」

 

「…そうですね…私も、…背負っていたかも…しれません…」

ロイヤルは閉じかかる瞳を精一杯見開いた。

「……未来がない…それを宿命づけられたウマ娘として、…少しでも幸せな姿を……皆に見せたかったから…」

「ロイヤル…」

「…でも悔しいな……最後の最後で……絶望に…負けちゃった…」

 

「…。」

椎菜は、事切れかかるロイヤルの手をそっと握った。

ロイヤルは残された微かな力で、椎菜の手を握り返した。

「…もう一度……あの……レースの舞台に…立ちたかった……ターフの感触…味わいたかった……」

まだ僅かに開いている彼女の瞳には涙が滲んでいた。

 

「…でも…仕方ないかな……走りたくても……もう……脚が…脚が動かなかった……から……」

その言葉を最期に、ロイヤルの瞳は閉じた。

 

数分後、ロイヤルの身体はぐったりと力尽き、その生涯を終えた。

 

 

 

ロイヤルの帰還を確認すると、椎菜は手帳に記録を記した。

〈〇〇年7月31日23時20分。第〇〇期入学生・ロイヤルビーム(9歳・5年生)、クッケン炎による未来不良の為、帰還の処置。〉

 

 

 

「…オフサイド。」

記録を記し終わると、椎菜は室内の隅でずっと座っていた医師…医師の姿をしてその一部始終を見守っていたオフサイドを向いた。

 

「…。」

オフサイドはマスクを取り、無言でベッドの側に歩み寄ると、ロイヤルの遺体を見下ろした。

輝きの灯っていた瞳。

言葉を発していた口元。

血の温もりがあった肌。

その全てが失われて、二度と動かない骸になった同胞の姿。

 

「ロイヤルビーム、」

真っ白に冷たくなった亡骸を見つめ、温もりが消えた遺体の胸にそっと手を触れると、オフサイドは無表情で静かに言った。

「絶対に、あなたのことは忘れないから。」

 

 

 

その後。

オフサイドは地下室から病室に戻った。

 

病室に戻ると、同室で療養しているチーム仲間のホッカイルソーが起きて待っていた。

 

「お疲れ様です。」

「…。」

オフサイドは何も答えず、窓の側の椅子に腰掛けると、ルソーが用意していたお茶を一口飲んだ。

 

凍えそうな心に僅かに暖かみが広がると、オフサイドは口を開いた。

「ルソー、」

「はい。」

「時々、栄光を目指す自分達が罪深く感じることってある?」

「え?…私はそんなことは思ったことありませんが。」

「そっか。」

「先輩はそう感じることが?」

 

「ううん。」

ルソーの言葉に、オフサイドは首を振った。

「ただ、絶対に逃げてはいけないんだなと思うことはあるわ。いや、逃げられないのかもしれないけど。」

 

〈死神〉に深く蝕まれている脚と心。

その中で微かに灯り続けている闘争心の炎を感じつつ、オフサイドは呟いた。

 

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