1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉と墓標(過去録・5)

*****

 

 

そして、その日の夜。

 

エクスは療養仲間達と別れの挨拶を終えると、施設の地下室へと向かった。

 

 

「椎菜先生、長い間お世話になりました。」

地下室のベッドに腰掛け、差し出されたお茶を受け取りながら、エクスは椎菜に礼を言った。

「私の方こそ…。」

エクスよりもむしろ、椎菜の表情の方が暗かった。

彼女といえど、エクスが帰還しなければいけない事実を受け入れきれていないようだった。

 

お茶を飲みながら、エクスは過去を回想した。

「療養生活は合計で3年余りでしたね。まさか学園生活より療養生活の方が長くなるなんて思いませんでした。」

「ここまでよく頑張ってくれたわ。あなたに支えられた療養仲間も多かった。私からも礼を言うわ。」

「復活を叶えた同胞は現れませんでしたがね。それもちょっと悔しいな。」

エクスは表情を一瞬顰めたが、すぐにそれをうち消した。

「復活の夢は、オフサイドやルソーに託します。彼女達なら、〈死神〉を乗り越える姿を見せられるかもしれませんから。」

 

「あなたにも復活して欲しかったわ。」

「心が折れてしまいましたからね。スピアーかフライトが生きていれば…いや、それは言ってはいけないですね。彼女達も、ギリギリの所まで〈死神〉と闘っていましたから。」

空になったお茶腕を返すと、エクスはふっと微笑した。

「向こうで再会出来たら、二人と一緒に走りたいな。苦痛も絶望もない、走る喜びに溢れた世界で。」

 

「…本当に長い間、よく一人で頑張ったわ。」

椎菜は目元に指を当てた。

溢れそうな感情を堪えているように見えた。

 

 

椎菜の様子を見つつ、エクスは一度大きく背伸びすると、彼女に向き直って言った。

「では、宜しくお願いします。」

 

「うん。」

エクスの促しに、椎菜はその用意を始めた。

他の医師と共に慣れた手付きでエクスの身体をベッド上に固定し、いつものように手袋をはめると注射器を用意した。

 

「…いい?エクス。」

「ええ、どうぞ。」

エクスはその注射器を見ても少しも表情を動かさず、再度促した。

「じゃ…。」

椎菜はエクスの二の腕に注射針を当てると、躊躇せずにそれをうった。

 

 

ふう…

注射をうたれたことを確認すると、エクスは大きく深呼吸して灰色の天井を仰いだ。

 

それからふと、室内の片隅でずっと動かずに状況を見守っている医師がいることに気づいた。

 

…いや、医師じゃない?

医師の姿はしているがその眼光がその醸し出す雰囲気に、エクスは心あたりがあった。

「もしかして、オフサイドトラップ?」

 

「…。」

声をかけられ、医師姿のオフサイドはマスクを外すと、ベッドの側に歩み寄った。

 

「…あなただったのね。」

この地下室で帰還していくウマ娘達を看取っている同胞がいるという噂はエクスも聞いていたが、それが本当だったことに驚いた。

「でも、考えてみればあなたしかいないか。こんなことが出来るウマ娘は。」

凄い同胞だと、エクスの表情に畏敬の微笑が洩れた。

 

「エクス先輩、長い間ありがとうございました。」

歩み寄ったオフサイドは、深々とエクスに頭を下げた。

彼女の表情はかなり硬っていた。

 

「礼を言うのは私の方よ。あなたの闘う姿を見てたから、私もここまで闘うことが出来た。」

固定ベルトを外されたエクスは、硬っているオフサイドの頬に優しく触れながら微笑し、先輩としての最後の言葉を送った。

「あなたも闘いきってね。私とは違う…途轍もない闘いの道程だろうけど…辿り着けるところまで闘い続けなさい。」

「はい。」

「…苦しみを溜め込んでは駄目よ。…苦しくなかったら…必ず仲間を頼りなさい。…あなたの身近には…頼もしい仲間が…沢山いるのだから…」

「はい。」

オフサイドは顔を上げ、徐々に力が失われていくエクスの腕を握り締めた。

 

「…良い生涯、だったかな…」

オフサイドに言葉を送ったエクスは虚空を見つめた。

見開いた瞳に涙が浮かんでいた。

「スピアー…フライト…私、闘いきったよね?……頑張ったよね?……誰も…恨まなかったよ……」

 

途切れ途切れに言葉を呟いた後、エクスは瞳を閉じた。

「…。」

オフサイドはぎゅっと強くエクスの腕を握りしめた。

 

「…さよ…なら……」

眼を閉じたまま、エクスは微かに唇を動かした。

 

それが最期の言葉だった。

オフサイドの両掌に包まれた彼女の腕は、ゆっくりと冷たくなっていった。

 

 

 

〈〇〇年8月4日23時36分 第〇〇期入学生・エクスプレスランド(10歳・6年生)、〈クッケン炎〉による未来不良の為、帰還の処置〉

 

 

 

椎菜が手帳に記録を記してる一方、オフサイドはエクスの遺体の傍らで、冷たくなった彼女の腕を握り続けていた。

 

「オフサイド。」

椎菜はオフサイドの側に寄り、肩に手を当てた。

「そろそろ、エクスの遺体を移動させるわ。あなたは…」

 

 

「…どういうことなんですか?」

椎菜の言葉を遮るように、オフサイドが急に口を開いた。

「…?」

普段の彼女とは違う、険しさと感情がこもった口調に、椎菜の肌が一瞬戦慄した。

 

白布がかけられたエクスの遺体を見つめながら、オフサイドは唇を震わせて、言葉を絞り出した。

「なんで先輩のようなウマ娘が、こんな最期を迎えなければならないんですか?」

「…オフサイド。」

「先輩の挙げた実績は私と遜色なかったのに、確かな輝きをレースで残したのに…足りないんですか?」

「…。」

「おかしい。おかしいです、こんなことは。」

オフサイドの眼が、不気味な紅さを帯び出していた。

 

「…オフサイド、部屋を出な。」

オフサイドの不穏な様子に、椎菜は彼女の肩から手を離すと、地下室から出るよう促した。

 

「椎菜先生!どうして!」

「部屋を出なさい。命令よ。」

「椎菜先生…」

「今すぐ地下室を出なさい。逆らうことは許さないわ。」

オフサイドの言葉を無視し、椎菜は全く無感情な眼と口調で命じた。

 

「…人間…」

冷徹な椎菜の態度に、紅い瞳を光らせたオフサイドの口元から、異様な重みを伴った低い声が洩れた。

 

…!

オフサイドの異様な雰囲気を感じ、椎菜はすぐさま彼女の元から離れると、注射器を握った。

 

「…オフサイドトラップ、今すぐにここを出なさい。これが最後の宣告よ。」

麻酔用だけでなく帰還執行用の注射器を手に握って椎菜はオフサイドを見据え、再度命令した。

「これ以上逆らうならば、私はあなたを危険なウマ娘として対処するわ。」

 

「…。」

オフサイドは紅い瞳を揺らめかせて椎菜を睨みつけたが、椎菜は全く同じなかった。

 

数十秒、緊迫した時間が流れた。

 

やがて。

「…失礼しました。」

紅い瞳を閉じて普段の眼色に戻ったオフサイドは、蒼い表情で椎菜に一礼すると、血が滲む程に唇を噛み締めて、乱れた足取りで地下室を出ていった。

 

 

 

 

数分後。

 

「ただいま。」

「…オフサイド先輩?」

病室のベッドで寝ずにオフサイドが戻ってくるのを待っていたルソーは、戻ってきた彼女の様子が荒れているのに驚いた。

 

「どうしたんですか?」

「ほっといて!」

オフサイドは部屋の隅に松葉杖を乱暴に放るとベッドに倒れこみ、ルソーに背を向けて毛布を被った。

 

先輩…

いつにないオフサイドの荒れ様に、ルソーは心配そうにその背をしばらく見つめていた。

 

やがてルソーは、暖かいコーヒーを用意すると、ベッドで横になったままのオフサイドに差し出した。

 

「これ、どうぞ。」

「…。」

オフサイドは背を向けたまま無視した。

ルソーはそれを彼女の枕元に置くと、自分もコーヒーを用意した。

 

用意したコーヒーを一口飲むと、ルソーはゆっくりと口を開いた。

「ショックですよね。私もです。まさかエクス先輩までが、絶望に敗れてしまったなんて。それも余生の場すら与えられなかったとは。正直信じられないです。」

ルソーは、オフサイドの荒れた胸中を察していた。

彼女自身も、内心では同じだったから。

 

「この世界は厳しいですね。私達にとって、生きる為に闘っている同胞達にとって、あまりにも厳しい。」

「…。」

「でも、闘うしかない。闘わなければ、未来は切り拓かれない。そして、私達の声も届かないのですから。」

 

「ルソー、」

背を向けたまま、オフサイドが小声で言った。

「あなたは、引退した方がいいかもしれないわ。」

 

「は?」

唐突なオフサイドの言葉に、ルソーは呆気に取られた。

「どういう意味ですか?」

「あなた程の実績を収めたウマ娘なら、余生の場所は必ずあるだろうから。〈死神〉と闘い過ぎた末に敗れてしまったら、ウマ娘としての価値が下がってしまう可能性があるわ。そうなると、あるはずの余生の場所が失われてしまうかもしれない。」

オフサイドの口調は乱れ、澱みかかっていた。

 

…大分参ってるようですね。

オフサイドの言葉と口調に、そう感じたルソーはオフサイドの側に歩み寄ると、コーヒーの杯を抱えながら枕元の椅子に腰掛けた。

「余生を送ることが目的ならば、私はとっくに引退してますよ。」

ルソーがレースで挙げた実績はエクスやオフサイドと比べてもかなり高く、長期療養中のウマ娘の中では随一といえる程のもので、例え今引退しても余生が安泰であることは明白だった。

 

「だけど私の目標はそれではありません。あくまでも目指すはレースの栄光です。それがこのホッカイルソーの宿命ですから。オフサイド先輩と同じくね。」

 

「…。」

「それだけではありません。療養仲間に希望ある未来を見せる為にも。何より、亡きシグナルライトに笑顔を届ける為にも。」

ルソーは胸にある盟友の写真に手を触れ、言葉を続けた。

「その為に、私は闘い続けます。例え余生が失われることになろうとも構いません。〈死神〉の魔の手、この世界の過酷さ、その中をもがいてあがいて、闘い続けます。」

 

「ルソーは強いね…」

背を向けたまま、オフサイドは呟いた。

エクスの帰還はルソーにとっても大きなショックの筈なのに、それでも毅然とした姿勢を変えないのだから。

 

「別に、私は強くはありません。」

ルソーは横になっているオフサイドの背に手を触れた。

帰還していく同胞達を看取ってまで〈死神〉と対峙しようとする先輩程には…

 

だがそれは口にせず、ルソーは静かに力強く言った。

「闘いましょう。どれほどの絶望が私達を覆ってこようとも、希望の光を掲げ続けて。」

「…。」

オフサイドは何も答えなかった。

 

ルソーもそれ以上は何も言わず、やがてコーヒーを飲み切ると部屋の電気を消し、自分のベッドに横になった。

「おやすみなさい先輩。また明日。」

 

「…おやすみ、ルソー。」

唇に滲んだ血を指先で拭いつつ、毛布を被ったオフサイドは眼を瞑り、やがて眠った。

 

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