1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉と墓標(過去録・6)

******

 

 

『先頭は〇〇!追うのは〇〇と〇〇と〇〇!更に後続も押し寄せた!ゴール前は一人除いて混戦だ!〇〇僅かに先頭でゴール!その直後4、5人が入線!激戦になりましたが勝ったのは〇〇です!いいレースでした!…おっと、大きく遅れていた最後尾、トロストキングが今ようやく入線です!』

 

「…希望なんて、なかった…」

真っ暗な病室内。

ベッドの中で自らのレース映像を振り返っていたそのウマ娘の眼には、一点の輝きも残っていなかった。

 

 

*****

 

 

エクスプレスランドの帰還から数日経った。

 

相次ぐ療養ウマ娘の帰還に、療養施設の空気は非常に重苦しいものになっていた。

特に療養ウマ娘を支える存在でもあったエクスの帰還の影響は大きく、療養ウマ娘達の動揺は目に見えて明らかだった。

彼女達の精神的支柱であるオフサイドとルソーもその影響を受けており、誰もが心身共に厳しい状況に直面していた。

 

 

 

その日。

施設の外では、朝から雨が降りしきっていた。

灰色の空に覆われた外の景色は、ただでさえ暗くなっていた療養ウマ娘の心を更に重たくしていた。

 

「…。」

その雨空を、オフサイドは施設の外にある遊歩道のベンチから見上げていた。

彼女の瞳には憔悴の色が滲み出していた。

 

オフサイドが4度目の療養生活を始めてから1ヶ月半以上経った。

ローレルとブライアンの支えを受けて決意した、最後の闘い。

脚の状態は悪く、復帰の目処は全くたっていない。

長年にわたる闘病の疲労も身体に感じてきてるし、その分絶望も大きくなっている。

更には慕っていた先輩のエクスまでが帰還した影響か、心の折れ具合を深く感じるようになった。

 

「…。」

オフサイドは胸に手を当てた。

闘病生活を始めたものの、その当初から折れかかっていた心はまだ快復していなかった。

今の彼女を支えているのは、ローレルとブライアンが灯した心の炎だけ。

自らの闘争心が蘇ってない分、現状に蠢いている絶望に対抗する気力が弱々しかった。

 

それでもオフサイドは、以前までと同じように療養仲間達を支え、帰還していく同胞を看取る行動を続けている。

心が折れかかった状態でも、身体と頭は動かし続けていた。

それは、〈死神〉という絶望と真っ向から闘い続けようというオフサイドの闘争心が消えきってないことの証明でもあった。

 

 

「オフサイド先輩。」

雨の中、松葉杖をつきながら傘をさして遊歩道を歩いてくるウマ娘がいた。

ルソーだった。

 

「やはりこちらにいましたか。」

「ルソー。治療は終わったの?」

「ええ、滞りなく。」

受け答えをしながら、ルソーはオフサイドの傍らに座った。

 

自販機で買った飲み物を口にしながら、ルソーは尋ね返した。

「先輩の方こそ、具合はどうですか?」

「脚は可も不可もない状態だけど。」

「脚ではなく、心の方です。」

ルソーは庇から雨空を見上げた。

夏だというのに、妙に冷たさを感じる雨だった。

 

「心…」

頬杖をつきながら、オフサイドも雨空を見上げた。

「かなり苦しい。」

チーム仲間であるルソーに、オフサイドは正直に答えた。

「エクス先輩の帰還は堪えたわ。その前のロイヤルも、更にその前のシングフォ(7月14日帰還)も。帰還していった同胞達の無念が、心に一気にのしかかってきたわ。」

 

「…。」

帰還していく同胞を看取ったことなど当然ないルソーは、その重圧を想像しただけで表情を顰め、そして言った。

「もう、同胞の最期を看取るのはやめた方がいいのでは?」

 

これまでで何十人、4度目の療養生活から数えても既に5人以上、オフサイドは同胞の帰還を看取っている。

「今の先輩の状態で、あまり精神的にきついことを執り続けるのは、正直危険だと思います。」

後輩としてチーム仲間として、むしろ願うようにルソーは言った。

 

だが、

「やめないわ。」

雨空を見上げたまま、オフサイドは即答した。

「これは、私が〈死神〉に勝つ為には、絶対にしなければいけないことだから。」

 

「ですが…」

「心配はいらない。心の状態が苦しいのは事実だけど、折れきってしまうことはないから。」

ルソーの反論を封じるようにオフサイドは言葉を返した。

 

「“折れきってしまうことはない”?」

「私の心には、決して消えない火が灯り続けているから。」

ブライアンとローレルに灯されてしまった炎がねと、オフサイドは胸をギュッと掴んだ。

「これがある限り、私は絶望には屈しない。栄光への希望も未来への希望も抱き続けられる。〈死神〉と闘い続けることだって。だから、大丈夫。」

 

ブライアン先輩とローレル先輩…

オフサイドの返答を聞き、ルソーは唇に指を当てた。

直接聞いてはいないが、オフサイドが引退せずに闘病生活を選んだ背景にその二人の存在があることは当然気づいていた。

その二人の支えは、確かに〈死神〉に対抗しうるであろう強力なものであるということも。

 

「ならば、もう心配はしません。」

ルソーはほっと息を吐いて頷き、そして続けた。

「苦しい状況ですが、乗り切りましょう。希望を信じて。」

 

「そうね。」

胸を掴んだまま、オフサイドも頷き返した。

「諦めなければ、希望を持ち続けてさえいれば、絶望に屈することはない。生きていこう。」

 

合言葉のように力強く言うと、オフサイドは立ち上がった。

「病室に戻りますか。」

「いや、雨の中を少し散歩する。」

「そうですか。今日の雨は冷たいですから、身体を冷やさないように。」

「うん。」

オフサイドはルソーと別れ、遊歩道を歩き出した。

 

 

 

変ね…

松葉杖をついて遊歩道から芝生道を歩きながら、オフサイドは傘に落ちる雨粒の音に首を傾げた。

ルソーの言うように、降りしきる雨は妙に冷たさを感じるものだった。

心身の状態が苦しいからそう感じるのかもしれないが、それにしても冷たさが肌に響いた。

 

 

すると。

「…?」

オフサイドはつと脚止めた。

雨が降りしきる中、傘もささずに芝生の中で佇んでいるウマ娘の姿を見つけたから。

 

「どうしたの?」

「…あ。」

オフサイドが歩み寄って声をかけると、そのウマ娘は雨筋が伝う表情でオフサイドを振り向いた。

「こんなに濡れてしまって…身体が冷えてはよくないわ。」

オフサイドは傘を彼女の頭上にかざした。

 

「…ほっといて下さい。」

そのウマ娘はすぐにオフサイドから表情を逸らすと、低い声を出して答えた。

オフサイドの胸にも響くような冷たさを伴って。

 

「トロスト…?」

オフサイドは思わずぞっとした。

雨に濡れた彼女の表情には、一寸の希望もないことに気づいたから。

 

 

雨に濡れていた療養ウマ娘の名はトロストキング。

数年前から〈クッケン炎〉発症と復帰を繰り返しているウマ娘。

先日3度目の発症をし、1週間程前から療養生活を始めていた。

 

そのことはオフサイドも周知しており、そして椎菜から彼女のメンタルの状態がかなり危険だということも聞いていた。

ただロイヤルやエクスの事が相次いで起きていた為、彼女へのケアはまだ特に行っていなかった。

とはいえ、オフサイドはトロストのことはあまり心配していなかった。

椎菜が彼女の病状はそこまで悪くないと言ってたからでもあるが、それよりも、トロストはオフサイドのことを深く慕うウマ娘であり、〈死神〉を倒すという熱意が強いウマ娘でもあったから。

 

 

 

トロストキング。

彼女は優秀なウマ娘ではない。

先に帰還したエクスよりは無論、同じ総合チームに所属していたロイヤルよりも遥かに、実績は劣っていた。

4年前に入学した彼女は、血統も能力も全く冴えず、おまけに脚にもメンタル面にも不安を抱えているという、典型的な落ちこぼれのウマ娘だった。

 

1年生の秋にレースデビューしたものの、人気も評価も当然のように最下位で、そして結果も惨敗。

二桁着順なのに善戦と褒められる始末だった。

だが2戦目の新バ戦でトロストは低評価を覆して勝利を収め、にわかに注目を集めた。

 

しかしその後のトロストは、勝つどころか一桁着順が精一杯で、最下位も含めた惨敗を繰り返した。

彼女の新バ戦の勝利はフロックと断定されて注目も一気に褪せていき、トロストの評価は元の落ちこぼれに戻った。

 

トロストはその低評価を再び覆すことも出来ないまま、2年生の春に元々不安を抱えていた脚部に〈クッケン炎〉を発症。

同期のホッカイルソーなどがクラシックで華々しく活躍してる頃、無念の療養生活に入った。

 

 

トロストのような状況のウマ娘ならば、そこで諦めてもおかしくない。

実際彼女も当初は諦めかけていた。

しかし彼女に救いの腕を差し伸べたのが、当時から〈死神〉と闘っていたオフサイドだった。

 

オフサイドに励まされ、トロストも闘病を始めた。

諦めなければ、絶対に報われる時が来ると信じて。

そして3年生の初頭、トロストは〈死神〉を乗り越えて復帰した。

 

 

だが、その後しばらくレースを走ったものの好成績は挙げられず、トロストは2度目の〈クッケン炎〉を発症した。

本来なら、ここでトロストは終わりの筈だった。

しかし彼女は諦めなかった。

不屈も希望も捨てなかった。

 

そして1年に渡る闘病生活を乗り越えて4年生の春、トロストは再びレースに復帰した。

驚異的としか言いようのない復帰劇だった。

 

 

だがやはり、その後数戦を走ったものの結果は報われず、トロストは3度目の〈クッケン炎〉発症した。

 

 

そして今、彼女が3度目の療養生活を始めてから、一週間の時が経とうとしていた。

 

 

 

今、雨に濡れて佇んでいるトロストの姿は、全ての精魂を使い果たしたように映った。

直視することすら躊躇う程の、希望も何も感じない虚な表情。

オフサイドも彼女にかける言葉が見つからなかった。

 

だが、雨に濡れ続ける彼女の姿を見て、再び傘をかざしながらオフサイドは口を開いた。

「雨に濡れるのは良くないわ。施設に戻りなさい。」

「構いません。放っておいて下さい。」

「駄目。例えあなたが良くても、あなたのこの様子を視る者達の心象にとっては良くないわ。」

 

「視る者の心象、ですか。」

ふっと、トロストの口元に歪んだ笑みが浮かんだ。

「別にいいじゃないですか。私のこんな姿を見たことで誰か絶望する訳でもないですし。」

「屁理屈は言わないの。とにかく濡れるは身体に良くないから、せめて傘は」

 

 

「ほっといてと言ったでしょう!」

突然、トロストは大声で叫ぶと、オフサイドの差し出した傘を払い退けた。

衝撃で傘はオフサイドの腕から離れ、雨に濡れた芝生の上に転がった。

 

「…?」

「もうやめて下さい!」

腕を抑えて茫然としているオフサイドに、トロストは雨でびしょ濡れになった表情を向けて叫んだ。

「これ以上、私を先輩の絶望に誘うのはやめて下さい!」

抑えきれない嘆きと嫌悪感が含まれた口調だった。

 

私という絶望…

「…どういう意味?」

傘を拾わず、オフサイドも雨に濡れながら、努めて冷静な視線をトロストに向けた。

「言葉通りの意味です。」

オフサイドに向けられたトロストの視線は、完全な敵意の色を帯びていた。

「もう私は、長い悪夢から覚めたんです…」

 

「悪夢…」

「ええ。あなたという存在の悪夢から。」

 

降りしきる雨よりも冷たい言葉が、オフサイドに浴びせられた。

 

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