1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉と墓標(過去録・8)

 

2度目の闘病生活を始めたトロスト。

脚に巣食った〈死神〉の状態は1度目より重く、復帰出来るかも不明であり、例え復帰出来るとしてもかなりの期間がかかることは明白だった。

そして復帰出来たとしても、もう彼女に出れるレースがあるかどうかも不透明だった。

 

しかし、その過酷な立場に置かれながらも、トロストは心折れず闘病を続けた。

オフサイドから言われた希望・夢・不屈の言葉を信じて。

 

 

そして約1年後の4月、トロストは再び〈死神〉を撃退し、レース復帰を果たした。

 

復帰を果たしたものの、トロストは主な実績が1勝のみで他は皆無に等しい4年生。

そんな落ちこぼれの中堅生徒の立場である彼女には、出れるレースの舞台すらもう限られていた。

 

それはトロストも覚悟していた。

そして、状況的に追い込まれていた彼女が見出した活路は…

 

 

「…障害戦。もうそこしか、私の活路は残っていませんでした。」

 

 

障害競走。

飛越能力が卓越したウマ娘が主戦とする路線である一方、平地のレースで結果を残せなかったウマ娘達がラストチャンスとして挑戦する最果ての舞台でもあるレース。

トロストはそこに、自らの最後の活路を見出した。

脚部の故障に苦しんでいる彼女にとってはどう考えても危険な挑戦だったが、もうそこ以外に活路はなかった。

 

 

そして、彼女は脚部に爆弾を抱えた状態にも関わらず障害試験をクリアし、障害レースの舞台に立った。

 

迎えた障害初戦。

障害戦は一度も勝利を挙げたことがないウマ娘も多い中、フロック扱いされてるとはいえ1勝を挙げているトロストは初めて上位人気に推された。

 

そしてそのレースで、トロストは全ての障害を無事に飛越、勝てなかったものの上位に入った。

初勝利以来の好走であり、観客からも拍手が送られた。

久々に感じたレースでの喜び。

無謀な挑戦の中に、僅かに光明が見えた気がした。

 

 

でもそれは、泡沫の光明だった。

無謀な挑戦の反動は、すぐに彼女に跳ね返ってきた。

過酷な障害レースを走ったことにより、トロストの脚は早くも悲鳴を上げようとしていた。

 

それに耐え、数週間後に挑んだ障害第2戦。

再び上位人気に推されたトロストは、今度こそ勝利を挙げようと痛む脚に鞭打って出走した。

 

しかし彼女を待ち受けていたのは、レース中に障害の飛越に失敗して転倒、競走中止という結果だった。

やはり彼女の脚は、障害戦に耐えられるものではなかった。

 

 

 

「それでも、私は諦めませんでした。諦めなければいつか報われると信じて、私の走る姿を見てくれてる人がいると信じて。」

 

 

脚の苦痛に耐えながら、トロストは障害戦を走り続けた。

2戦目以降、飛越失敗はせず全てのレースを完走した。

しかし完走は出来ても、内容はどんどん悪くなっていった。

障害初戦以降は平地の時と同じく入着することすら出来なくなり、人気も徐々に下がっていった。

 

障害戦でも連敗が続くにつれ、トロストの心は遂に折れはじめた。

現実の過酷さと自分の限界。

そして、初戦こそ感じた観客の拍手も聞こえなくなっていった。

 

 

「私の夢は叶わない。走る姿も人々の心に届かない。僅かな喜びすら覆い消す膨大な絶望…。私はようやく悟り始めたんですよ。私が夢を追った果てに待ち受けているのは、絶対の絶望だということに…」

「…。」

「それでも私は、…私は信じたかった。オフサイド先輩の言葉を。最後の最後の、本当に最後の望みを抱いて、私は最後の障害戦に挑みました。」

 

 

 

***

 

 

7月末。

トロストは6戦目となる障害レースに挑んだ。

惨敗の連続の影響か、彼女の人気は最下位に落ち込んでいた。

 

でももう、そんなものはどうでも良かった。

彼女はこのレースをラストランにすることを決めていたから。

 

〈死神〉に何度も蝕まれた脚は、障害戦を何度も走ったことで更にボロボロになっていた。

もうこれ以上走るのは不可能だということは明らかだった。

 

でも、走れなくなる前に最後に確かめたいことがある。

その為に、トロストはこのレースに挑んでいた。

 

 

そして、発走したレース。

 

トロストはスタート直後からしんがりになった。

もう彼女にはスピードも残っておらず、ついていくだけでも精一杯だった。

その後、待ち受ける障害の数々。

それを越えていくごとに彼女と先団の差は開いていき、やがて彼女はひとりぼっちになった。

 

それでも、トロストは走り続けた。

一足進む度、脚には痛みが走った。

その痛みが〈死神〉のものになっていたことも分かった。

障害を飛越する度、何度もよろめいた。

地面につきかける膝を寸前で堪えながら、走り続けた。

苦痛と疲労で、彼女の意識は朦朧としていた。

 

でも、彼女は止まらなかった。

最後の最後に確かめたいもの、その景色を見るために。

 

 

そして、トロストはゴールに辿り着いた。

最後のレースを終えた時、トロストは自分が確かめたかった、自分の辿り着いた景色を、遂に目の当たりにした。

 

トロストが見たのは、自分の完走を見届けることなく場内を去っていく観客達の姿だった。

 

彼女の完走を見届けていた僅かな観客達も、その視線は憐憫と失笑に満ちていた。

「やっぱり全然駄目じゃないか」

「完走さえすればいいと思ってるんだろ」

「レースに出ない方が良かったんじゃない」

そんな声が観客達から聞こえた。

着順を確認すると、勝者から遅れること30秒以上遅れての最下位入線だった。

 

立ち竦んでいるトロストの元に、コースの整備をする係員が声をかけてきた。

「もうレースはとっくに終わってるから早く引き上げて」

 

 

これが、私の夢が辿り着いた現実か…

笑う気力すら、もう残っていなかった。

トロストは走りきった脚を引きずって、コースを後にした。

 

 

その後、脚に〈クッケン炎〉が再々発症していたことが判明し、1週間程前から3度目の療養生活を始め、今に至っていた。

 

 

 

***

 

 

「私の闘いは、終わりました。」

トロストはその憔悴しきった瞳でオフサイドを見つめながら、ぽつりぽつりと唇を動かした。

「希望・夢・不屈。それを信じて闘い続けて、そして得たものは、果てしなく続く絶望の景色だけでした。」

 

「…。」

オフサイドは沈黙したまま、 トロストを見つめ返していた。

 

「…先輩も、本当は分かっていたんでしょうね。私が夢を叶えることなど到底出来ないことを。」

何の感情もないオフサイドの視線を見返し、トロストは吐き捨てるように言った。

「分かってたのに、私を絶望の世界に引き留め続けた。…それは全部、先輩自身の為だったんですね。」

 

「…違うわ。」

オフサイドは初めて言葉を発し、首を横に振った。

「私は、あなたなら夢を叶えられると信じてたわ。あなたは…」

 

「…もういいんです!夢とか、信じるとか…そんな空虚な妄想はもう沢山です!」

オフサイドの返答を トロストは叫んで遮った。

「…現実として、もう私は絶望の最果てまでいきました。それが全てで…私というウマ娘を待っていた未来だったんです。」

 

「…。」

「もっと早く諦めれば良かった、夢・希望…そんな言葉を信じるべきではなかった。そうすれば、ここまで辛い記憶を残さずに、最悪の景色を目の当たりにせずに終われたのに…。オフサイド先輩は、私にとって、…〈死神〉だったと気づくべきでした。」

 

冷たい雨が全身を濡らしていく中、トロストの吐き出した言葉の一つ一つが、オフサイドの心に針のように刺さっていった。

 

 

雨音だけが聞こえる静寂が流れた後。

「今日でお別れです…」

トロストは雨に濡れた前髪に触れながら、オフサイドから眼を逸らし、眼を伏せながら言葉を絞り出した。

「長い間…ありがとうございました…」

 

唇を震わせて言葉を絞り出した後、トロストは眼を伏せたまま、雨の中をよろよろと精魂尽き果てた足取りでオフサイドの前を去っていった。

 

 

トロストが去った後、オフサイドは雨の中で抜殻のように立ち尽くしていた。

その表情には何の感情も表れていなかったが、身体はともすれば崩れ落ちそうに見えるほど生気が失せて見えた。

 

だがやがて、オフサイドは傘を拾うと、施設への道を重い足取りで戻りはじめた。

 

 

施設に戻る途中。

「…先輩。」

どこからともなく、ルソーがオフサイドの前に現れた。

 

「これ、どうぞ。」

全身が雨で濡れているオフサイドに、ルソーはハンカチを差し出した。

「いい。」

オフサイドは乾いた声で断った。

ルソーは溜息をつきながらハンカチをしまうと、オフサイドの隣に立って歩きはじめた。

 

「大丈夫ですか。」

歩きながら、ルソーはオフサイドに尋ねた。

彼女はオフサイドとトロストの一部始終を見ていた。

 

「…。」

オフサイドは何も答えなかった。

雨に濡れている前髪の下、彼女の瞳は雨空より曇って見えた。

 

 

 

*****

 

 

そして、この日の夜遅く。

トロストの姿は、施設の地下室にあった。

 

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