1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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〈死神〉と墓標(過去録・9)

 

地下室。

 

薄暗い灯りの下、制服姿のトロストはベッドの上で、膝を組んでうずくまるように座っていた。

その傍らに、椎菜が寄り添うように座っていた。

 

先のロイヤルやエクスの時と違い、室内は悲壮な空気に満ちていた。

 

 

…トロスト。

ずっとうずくまったままの彼女の姿に、椎菜の胸も詰まる思いがした。

トロストの経歴の悲惨さは椎菜も知っていた。

正直、今回の3度目の発症をした時点でトロストの未来はもう厳しいと覚悟していたが、時間に耐えればまた希望を見出してくれるのでは淡い期待をした。

しかし トロストは療養生活から10日も経たずに帰還の決断を下した。

もう彼女には、闘う気力は残っていなかった。

 

あれだけ必死に闘い続けたのに、何の喜びも得られないままこの末路を迎えてしまうなんて…

現実の残酷さを、椎菜も思い知っていた。

 

「…椎菜先生、」

地下室に到着してから1時間近く経った頃。

トロストは両膝に埋めていた顔を上げた。

「…待たせました。帰還させて下さい。」

 

「…。」

椎菜は頷くと、トロストの傍らから立ち上がった。

「ベッドに横になって。」

「はい…」

横になったトロストの身体を、椎菜は淡々とベルトで固定した。

トロストの表情は見れなかった。

 

やがて固定し終えると、椎菜は注射器を用意した。

 

「…トロスト。」

「早くして下さい…」

トロストは椎菜から眼を逸らしながら、強い口調で促した。

身体が小刻みに震えていた。

 

椎菜は心を落ち着かせる為に一度目を瞑って深呼吸すると、震えるトロストの腕をとり、注射針を当てるとそれをうった。

 

「…あ…」

うたれたのが分かった瞬間、トロストの震えは静止した。

同時に、彼女の眼から涙が溢れ出した。

 

 

「トロスト…」

「やっと、終わるんですね…」

固定ベルトを外されると、トロストは仰向けのまま、頬を伝う涙を拭った。

「苦しみしかない世界から、ようやく解放されるんですね…良かった…」

「…。」

椎菜は無言で、トロストの涙痕をハンカチで拭った。

 

「辛かった…ずっと苦しかった。希望も、夢も…。何もかもが苦しかった…。もう…疲れきった…」

最期を迎えようとしている彼女の口から出てくるのは、帰還への感謝だった。

「…ゆっくり休んでね。」

胸中の痛みを堪えて、椎菜は語りかけた。

「向こうの世界でも、もう走らなくていいから。」

「はい…」

トロストは頷き返した。

「ゆっくり休みます…悲しみが癒えるまで…絶望が消えるまで…」

 

「椎菜先生…お願いがあります…」

最期の時が間近に迫り、トロストは今際の頼みを口にした。

「オフサイド先輩に…伝えて下さい。…向こうで再会した時…私が走る喜びを思い出せたら…その時は…一緒に走ろうって…」

「…うん。」

椎菜は事切れかかるウマ娘の掌を包んで、頷いた。

 

 

それから数分後、トロストはその生涯を閉じた。

 

 

〈〇〇年8月7日23時57分 第〇〇期入学生・トロストキング(7歳・4年生)、クッケン炎による未来不良の為、帰還の処置〉

 

 

トロストの遺体の側で記録を記し終えると、椎菜は室内の片隅で一部始終を見守っていた医師姿のオフサイドを向いた。

 

「…。」

トロストの帰還後も、オフサイドは全く動かずに立ち尽くしていた。

彼女が醸し出す雰囲気は、先日のエクスの帰還の時とも違う、深く重苦しいものになっていた。

「そろそろトロストの遺体を移動させるけど、いいの?」

「…。」

椎菜の言葉に、オフサイドは重い足取りで歩み寄った。

 

しばしの間立ち尽くしていたが、やがてトロストの顔に被せられていた白布を手に取り、その最期の亡骸を見つめた。

“夢の果てにあったのは絶対の絶望だった”

“私にとってオフサイド先輩は〈死神〉だった”

生前、帰還を決意した彼女から刻みつけられた言葉の数々が胸中に響いた。

「…。」

オフサイドはトロストの亡骸に白布をかけ直すと、無言のまま地下室を後にした。

 

 

 

 

病室に戻ると、これまでと同じようにルソーが起きて待っていた。

 

「…これ、どうぞ。」

戻ってきたオフサイドに、ルソーは先日と同じくように用意していたお茶を差し出した。

「ありがと。」

オフサイドはそれを受け取ると、窓際にある椅子に座ってそれを飲んだ。

外を見るとまだ雨が降り続いていた。

 

「3人か…」

「はい?」

「ここ一週間程の間で心折れた同胞の数よ。」

オフサイドは湯呑みを抱えて、ぽつりと呟いた。

 

「…そうですね。」

ルソーも湯呑みを手に、オフサイドの傍らに座ると頷いた。

その3人とも、それぞれ違う形で帰還に追い込まれた。

1人は走れない苦しみに耐えられなかった末に。

1人は報われない現実を受け入れた末に。

そして1人は、万策尽き果てた末に。

 

「…先輩の心は大丈夫ですか?」

これまでにも何度も繰り返していた質問を、ルソーは口にした。

「随分心配そうな口調ね。」

「当然です。今回ばかりは、流石に心配ですから。労わる言葉も見つからない位…」

ルソーは深く憂うように言った。

 

夕方ルソーは、トロストとオフサイドのやり取りを見ていた。

あの時、トロストがオフサイドにぶつけた言葉の数々は、側で聞いてたルソーの心にも突き刺さる程に重かった。

自分達のようにスポットライトが当たる舞台で走ってきたウマ娘と、トロストのようにスポットライトと全く無縁の場所で走っていたウマ娘。

その苦しみの差というものを、これ以上ないくらい突きつけられた気がした。

自分だけでも心に深い衝撃を受けたのに、まともにそれを食らった先輩は…

ルソーが憂うのも当然だった。

 

 

だが。

「心配はいらないわ。」

オフサイドの表情は、淡々としていた。

「確かに一時的なショックは受けたけど、今はもう何とも思ってないから。」

「え…」

「あるのは、〈死神〉にまた同胞が一人奪われたという事実だけだから。」

 

「…本当ですか?」

オフサイドの言葉に、ルソーは思わず眉を顰めた。

「あれだけの言葉を浴びせられたのに何とも思っていないのですか?」

 

「初めてじゃないから。」

「は?」

「これまでにも、トロストのような境遇の療養仲間達には言われてきたの。“先輩みたいに優秀なウマ娘には、私達のような落ちこぼれウマ娘の苦しみが分からない”って。」

 

「そうなんですか?」

「そうだよ。それに、口には発さずとも私達に対してその思いを抱えている同胞が多いことも分かってる。」

「…。」

「だから今回のことも、特に苦しくもないわ。」

驚きの表情を浮かべている後輩に、オフサイドはお茶を飲みながら淡々と話した。

 

 

「それに、トロストが言ってたことは当たってるし。」

「…は?」

「私が自分自身の為に療養仲間を支えているのも、そして私が〈死神〉なのも、間違ってないんだから。」

 

「…何を言ってるんですか?」

「〈死神〉に勝つ為には、自分が〈死神〉にならなければいけない時もある。同胞の最期を見届けていく中で、私はそう悟ったから。」

愕然としているルソーと対照的に、オフサイドの淡々とした口調は変わってなかった。

 

「出来ることならば全員〈死神〉を乗り越えてレースを取り返して欲しい。でもそれは現実的にはほぼ不可能。〈死神〉に心折られない同胞はほんの僅かしかいないし、その僅かな同胞ですら最後は〈死神〉に覆い潰されてしまうのが殆ど…それが現実。その現実の果てを、私は地下室でずっと見てきた。そして私自身、何度も〈死神〉に消されかけてきた。今もね。」

「…。」

「トロストの言った通り、友情、夢・希望・信じる…そんな言葉だけでは〈死神〉に抗うなんて不可能だわ。私だって、ブライアンやローレルとの絆だけじゃ〈死神〉と闘えてない。今闘えているのは、友情と希望の支えの他に、私自身が〈死神〉になってるから。」

 

「〈死神〉…」

「最も、〈死神〉といっても、私はクッケン炎みたいに何もかも奪う〈死神〉じゃないけどね。」

表情が硬っているルソーに、オフサイドふっと微笑を洩らし、お茶を一口飲んだ。

「私は、犠牲になっていく同胞の魂を背負って、それを自分の力にしようとしてるだけ。絶望、悲嘆、悔恨…散りゆく同胞の無念を、〈死神〉への復讐心・闘争心の炎へと変えてる…そういう〈死神〉。」

 

 

「…恐ろしい方ですね。」

表情も変えないで話すオフサイドに、ルソーは溜息を吐いた。

こんなことを話す先輩の姿は見たことがなく、内心では畏怖と恐怖を覚えていた。

 

恐怖を感じつつも、ルソーは心の内から感情が沸々と湧き上がり、ポツリと重い口調で尋ねた。

「では、このホッカイルソーも、先輩にとっては〈死神〉を乗り越える為の足場なのですか?」

 

「あなたが〈死神〉に敗れたら、そうなるかもしれないわね。」

オフサイドは、自身を見据えた後輩を冷然と見返した。

「でもあなたは〈死神〉に敗れたりはしないでしょ。私よりも復活への執着心が強いだろうから。」

 

「…。」

黙ったルソーに、オフサイドは言葉を続けた。

「それに、私は仲間達には足場になどなって欲しくない。矛盾してるけど、出来ることなら全員で〈死神〉を乗り越えたい。それが叶うなら、ね。」

「…。」

「でも叶わない…叶わないのよ。今のままでは絶対に。」

そう言った時、初めてオフサイドの表情が歪んで見えた。

 

「その未来が実現する為には一人でも多く〈死神〉を乗り越えて、表舞台で輝くしかない。そうしなければ何も変えられない。声も届かない。…だから私は、〈死神〉になった。…私は、〈死神〉になれるウマ娘だったから。」

歪んだ表情で話すうち、オフサイドの身体が小刻みに揺れ始めた。

 

「…先輩。」

ルソーはオフサイドの側に近寄り、その震える肩をそっと抱き寄せた。

 

「…でも…重いんだよ。本当に重い。ロイヤルもエクス先輩もトロストも、…これまでに散っていた同胞達も皆、その魂が重過ぎる。」

ルソーに肩を抱かれたまま、オフサイドはうずくまるように膝を抱えた。

「何十、何百…何千…何万…。私の心の中、魂の中で訴えてくる…。悲しいって、悔しいって、無念を晴らしてって…ずっと訴えてくる…。重い…本当に」

 

「先輩、しっかりして下さい!」

急変したオフサイドの様子に危機を感じ、ルソーは抱いてた肩を強く揺すった。

 

「…大丈夫よ。」

うずくまったまま、オフサイドは冷たい汗が滲んだ表情で、ルソーを見上げた。

「どんなに苦しくても、どんなに重くても、私は〈死神〉に散った同胞達に誓ったから。…“必ず、あなた達の魂を夢の舞台に連れていく”って…。」

 

「夢の舞台?」

「大レース…レースの最高峰の舞台のことよ。」

ルソーの質問に、オフサイドは答えた。

「最高のウマ娘達が集い闘う夢の舞台。散っていった同胞達が夢見続けていた最高の舞台。そこに必ず連れていって、彼女達の魂を昇華させると…私は誓ったから。」

 

「昇華…」

「この誓いは絶対に果たすわ。〈死神〉と闘い続ける同胞の為にも、敗れ散った同胞の為にも。」

うずくまった姿勢を解いて、オフサイドは汗を拭うと再び窓の外を見た。

「…同胞の無念・絶望…その墓標も何もかもを背負って、奈落の底を這いずり回って、…例え同胞の屍を足場にしようとも、〈死神〉に魂奪われようとも…絶対に。」

 

 

そう言うと、つとオフサイドはスマホを取り出した。

そして、幾つかのウマ娘のレース映像を見た。

 

〈先頭は〇〇でゴールイン!ロイヤルビームは脚に異変か惨敗!〉

〈優勝は〇〇!エクスプレスランドは惜しくも重賞初制覇ならず!〉

〈勝ったのは〇〇で障害戦初勝利!…今30秒以上遅れてトロストキングが入線〉

 

「…。」

帰還していった同胞達のレース映像を見終えるとオフサイドはスマホをしまい、ふーと大きく息を吐いて雨降る夜闇を見上げた。

 

…絶対に、この無念は晴らすから…

あなた達の魂を昇華させるから…

 

 

 

 

***

 

 

…ん。

オフサイドは目を覚ました。

彼女を乗せた車は、いつのまにか中山の地に入っていた。

 

車窓から外を眺めると、西に傾いていく夕陽の下に、中山の競バ場が微かに観えた。

 




(ロイヤルビーム 43戦3勝 主な勝ちレース 条件戦)
(エクスプレスランド 14戦5勝 主な勝ちレース OP戦)
(トロストキング 24戦1勝 主な勝ちレース 新バ戦)
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