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一方。
施設内の医師棟と療養ウマ娘棟を繋ぐ通路の間には、ブルボンとケンザンの二人がいた。
「…ブルボン、大丈夫?」
「ご心配なく。」
二人とも、かなり疲弊した様子で通路の壁にもたれて立っていた。
身体の幾つかの箇所には傷の痕が見えた。
先程、錯乱状態のウマ娘達が人間医師達の元へ向かっているという急報を受けた二人は、すぐにこの場に駆けつけた。
押しかけた療養ウマ娘達は多数おり、その全員がかつていた仲間を喪っていた者だった。
今回の会見を受けて、抱えていた悲しみと人間への不信感が爆発したような状態で、人間へ危害を与えかねない危険すらあった。
二人だけでなく駆けつけた他の療養ウマ娘達とで彼女達の阻止にあたり、二人を含めて何人もが傷を負う小競り合いの末、なんとか全員を鎮静させ、病室に引き上げさせた後だった。
「…昔を思い出します。」
頬に付いた傷を手当てしながら、ブルボンが呟いた。
「昔?ああ…」
あれか…。
ブルボンの呟きを聞き、ケンザンはそれが何かすぐに分かった。
サンエイサンキューの事件…一人のティアラウマ娘に身に起きた悲劇と、人間とウマ娘の間に亀裂が走った事件のことか…
「あの事件の時、あなたは最も激昂してた一人だったわね。責任追及の為に仲間達と生徒会に乗り込もうしてたぐらいだし。」
「…。」
ブルボンの無表情が、傷のせいもあり悲しげに映った。
前述のようにサンエイサンキューの悲劇の際は、ブルボン、ライス含めサンキューの同期のウマ娘達が報道や学園へ強い不信感抱き、人間との亀裂が完全に起きる寸前までいった。
「…今回の件を受けて人間への不信感を募らせた同胞達の思い、私にはよく分かります。」
当時を思い返しながら、ブルボンはぽつりと呟いた。
「もしかして、本当は止めたくなかった?」
その横顔を見ながら、ケンザンは尋ねた。
「いえ。」
目元を拭い、ブルボンは即座に首を振った。
「心が絶望に侵された末にこのような事をしてしまう者は、絶対に止めなければならないです。あの時の私もそうでした。先輩方に止められましたが、あの時の私は冷静さを完全に失っていましたから。」
「…。」
ケンザンは無言で、労るようにブルボンの肩に手を当てた。
「しかし、深刻な事態になりましたね。」
やがてブルボンは一つ息を吐き、表情を無に戻した。
「今ここで起きたこと…錯乱して人間に危害を加える可能性のあるウマ娘達が現れたことは看過出来ない事柄です。」
事を起こした療養ウマ娘達は、先日錯乱しかけたルソーのように注射で鎮静された末、病室に戻された。
彼女達へのこの後の対処は、重大なものになる可能性もあった。
「どうするつもり?」
「医師達にかけあってきて、彼女達への帰還執行処置だけは絶対にしないよう要求します。それが今、療養ウマ娘を守るという方針を決めた生徒会一員である私のすべき事です。」
「…交渉に行くのね。」
「はい。」
そう言うと、ブルボンはケンザンを置いて医師棟の方へ駆けていった。
***
一方その頃。
グローバルとマイシンは、自ら帰還を図った療養ウマ娘達の手当てが行われている応急室にいた。
「…非常に深刻なことになっている。」
二人は療養ウマ娘達の手当てを行う医師達から、彼女達の容態を告げられていた。
「予後不良級の重傷を負ったウマ娘が数名。その他大小の怪我を負った者も十名余り。」
しかも、ここに運ばれてないが同様の容態になった者達もいるとの情報が幾つも入っていた。
「医師達が総出で治療と対応にあたっているが、これ以上は手が回らなくなる。そうならないように、そちらでもどうか対応を頼む。」
「了解しました。」
切迫した空気の中、医師の説明を受けたグローバルとマイシンは気丈に頷いた。
説明を受けた後、二人が応急室を出ると、手当てを受けている療養ウマ娘の仲間達が廊下にひしめいていた。
二人は医師から伝えられた内容をそのまま彼女らに伝え、病室に戻るよう指示した。
療養ウマ娘達は悲しみと動揺に泣きながら、よろめくように病室に戻っていった。
ここまでとは…。
療養ウマ娘達が去った後、残ったグローバルとマイシンは廊下の床に座り込んでいた。
共に桁違いの経験と精神力の持ち主であるウマ娘だが、顔色に疲労が滲み出ていた。
「自ら帰還を図る同胞がこんなに現れるなんて…想像以上だわ。」
「これが、心の〈死神〉の恐ろしさですよ。」
グローバルは虚空を見つめ、マイシンは俯きながら唇を噛んだ。
「心の弱まった者に一気に襲いかかって、容赦なく希望を消し去って絶望のどん底に叩き落す。そうやって幾千万もの同胞を葬ってきたんですから。」
「あなたも、同じような経験をしたわね。」
「ええ…でも私は、ただではやられませんでしたがね。脚の〈死神〉にはやられましたが、心の死神には屈しませんでした。ただ、その時の私と今の療養ウマ娘ではなく全然違います。最も苦しい時期に、最大規模での襲来ですから。」
寒風が吹きつける中、マイシンは虚空を睨んだ。
二人が言葉を交わしていると、廊下の向こうから不穏な駆け足の音が聞こえてきた。
見ると、医師達が何人かの療養ウマ娘を担架で搬送してくるのが見えた。
またか…
二人は冷たい汗を感じながら立ち上がった。
「また、帰還を図った者が現れたのですか?」
「違う。」
応急室の前で二人が尋ねると、医師は首を振った。
「ショックの影響で心不全になったと思われる療養ウマ娘達だ。」
「え…」
二人が愕然とする間もなく、医師達は療養ウマ娘を乗せた担架を応急室に運び込んでいった。
「…。」
直後、搬送された療養ウマ娘の仲間達が、廊下の向こうからよろよろと現れた。
「あなた達…」
二人は彼女達の元に駆け寄った。
「グローバル先輩、マイシン先輩。仲間が、仲間が…」
誰もが茫然自失とした様子で、うわ言のように声を漏らしていた。
「しっかりしなさい。」
今にも折れそうな療養ウマ達を、二人は抱き寄せた。
彼女達の身体は凍えきっているように感じた。
「…こうなるのも、仕方ないんですよね。」
抱き寄せられた療養ウマ娘達が、身体を震わせながら言葉を絞り出した。
「私達がいくら絶望しようが、帰還しようが、この世界はそれで構わないんですよね?」
「…。」
「だって私達は、要らないウマ娘だから、…失敗作だから、生きてる価値のないウマ娘だから!」
「…。」
「…こんな思いするぐらいだったら、生まれてこなければ良かった…」
「…戻ろう、病室に。」
グローバルとマイシンは、泣きじゃくる療養ウマ娘達を抱き支えながら、暗い廊下を歩いていった。
***
施設内に猛威を振るい始めた、心の〈死神〉。
魂の内部から侵していくようなその絶望感を、一人ルソーの病室に残されたゴールドもはっきりと感じていた。
…これが絶望か、これが〈死神〉の恐ろしさか…
ベッド上に座り込みながら、ゴールドはシーツを掴んで震えを堪えていた。
その震えは、今魂を浸そうとしているそれに対するものではなかった。
「オフサイド先輩…あなたに巣食った〈死神〉は、この〈死神〉よりも巨大だというのですか?」
ゴールドの胸中に浮かんでいたのは、誰よりも深く慕っている先輩ウマ娘の姿だった。