1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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心襲(3)

***

 

これが、心の〈死神〉ですか…

 

療養施設内の中階あたりの階段、

薄暗いその場所に膝を抱えて震えながらうずくまっているウマ娘がいた。

制服姿のスペシャルウィークだった。

 

先程、ルソーに宿泊室から出され特別病室に向かうよう指示された彼女は、その指示にはすぐに従わず、施設内の状況を見回っていた。

 

 

見回る中で、スペは施設内で起きて始めた事態を幾つも目の当たりにした。

 

悲しみと絶望の底に沈んだ同胞。

帰還を図って重傷を負い搬送されていく同胞。

人間への不信感を暴走させかけた同胞。

これまで彼女が生きてきた世界では全く無縁の出来事の数々が、次々と起きていた。

 

状況に耐えきれず、スペはこの階段に逃げ込んだ。

 

 

施設全体に立ち込めた凍えるような寒気と、魂を浸していくような絶望感。

スペもそれをはっきり感じていた。

それだけではない。

その絶望の声までもが、彼女の心には聴こえていた。

 

“…悲しい…”

“…辛い…”

“…さよなら…”

“…もういい…”

“…助けて…”

“還りたくない…”

あの地下室で聴こえた声と同じものが、膨大な量になってスペの心と脳裏に響き続けていた。

 

…くうっ…

思わず倒れてしまいそうになるのを、スペは必死に耐えていた。

倒れたら、自分も絶望にやられる。

オフサイドの事、スズカの事、そして昨晩のライスの事。

幾度も重なったその過ちと出来事の数々はスペの心を蝕んでいた。

 

「…闇に覆われて堪るものですか。」

スペは歯を食いしばって、震える脚に力を込め、手摺りに掴まって立ち上がった。

もう、2度と同じ過ちは繰り返さないと誓ったのですから…

 

「…心の〈死神〉さん、」

立ち上がったスペは、胸に手を当てて、心を浸していく絶望を感じながら虚空を見上げて言った。

「…私は今、生まれてから3度目の敵意を抱きました」

明るい天使と噂されていた彼女の瞳に、異様な光が帯び始めていた。

 

「1度目はオフサイド先輩、2度目は私自身、そして3度目は…あなた。」

 

 

 

***

 

 

 

施設最上階の特別病室には、ベッド上のサイレンススズカと、ベッドの傍らに腰掛けている松葉杖姿の沖埜トレーナーの姿があった。

二人とも、会見が終わった直後から施設内で発生した緊急事態に気付いていた。

 

「療養仲間達の慟哭が聞こえますね…」

「…そうだな。」

療養ウマ娘達がかつてない苦境に陥っていることも、二人は分かっていた。

 

「…何か、私に出来ることはないのでしょうか?」

階下から感じる絶望の空気を肌に感じながら、スズカは言った。

 

「今のお前は、自分の快復だけに努めろ。」

スズカの言葉に、沖埜は強い口調で返した。

昨晩自ら帰還を図り、更にライスシャワーの帰還に直面した彼女の心身は、まだとても快復していないに決まっていた。

「療養ウマ娘達は、今は守れるべき者達が守ってくれてる筈だ。だから今はお前は、ただ快復だけに努めろ。」

 

 

「この状況で、何もせずに私だけ快復するなど、とても不可能に思えます。」

沖埜の指示に、スズカは反論した。

 

「今の私は心を保っているのがやっとの状態です。このままではまた、絶望に覆われて心が折れてしまう可能性があるとも限りません。…いえ、恐らくそうなります。」

「…。」

「何もせずに絶望に浸されるのを待つくらいならば、私はこの絶望と闘います。」

 

「スズカ。」

「沖埜トレーナー。」

自らを見つめた沖埜を、スズカは強い視線で見返した。

「私の命は、トレーナーと、スペさんと、そしてライスシャワー先輩によって護られました。この護られた命を、私はライス先輩のように、仲間達を護る為に活かしたい。その為なら、どんな絶望相手にも立ち向かいます。」

 

「…。」

スズカの強い視線と言葉に対し、沖埜は眼を背けると、無言のまま立ち上がって特別病室を出て行った。

 

 

 

…分かっている。

特別病室の外の廊下に出た沖埜は、壁にもたれて眼を瞑った。

現在、この療養施設を覆う心の〈死神〉と闘わなければ、スズカもその餌食になってしまうであろうこと、それに抗う為には行動を起こすしかないこと。

そして、療養ウマ娘達を守る責任が自分達にはあることも。

 

しかし…

沖埜は苦悩するように額に手を当てた。

行動を起こすことでスズカの身に悪いことが起きるのではという予感が、沖埜の胸中にあった。

つい昨晩、あのような行動をとったのだから。

その不安が、彼の決断を躊躇わせていた。

 

 

「…。」

つと沖埜は眼を開き、スマホを取り出して電話をかけた。

かけ先の相手は岡田だった。

 

『もしもし…沖埜か?』

「岡田トレーナー…」

沖埜は、微かに震える口調だった。

 

 

***

 

 

「…沖埜。」

まだ中山に向かう車中だった岡田は、沖埜の口調で彼の心境を大方察した。

「ケンザンから連絡は受けてる。生徒会の会見を受けて療養ウマ娘達の心が危機に陥ったとな。サイレンススズカも、その影響を受けてるだろう。」

 

『…。』

「ここまでの事になるとは私も想定外だった。ルソーやゴールドは無論、派遣したケンザンもグローバルもマイシンも心配だ。…お前と同じ位な。」

岡田は沖埜が電話をかけてきた意図を察し、彼の方から言葉を続けた。

「だがな、俺は彼女達を信じてる。この苦境で絶望に屈せず、自らがすべきことを遂行してくれるとな。」

『…。』

「お前はどうだ?現場にいるトレーナーとして、人間として、どうすべきだと思ってる?』

 

 

***

 

 

「…はい。」

沖埜は、ふっと決心がついたように息を吐いた。

「分かってます、岡田トレーナー。」

『なら、それを遂行しろ。』

 

「はい。…では岡田トレーナー、」

岡田の言葉を受け、沖埜の口調が事務的なものに変わった。

「『スピカ』トレーナーとして、『フォアマン』トレーナーのあなたにお願いがあります。」

 

 

それから数分後、沖埜は岡田との電話を終えた。

 

 

「トレーナーさん。」

岡田との電話を終えた直後、廊下の向こうから声がした。

そこには、今しがたこの最上階までの階段を昇ってきたスペの姿があった。

 

「スペ。」

「私も闘います。ここの…苦しんでる療養ウマ娘のみんなを、守る為に。」

表情は蒼白で身体も震えていたが、スペの瞳は異様な光を放っていた。

 

 

 

***

 

 

 

それから約10分後。

 

コンコン。

ゴールド一人になっているルソーの病室の扉をノックする者がいた。

 

「…誰ですか?」

「…失礼する。」

「え、沖埜トレーナー?」

入室してきた相手を見て、ゴールドは驚いた。

 

「ステイゴールド、頼みがある。」

驚く彼女の元に歩み寄ると、沖埜は頭を下げて言った。

「我々に協力して欲しい。療養ウマ娘達の為に。」

 

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