***
一方。
施設の最上階の、階段前。
屋上からの冷たい風が吹き下りるその場所に、沖埜とケンザンがいた。
「ゴールドの力を貸して欲しいと?」
彼から話があると呼び出されたケンザンは、その内容を聞いて眉を顰めた。
「ああ。」
沖埜は冷静な表情だった。
「療養ウマ娘達を守る為に、我々も動くことにした。その為には、彼女の力が必要なんだ。」
「…ゴールドはなんと?」
「彼女は引き受けてくれた。」
先程、ルソーの病室にいるゴールドに会いにいった沖埜は、彼女にその内容と協力を頼み、了承の返事を得ていた。
「岡田トレーナーの許可は?そして今、ゴールドはどこに?」
「岡田トレーナーからは既に許可は貰ってある。ゴールドは別の一室に控えている。」
「…。」
沖埜の返答を受け、ケンザンは不安に満ちた眼で沖埜を睨んだ。
「一昨晩、ゴールドがスズカに何をしたか、分かっていますか?」
「…君の立場でそれを言えるのか?」
睨んだケンザンに対し、沖埜は瞳を逸らさずに言葉を返した。
「…っ」
沖埜の酷薄な言葉に、ケンザンは息を呑んだ。
その表情を見つめたまま、沖埜は続けた。
「ステイゴールドは、スズカを追い詰めて壊しかけた。だから今度は、スズカを守らねばならないだろう。」
「…正気ですか?」
「これはステイゴールドの為でもあるんだ。」
普段の彼とは違う、冷酷さも混じった口調で沖埜は言った。
「我々がいくらゴールドの行動を咎めなくても、彼女自身は決して自分のおかした行動を許しはしないだろう。その罪悪感を少しでも減らす為にも、協力を頼んだ。恐らく彼女もそれを分かってて受け入れた。」
「無茶だ…。」
ケンザンは髪を掻きむしり、彼女には珍しい悲観的な表情を露わにした。
「ゴールドはまだ何も快復してないんですよ。一昨晩のことだけじゃない、昨晩のこともゴールドを苦しめている筈です。そんな状態で、この状況下で行動をさせるなんて…。」
「それはスズカも同じだ。だけど彼女は、この状況を打破する為に動き出そうとしてる。」
「…スズカとゴールドは違います!」
沖埜の言葉に、ケンザンは声を荒げた。
「今スズカには、貴方やスペシャルウィークという、護ってくれる存在が間近にいますから!でも今のゴールドには…そんな存在はいないんですよ!岡田トレーナーも、オフサイドもいない。私達では、彼女の支えにはなりきれて…」
「ケンザン先輩。」
ケンザンの言葉を遮る声と共に、廊下の向こうから現れたのはゴールドだった。
「ゴールド!」
彼女の姿を見、ケンザンは沖埜の傍らを駆け抜けて彼女の側にきた。
「無理はするな!お前の心はまだ快復してない筈だ。なのに無理して行動したら、今度こそ心がやられてしまうぞ!」
「…私も、闘いたいんです。」
ゴールドは、止めようとするケンザンに、やや震えながらも言葉を返した。
「傷ついた心身を抱えながら、それでもこの、心の〈死神〉が吹き荒れる中で抗い続けている仲間達がいるんです。この場にいる以上、私だけ何もしないなど出来ません。」
「お前にそれが出来るのか?」
ケンザンは容赦ない口調で愛する後輩に詰問した。
「お前つい先日、何もかも壊そうとした行動をとったんだぞ。無二の親友を理不尽に責めて、帰還寸前にまで追い詰めたウマ娘なんだぞ。それを忘れたのか?」
「…忘れてる訳がありません。」
ゴールドは俯きながらも、はっきりとした声で答えた。
「それでも、私は動きます。…大丈夫です、もう2度と、あんなことはしないですから。」
「そう言い切れる根拠はなんだ?」
「ライスシャワー先輩が守ってくれたから。スズカの命も、私の心も。」
「…。」
ゴールドの言葉に、ケンザンは声が詰まった。
ゴールドは更に続けた。
「それに、私はここで闘わなければ、本当の闘いの場所にすらいけそうにないんです。」
「ゴールド、お前…」
彼女の言葉が指すものを、ケンザンは瞬時に察した。
「…はい、」
ゴールドは頷きながら、さすがに口調を震えさせて言った。
「明日の有馬記念…オフサイドトラップ先輩と闘う場所に。」
「…。」
ゴールドの言葉を聞き、ケンザンは唇を噛んだ。
しかし、決意の動かないゴールドの眼の光を見て、やがて観念したように息を吐いた。
「…沖埜トレーナー、」
ケンザンはゴールドから視線を逸らし、沖埜に向き直った。
「ゴールドを、宜しくお願いします。もし、何かあったら…」
最優先でゴールドを守って…
そこまで言いかけて、ケンザンは黙った。
黙ったまま、沖埜から視線を逸らすと、最上階を去っていった。
「では、行くか。」
「…はい。」
ケンザンが去った後、沖埜はゴールドを連れて、スズカのいる特別病室へと向かった。
「…。」
特別病室の扉の前まで来ると、ゴールドは脚を止めた。
彼女の身体は小刻みに震えていた。
沖埜は何も言わず、ただじっとゴールドの様子を見守っていた。
しばらく扉の前で呼吸を乱して立ち止まっていたゴールドは、やがて決心したように扉を開いた。
「…ステイゴールド。」
「…サイレンススズカ。」
特別病室に入った瞬間、ゴールドとベッド上のスズカは視線を合わせた。
***
その頃。
ブルボンは、施設の階段を昇りながら電話で現状報告をしていた。
「…はい、人間に対して危険な行動を取りかけたウマ娘達は鎮静させました。予断許さない状況は続いていますが、今の所対処はとっています。」
「危険な行動を取りかけたウマ娘の今後の処置については、交渉の末に保留に漕ぎ着けました。…ええ、帰還執行処置は避けられました。しかし、もう次はない可能性が高いです。その時は、…はい、分かりました。ご心配はいりません。その覚悟は私も出来てます。…では。」
電話を終えたブルボンは、そのまま階段を昇っていき、やがて屋上に着いた。
壊れた扉を乗り越えて屋上に出ると、一面の夜空が広がっていた。
しかし星一つない真っ黒な雲に覆われていて、冷たい風が嵐のように吹き荒れていた。
あれは…
その寒風吹きつける屋上内に、一人立ち尽くして夜空を仰いでいるウマ娘を、ブルボンは見つけた。
「スペシャルウィーク。」
「…ブルボン先輩。」
ブルボンが歩み寄り声をかけると、スペはチラと彼女を見ただけで、じっと夜空に眼を向けていた。
寒風の中、制服姿のスペは上着も羽織ってなかった。
ブルボンが着ていたコートを脱いで肩にかけようとしたが、スペは大丈夫ですと断った。
「ここで何を?」
コートを羽織り直しながら、ブルボンは傍らに立って尋ねた。
「…昨晩のことを、思い出してました。」
スペは悲しみが残る表情で答えた。
「自らを責めていますか?」
「…。」
スペの表情が苦しげに歪んだが、しかしそれは一瞬で消えた。
「責められるべきだとは思っています。…でも、今その思いは封印することにしました。」
「何故ですか?」
「守りたい仲間がいるからです。」
「仲間…それは、サイレンススズカですか?」
「違います。」
ブルボンの問いに、スペは首を振った。
「スズカさんだけでなく、療養ウマ娘のみんなを守りたいのです。」
そう答えたスペの表情には、悲しみの色だけでなく強固な意志の色が滲んでいた。
「スズカしか意識のなかったあなたが、何故そのような心境に?」
ブルボンが辛辣な言葉を突きつけると、スペはブルボンの方を向いて答えた。
「負けたくないからです。絶望に、〈死神〉に。…“生まれながらに命の重みが分かっているウマ娘”として。」
絶望の嵐を感じているのか、スペ身体は微かに震えていた。
しかしその瞳には、絶望の嵐を灼き尽くしそうな異様な光が滾っていた。