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再び、療養施設の屋上。
先程までと変わらず屋上にいたスペのもとに、沖埜が現れた。
「ずっとここにいたのか。」
「はい。」
寒風が吹きつける中、二人は屋上に並んで腰掛け、星一つない夜空に眼をやりながら会話を交わしていた。
「先程まで、ブルボン先輩と話をしていました。」
「どんな話を?」
「トレーナーさんに伝えたことと同じものを、ブルボン先輩に伝えました。」
「…そうか。」
先程、最上階に昇ってきたスペが沖埜に言った言葉に対し、彼はまだ何も答えてなかった。
スペも沖埜の答えを待たず、そのまま特別病室にも寄らずにこの屋上に来ていた。
…。
沖埜はスペの表情を横目で見た。
彼女の顔色はかなり悪く、身体も震えを堪えているのが明らかだった。
ただ瞳だけ、先程と変わらず異様に強い光を放っていた。
「お前も、この〈死神〉と闘う気なのか。」
顔を向けず、沖埜は尋ねた。
「ええ。療養ウマ娘達を守りたい、その為に。」
震えを堪えているせいか声も小さかったが、スペははっきりとその言葉を口にした。
「守り“たい”、か。」
沖埜はその言葉を反芻した。
「義務感とか責任感とか、そういうものに突き動かされた訳ではないんだな?」
「はい。これは、このスペシャルウィークの意志です。」
「相手がどういうものか、分かってるか。」
スペの明確な意志を見せつけられながらも、沖埜は首を縦に振らなかった。
「これまでお前が直面してきた相手とは全く違うぞ。レースの相手でもない、競い合うチームの仲間達でもない。これまでお前が知りもしなかった全く無縁の世界…その膨大な負の塊が相手だ。」
「…。」
「絶望の底に落ちていく者に手を差し伸べるんじゃない、絶望に落ちようとする者の前に立ちはだかることになるんだ。もし救えなければ、自らも落ちる危険性が大。その覚悟はあるのか?」
「…ありません。」
スペは静かに首を振った。
「トレーナーさんが仰ったように、私はこの負の世界とは無縁のウマ娘でした。…いや、負の世界から守られていた。そんなウマ娘が、2、3日この世界の片隅に脚を踏み入れただけで、それほどの覚悟なんて抱けるわけがありません。」
包み隠さず、スペは吐露した。
「覚悟どころか、スズカさん、トレーナーさん達と一緒にこの世界から逃げ出したいという思いの方が本心かも知れません。」
「…。」
沖埜は何か言いかけたが、黙ってスペの続きの言葉を待った。
「でも、その心より、“みんなを守りたい”という思いの方が強いんです。」
スペは、白い手を胸に当てた。
「どうしてでしょうね?…身体の奥底に刻み込まれてしまったのでしょうか、『命の大切さ』というものを。」
言いながら、彼女の表情が僅かに翳った。
「…スペ。」
彼女が何を思い起こしているか、沖埜にも分かった。
「覚悟はない、経験もない。ましてや私は、愚かな行為すら重ねました。…それでも、私は闘いたいんです。守りたいんです。…例え、自らの行為を棚に上げるとしても、絶望の底に落ちようとも、…〈死神〉になろうとも。」
最後の言葉を口にした時、スペの眼光が強くなった
天使の優しさではない、ダービーウマ娘の闘志でもない。
彼女の心の奥底に閉ざされていた何かが蠢き出したような、そんな色彩を帯びていた。
「勝算はあるのか?」
スペの眼光に気付きつつ、沖埜は質問した。
「勝算はありません。あったらおかしいです。」
「まあそうだな。」
苦笑を含んだスペの返答に、沖埜は当然だなと言った。
「この世界を何も知らない。覚悟もない。闘う理由は“みんなを守りたい”というだけの単純な子供のようなもの。…実際まだ子供だけどな。」
「…ひどいこと言いますね。」
状況にそぐわない、揶揄うような沖埜の言葉に、スペも少し膨れた。
「だが、分かった。」
沖埜は、決断したようにスペの眼を見つめて言った。
「お前も、この〈死神〉と闘うがいい。トレーナーの私が認める。」
「トレーナーさん。」
「勝算はなくとも、その自信はあるのだろう?」
沖埜は松葉杖をついて立ち上がると、スペを見下ろして言った。
「私も、その自信を信じる。お前は、ターフの最強の座の一角を担うダービーウマ娘で、そして“命の重みが分かるウマ娘”であるスペシャルウィークだからな。」
「はい。」
スペは、掌にぎゅっと力を込めて頷いた。
「ただ一つ、これだけは命令だ。」
沖埜は最後に、異様な光を帯びているスペの瞳を、厳しい視線で見つめて言った。
「〈死神〉には、絶対になるな。」
それを言い残し、沖埜は屋上を去っていった。
***
療養ウマ娘達の病棟。
会見直後から相次いだ療養ウマ娘達の事の数々は、ルソーらの対処によって一旦落ち着いていた。
しかし療養ウマ娘達の間に立ち込める絶望感は、静けさの中で依然じわじわと拡がっていた。
その状況の元、各々集まっている療養ウマ娘達に夕食を配っている施設の食堂係員達の姿があった。
「…いりません。」
夕食を配られたものの、療養ウマ娘達はとても食欲などない様子でそれに手をつけようとはしなかった。
「…そう。」
配った食堂係員達も、現在起きている状況の事は把握しており、無理強いは出来なかった。
ただ、
「今回の夕食は特別だから、良かったら食べなさい。」
「特別?」
それを聞いて療養ウマ娘達は夕食を改めてみたが、怪訝そうに首を捻った。
「別にいつもある献立と大して変わらないものばかりだけど。…やたらニンジンが多い気がしますが。」
「そのニンジンが特別なの。」
彼女達の声を聞き、係員達は教えた。
「それ、全部スペシャルウィークからの差し入れなの。」
「スペからの?」
「彼女、どういう訳か大量のニンジンを施設に持ってきてたみたいでね。“美味しいから療養ウマ娘の皆に食べて欲しいです”って頼まれたの。」
「はー…別に何の変哲もないニンジンに見えるけど。」
療養ウマ娘達は暗い表情を浮かべていたが、やがて一人が箸をとって、それを口に入れた。
「…味も全く普通だね。」
「何それ。」
他の療養ウマ娘達も、それを食べ始めた。
「うん、…普通だ。」
「美味しいけど普通の美味しさだ。」
同じような感想を漏らし、すぐに箸を置いた。
「ま、良かったら食べてね。」
係員は強く薦めはせず、次の場所に向かっていった。
係員がいなくなった後、療養ウマ娘達はそのまま夕食を放置していた。
だが、やがて一人が再び箸をとった。
「食べるの?」
「…全然食欲ないけどね。」
けどと、その療養ウマ娘はニンジンを箸に挟んで言った。
「これ食べ残したら、スペシャルウィークが悲しむかもと思ってね。私達はもう…だけど、あの天使のように明るいウマ娘の笑顔だけは、これ以上曇らせたくないから。」
言いながら、それを口に入れた。
「…。」
「…そうだね。」
他の療養ウマ娘達も、箸とってそれを食べ始めた。
「おかしなもんだね…。」
食べながら、一人が呟いた。
「何もかも絶望的になってるのに、こんな日常的なことをしてるなんて。」
「…まだ生きてるからね。」
別の一人が呟くように答えた。
「最も、これが最後の晩餐になるかもしれないけど。」
「…それでも良いじゃない。ダービーウマ娘からのそれと思えば。」
暗い呟きに、また一人が食べながら微かに微笑した。
ブルボンや『フォアマン』の面々達も、それぞれの場所で夕食を配られていた。
「スペからの差し入れなんですか?」
「ええ。」
〈クッケン炎〉療養ウマ娘達といたルソーらは、現場に来ていたブルボンからそれを聞いた。
「先程、スペシャルウィークから頼まれて、彼女の宿泊室にあったニンジンを調理して療養ウマ娘達に配っています。」
「どれぐらいの量があったんですか?」
「約千本です。」
「…千本?」
「ダンボールが沢山ありまして、運ぶのが少々大変でした。」
「なんでそんなに?」
「…。」
シアトルとマイシンは怪訝な表情を浮かべていたが、ルソーとブルボンは、ニンジンの量はともかくそれがどういうものかは知っていた。
スペが、スズカの快復の為に用意していたものだと。
でもスペは、それを全て療養ウマ娘達に与えた。
それが何を意味するかは、二人とも察していた。
時刻は、21時を過ぎていた。
しばらく投稿期間空きます。
長期休載が相次ぐ中でも本作を読み続けて下さる読者の皆様ありがとうございます。