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迎えた、6年目。
普通でも年齢的に限界と言っていいのに、私は依然〈クッケン炎〉との闘いを続けていた。
そして、春先。
4度目の闘病生活を初めてから約10ヶ月、〈クッケン炎〉の症状に遂に良化の兆しが見られ始めた。
その後も症状の良化は続き、3月に私はレースに復帰することが決まった。
復帰したものの、何度も〈死神〉に蝕まれた脚は、既にボロボロの状態だった。
加えて、年齢による衰えも現れていた。
復帰に向けてのトレーニング中は、脚に常に痛みを感じていた。
その痛みが、また〈クッケン炎〉のものに変わるのではという恐怖感も、常に私の心に纏わり続けた。
その不安と恐怖に耐えられたのは、療養施設の仲間達やチーム仲間の存在があったから。
私と共にあの最果ての地で闘い続け、私の復帰に希望を託してくれた療養仲間。
帰ってきた私を迎え入れたトレーナー、共にトレーニングに励んでくれたチームの後輩達。
その存在が、私の心を支えてくれた。
でも何より大きかったのは、やはりブライアンとローレルの存在だった。
遥か遠くに離れ離れになってしまった状況の中、私の復帰を知ったローレルは心の底からそれを喜んでくれた。
途轍もない喪失感の中にいる彼女を喜ばせてあげられた、それが嬉しかった。
そしてブライアンも、私が復帰を我が事のように喜んでくれた。
それだけでなく、復帰後トレーニングに励む私の側にいつも寄り添ってくれた。
この世界で最も大切な同胞が側にいてくれることが、何よりの支えになっていた。
とはいえ、復帰がゴールでないという厳しい現実も理解していた。
私のゴールはただ一つ、頂点という栄光だけ。
それまでに乗り越えなければいけない壁はあまりに多く、残された時間ももう殆どなかった。
その現実と危機感も、私に重くのしかかった。
厳しい現実に対して、私は耐えた。
何をどうしようとも、私に残されているのはこの現実だけ。
それを受け入れて闘うしかないのだから。
私はゴールを目指すことを仲間に、大切な同胞に、そして散っていった同胞に誓ったではないか。
ならばどのような現実であろうとも、最後までその地点を目指して闘い続けるしかない。
それがこのオフサイドトラップの使命だと、自らに言い聞かせて。
そして、6年目の3月下旬。
私は復帰戦を迎えた。
復帰レースはオープン特別。
私の人気は、下から数えた方が早い順番にいた。
仕方がない、何しろ長期休養から復帰明けの上、年齢も高齢なのだから。
私のことなど、もう忘れているという人だって少なくないだろう。
私自身、どれだけ走れるかという不安もありながらの復帰戦だった。
復帰戦の結果は、2着だった。
1番人気だった勝者にはやや離されたものの、内容も着順も自分としては充分の結果で、それでかつ無事に走りきれたことが大きかった。
私の脚はもう痛み止めを使えない状態になっていて、脚の痛みを伴いながらのレースだった。
それでいて無事に走りきれたことは、今後のレースに向けての大きな自信になった。
その後、私は4月上旬に再びオープン特別を走った。
結果はまたも2着に敗れたが、状態は上向いている手応えを再び確認した。
ただ、内容を重視するのはここまでだと思った。
何せ、もう時間がない。
これから出るレースは、一戦必勝。
その決意を胸に刻みつけた。
そして5月中旬、私は重賞の新潟大賞典に出走した。
重賞では過去に何度も惜敗を繰り返してきたが、今回は勝てるという自信があった。
過去の惜敗は脚の状態の影響で最後伸びきれずなかったものが多い。
だけど今は、痛みを伴いながらも自分の力を出し切れるレースが出来る。
そして距離も適正といえる芝2000m。
一つの夢であった重賞制覇を叶えるべく、私は出走した。
…しかし、結果は2着だった。
1番人気のサイレントハンターをマークする形で先行でレースを進め、最後の直線では彼女を捉えて差し切るだけの展開にもっていけた。
だけどそこから二の脚三の脚をを見せたハンターの驚異的な粘りに、私の差し足はクビ差で届かなかった。
レコード勝ちだったハンターと共に非常に優秀なタイムを出したことで内容は評価されたけど、勝ちを信じていた私は嬉しくなかった。
…もう、内容で満足出来る時間はないんだ。
痛む脚を感じながら、私は悔しさを噛み締めた。
更に6月上旬、私は再び重賞であるエプソムCに出走した。
芝1800mと前走よりやや短くなったが、適正内の距離のレース。
今度こそ勝つと、私は覚悟を決めて出走した。
だけど、私はまた勝てなかった。
先行でレースを進めて、最後の直線で逃げ粘る先頭を捉えて並びかけた。
しかし完全に差し切ることが出来ず、手間取っているうちに差し足が鈍り、更には後続のウマ娘にも抜かれて僅差の3着に敗戦。
差し足が鈍ったのは馬場が重の影響もあったが、脚の痛みによるものの影響もあった。
これで、復帰から4戦連続の惜敗。
そういえば前回の復帰後も、惜敗の連続だった。
そして脚の状態が悪化して…。
思い出したくもない悪夢が、どうしても意識に蘇ってきていた。
それでも、走るしかない。
私は次のレースを、1か月後の七夕賞に定めた。
目指すは秋の大舞台。
その舞台に立つ権利を得る為には、もう本当に負けることは許されない。
勝つか、死ぬか。
痛む脚を引きずって、私は必死にトレーニングに励んだ。
療養仲間、チーム仲間、散った同胞達、ローレル、ブライアン…
痛みや絶望が私を覆いつそうとする中、私は私を支えてくれた者達を意識に呼び起こさせ、闘志を奮い立たせた。
…その中、6月中旬。
信じられない、恐ろしい知らせが入った。
ブライアンが、突然の病に倒れた。
ブライアンが発症した病は、命に関わる重大な病だった。
手術の末、なんとか危機は脱出したものの、彼女の病は予断を許さない状態だということだった。
急報を聞いた私は、すぐにブライアンの元に行った。
私が現場に着いた時、ブライアンの姿はベッド上にあり、病魔の苦しみと闘っている状態だった。
私は苦しんでいるブライアンの枕元に跪き、彼女の手を握って何度も呼びかけた。
こんな事が起きるなんて、夢にも思ってなかった。
あのナリタブライアンが…
世界一強い姿でターフに君臨していたブライアンが…
私達に栄光への夢を与えてくれたブライアンが…
私がこの世界で誰よりも愛する同胞であるブライアンが…
命の危機に晒されてるなんて…
受け入れられない悪夢に、私はブライアンの手を握りしめながら涙が溢れた。
そんな私を、ブライアンは苦痛の中で、見つめてくれていた。
私も涙が溢れたまま、ブライアンの微かに見開いた瞳を見つめ返した。
レースのことも何もかも忘れ、私はただひたすら祈り続けた。
神様…どうかブライアンを助けて下さい。
やがて、ブライアンは苦痛から徐々に解放されていった。
容態も落ち着き、私は安堵した。
それでも依然ブライアンの命が危険だという現実に、私の心には大きなショックと不安が残っていた。
その後、私はブライアンと別れ、学園に戻った。
心に多大なショックと不安を抱えたままだったけど、私はそれでも学園に戻るとこれまでのように懸命にトレーニングに励んだ。
本当は、ブライアンの側にずっといたかった。
病と闘う彼女の掌をずっと握っていたかった。
ブライアンのことが心配で心配で、それだけで心が崩れ落ちそうだった。
だけど…私がブライアンにしてあげる最大のことはこれなんだと、私はトレーニングに集中した。
私がレースに勝つこと、私が夢を叶えること。
それが、何よりブライアンの力になれるんだ。
崩れかける心の中で、私はそう叫び続けた。
押し寄せる巨大な絶望、相次ぐ同胞の悲劇、抗いようもない追い詰められた現実。
私は自分がそれらに潰されていないのが不思議だった。
いや、実際には潰されていたのかもしれない。
それでも闘い続けていられたのは、私が背負ったものがそれを許さなかったから。
どれだけ同胞達の最期を見てきたか?
同胞達の無念を感じてきたか?
散っていったその魂達を集めたか?
全ては〈死神〉を乗り越え、そして栄光の景色を得る為だ。
絶望に抗う同胞達に希望を見せる為だ。
散っていった同胞達の魂を昇華させる為だ。
それ以外、私の存在意義はない。
無為に終わるなんてことは、私はもう許されない。
この時既に、私は本来のウマ娘の存在意義というものから、遥かにかけ離れた存在となっていたのだろうか。
いや、心は残っていた。
ブライアンが、いたから。