1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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予兆(1)

*****

 

 

 

11月1日。

天皇賞・秋の日の夜、府中競バ場。

 

表彰式などが全て終わった後、『フォアマン』トレーナーの岡田正貴は、オフサイドトラップの姿が見当たらないことに気づいた。

岡田は共に競バ場に来ていたチームの面々を先に帰らせ、自身はオフサイドの姿を一人探していた。

 

 

やがて、誰もいなくなった府中競バ場の観客席の中に、天皇賞の盾を手に真っ暗になったコースを黙念と眺めているオフサイドの姿を見つけた。

 

「オフサイド、ここにいたのか。」

「トレーナー。」

「どうしたんだ、こんな所に一人で。」

尋ねながら、岡田はオフサイドの傍らに腰掛けた。

 

 

「別に…ただちょっと、現実に起きたことが色々と信じられなくて。」

岡田の尋ねに、オフサイドは両腕に抱えている天皇賞の盾をコースを交互に見つつ、特に感情のない口調で答えた。

「…そうか。」

岡田は、真っ暗なコースの方に視線を向けた。

「私もまだ信じられないよ。お前が天皇賞を制するという偉業を成し遂げた現実がな。」

 

「…。」

オフサイドは無言で、盾を抱えた両腕にぎゅっと力を込めた。

その仕草に気付きつつ、岡田は言葉を続けた。

「お前は本当に凄いウマ娘だ、オフサイドトラップ。私はトレーナーとして様々なウマ娘と巡り会ってきたが、お前程に私の理解を超越したウマ娘は初めてだ。」

 

「褒めてますか、それ?」

「褒めるというより脱帽だな。」

ちょっと渋い顔したオフサイドに、岡田はかすかに表情を緩めた。

「はっきり言って、私はこのレースでお前が勝てると思ってなかった。それどころか、故障する可能性の方が高いと危惧してた。レース後にお前の骨を拾う覚悟もしてた位だ。」

「…。」

「だけどお前は、私の予想を遥かに超えた結果を出した。この私ですら戦慄しそうになる程の容赦ない戦略と走りで、栄光を手にした。まさに、理解を超越したウマ娘、としか言いようがない。」

言いながら、彼の視線は、オフサイドの右脚に向けられていた。

 

岡田の視線に気付き、オフサイドは右脚に手を当てた。

「よく、ここまでもってくれたと思います。」

包帯が巻かれたている部分を労わるようにさすりながら、彼女はぽつりと呟いた。

岡田もその部分に視線を向けたまま、言葉を続けた。

「おそらく、守ってくれたんだろうな。」

「…?誰が何を?」

「お前が背負い守ろうとしてきたものが、お前の限界を守ってくれたんだって意味さ。」

岡田は初老の表情を綻ばせた。

 

 

「私は、守れたんでしょうか?」

明るい表情の岡田と対照的に、オフサイドの表情は暗く見えた。

「え?」

「私は、守りたいものを守ることが出来たんでしょうか。」

 

「ああ。」

オフサイドの心情を察しつつ、岡田は強く頷いた。

「お前は守れたよ、間違いなく。」

 

「…。」

岡田の力強い言葉を受けながらも、オフサイドの表情から翳りは残ったままだった。

 

 

少しの沈黙が流れた後、岡田は立ち上がった。

「私はそろそろ引き上げる。お前はどうする?」

「私はもう少しここにいたいので、後で一人で帰ります。トレーナー達はどうぞお先に。」

「そうか。じゃあ、気をつけてな。」

オフサイドの心境に配慮し、岡田は軽く頷くと場を離れた。

 

「あ…そういえば、」

場を離れかけた岡田に、オフサイドはふと思い出したよう尋ねた。

「ステイゴールドはどうしてますか?」

 

「…ゴールドは、スズカが搬送された病院に向かった。」

岡田は立ち止まり、やや表情を硬らせて振り向いた。

 

「スズカ…」

その名を聞いて、オフサイドは盾を抱きしめる力を強くした。

「スズカの容態について、何か続報はありましたか?」

「変わってない。予後不良級の重傷で懸命の治療が続けられているということだけだ。」

岡田は努めて平然とした口調で答えた。

 

「…。」

オフサイドはそれ以上何も尋ねず、再び視線をコースの方へと向けていた。

 

 

「オフサイド、誇れよ。」

無言になった彼女の背に、岡田は最後に言った。

「お前は紛れもなく天皇賞ウマ娘の栄誉に輝いたんだ。この第118回天皇賞・秋において最強のウマ娘だったんだ。誰もが、それを分かってくれる筈だ。」

 

「…。」

岡田の言葉に、オフサイドは何も答えなかった。

岡田もそれ以上は何も言わず、再び背を向けて歩き出した。

 

 

 

その時。

…?

岡田は、突然背後に冷たい空気を感じ、背筋に緊張が走った。

 

「…。」

振り向いた彼の眼に入ったのは、先程までと変わらない姿勢で座り込んでいるオフサイドの姿だった。

だがその彼女の全身から、何かどす黒い闇の底のような気配が溢れ出ているのを、岡田は感じた。

 

「…オフサイド?」

「…はい?」

思わず岡田が声をあげると、オフサイドは怪訝そうに振り向いた。

溢れ出ていた禍々しい気配は、一瞬で収まり消えていた。

 

「…いや、なんでもない。」

岡田は背筋に緊張を走らせたまま、誤魔化すように首を振った。

額に汗が滲んでいた。

 

 

***

 

 

あれは…

 

競バ場を後にし帰路についた岡田は、先程オフサイドから一瞬溢れ出していた気配のことをずっと脳裏に思い返していた。

あの気配は、あれと同じだ…

20年以上前にあったハマノパレード事件の時、そして数年前のサンエイサンキュー事件の時、怒りと悲しみを爆発させたウマ娘達の間に蠢いていた気配と同じだと。

 

 

どういうことだ?…何が起きているんだ?オフサイド…

 

 

オフサイドが遂に夢を叶えた筈であるこの日、岡田はこれまでとは違う彼女の異変に、強い憂いと不安を感じ始めていた。

 

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