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「…はい、今オフサイドは私といます。…いえ、今は二人だけにさせて下さい。…はい、終わりましたら必ず連絡します。…では。」
競バ場から数キロ離れた場所にある喫茶店。
店外で、ビワハヤヒデと電話で連絡をとっていた三永美久は、それを終えると店内の席に戻った。
「場所は教えてないけど、あなたが私といるということは伝えといたわ。」
そう言いながら腰掛けた彼女の前には、オフサイドトラップの窶れた制服姿があった。
昼過ぎ、オフサイドの後を追ってメジロの別荘を発った美久は、他に彼女と追った者達と同様に、途中で消息が分からなくなった彼女の身を探していた。
そしてつい先程、夜道を一人彷徨っていたオフサイドの姿を見つけ、彼女を保護しここに連れてきていた。
「一体どうしたの?中山に向かう途中で送迎を断って、どこに向かうともなく彷徨っていたなんて。」
二人以外は他に客のいない、しんとした店内。
オフサイドに温かい珈琲を与えながら、美久は尋ねた。
「美久さんこそ、何故私を探していたのですか。」
卓を挟んで彼女の前に座っているオフサイドは、手元に視線を落としたまま尋ね返した。
「あなたと話がしたいからに決まってるじゃない。あなただってそれを知ってて、出し抜け食わせた癖に。」
「…。」
メジロの別荘に尋ねてきた美久のその頼みを受けながら何も言わずにその場を去ったことを指摘され、オフサイドは黙った。
「気にしないで、そのことを咎める気はないから。」
俯き気味になったオフサイドにそう言いながら、美久は珈琲を飲んだ。
オフサイドトラップ…
コーヒーを飲みながら、美久は今一度オフサイドの姿を見つめた。
今の彼女の状態がどれほど深刻なものであるか、美久にははっきりと分かっていた。
完全に、心身とも〈死神〉に巣食われてるじゃない…
ただの人間には分からないだろうが、ウマ娘界に深く関わり続けてきた美久にはそれが一目瞭然だった。
しかもそれが、ウマ娘にとって最も恐るべき“負”の〈死神〉だということも。
「オフサイド、」
美久はコーヒー杯を置くと、オフサイドに尋ねた。
「あなたは、生徒会の会見は見たのかしら?」
「会見?」
その質問に、オフサイドは怪訝な表情を見せつつ答えた。
「何の会見ですか?」
「…なんでもない、忘れて。」
質問を誤魔化し、美久は手元に視線を落として黙った。
当事者であるにも関わらず、オフサイドが会見があったことすら気づいていないことが分かったから。
…彼女が考えているのは、明日の有馬記念だけ。
美久はそれを悟った。
有馬記念出走。
しかもそれは、他の出走者みたいに栄光を掴む為でもなければ、有終の美を飾る為でもない。
自身の命と共に、使命に終止符をうつ為の出走だ。
それほどの決意を抱いてるオフサイドが、例えどれほどの重大事だったとしても、他の事に意識を取られる訳などなかった。
終止符…
その言葉が浮かぶと同時に、美久の脳裏に遥か以前の記憶が蘇った。
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6年前、有馬記念の日。
「やめた方がいい!今からでも遅くない!」
「どう考えても危ないよ!今、あんたは脚も心もボロボロなんだよ!」
「ライスも心配してたわ。ブルボンもあなたの状態を聞いて止めるべきだと言ってた。なのに、なんでそんな無理を?」
有馬記念出走者の入場前。
出走メンバーの一人であるサンエイサンキューは、地下通路で同期のウマ娘達に囲まれていた。
同期は皆サンキューと親しいティアラウマ娘で、彼女の有馬出走を必死に阻止しようとしていた。
「分かってるよ…」
同期達に対し、サンキューは俯きながら頷いた。
「厳しいローテの影響で私の脚が悲鳴をあげてるのも分かる。エリザベス女王杯前の事件で受けた心の傷が深く残っているのも分かってる。…トレーナーが、私に対して愛情が全く無かったことだって…。」
「じゃあ、尚更なんで出るのよ⁉︎」
サンキューの言葉を聞いたティアラウマ娘達は、泣きそうになりながら言葉を続けた。
「自分がどうなってもいいの?これ以上無理を重ねたら、取り返しのつかないことになるかもしれないんだよ!」
「酷薄なトレーナーの言うことなんて聞かなくていのよ!今からでも逃げ出して、あなたを大切にしてくれる新しいトレーナーを探していいんだよ!」
「…トレーナーのことを酷く言わないで!」
その言葉を聞き、サンキューは心配する同期を強い眼で睨んだ。
「…どうして?」
サンキューの態度を見て、同期達は不可解そうに声を漏らした。
「なんで、あんな酷いトレーナーを庇うの?」
「あのトレーナーのせいで、マスコミに心外なこと書かれるかもしれないんだよ。そうなったら…」
「分かってるって言ったでしょ!トレーナーは私のことを道具のようにしか思ってないって!でも…、」
サンキューは同期達の言葉を遮り、身体を震わせながら言った。
「…私はそれでも、トレーナーの元でこれだけの成績が挙げられた。重賞を何度も勝てた。G1で何度も好走出来た。そして、この夢の舞台である有馬記念にも出られた。私はトレーナーに感謝してる。だから、トレーナーのことは酷く言わないで…。」
「だけど…だけどさ、」
サンキューに咎められたものの、同期の仲間達は彼女を心配するあまり涙が溢れ出した。
「私達…サンキューが心配で…取り返しがつかないことになるんじゃないかって…」
「大丈夫。」
泣き出した同期達を、サンキューは肩を抱いて慰めた。
「私、この有馬はただ無事に走り終えることだけ考えてるから。それに、このレースを最後にトレーナーと別れることも決めてる。」
「そう…なの?」
「だから、どうか後は見守ってて。…皆、私を心配してくれてありがとう。」
「…分かった。」
サンキューの言葉を聞き、同期達は涙を拭いながら祈るように言った。
「どうか、無事に走り終えてね。…このレースさえ終われば、サンキューの苦しみは終わって、新しい未来が待ってるんだから。」
「…うん。」
同期達の言葉に微笑を返し、サンキューは背を向けると、ターフに向かって脚を軋ませながら駆けていった。
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喫茶店。
「…。」
記憶を思い返している美久の手が、テーブルの上で無意識に震え出していた。
「…?」
彼女の異変にオフサイドは気づいたが、何も言わずに黙っていた。
しかし、震え出したまま一向に何も喋らない美久を前に、オフサイドは息を一つ吐くと、席から腰を上げた。
「お話があると聞いてましたが、どうやらそうでもなさそうですね。」
「…。」
「私、これから向かう先があるので、失礼します。」
美久のことを全く気にせず、オフサイドは冷淡な口調で言うと、席を離れかけた。
「あなたも、〈死神〉に浸されたのね。」
背を向けかけたオフサイドに、手元の震えを残したまま、美久はぽつりと言葉をかけた。
「…。」
オフサイドの動きが止まり、それからゆっくりと美久を振り返った。
「今、なんと?」
「…〈死神〉に浸されたのねと言ったのよ。」
「美久さんと同じく?」
「そう、私と同じく…。」
美久はオフサイドの方を見ず、手元の震えに視線を落としながら言った。
橙色の蛍光灯が照らす中、二人の間に沈黙が流れた。
「なるほど。」
立ったまま、しばらく硬直したように美久を見下ろしていたオフサイドは、やがてフッと息を吐くと、立ちかけた席に座り直した。
「三永美久さん。あなたはまさか、かつてウマ娘だった方なのですか?」
「…うん。」
視線は落としたままだったが、手元の震えをなんとか抑え、美久は頷いた。
「もしや、」
美久の姿を凝視し、オフサイドは更に言った。
「サンエイサンキュー先輩、でしょうか?」
その言葉と同時に、オフサイドの全身から凍えるような冷たい空気がゆっくりと溢れ出し、纏わりつくように美久の周囲を覆い始めた。
「…。」
かつて浸された記憶のある〈死神〉の感触を全身に受けつつ、美久ことサンエイサンキューは無言で頷いた。