1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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失心(6)

***

 

 

喫茶店内。

 

「…。」

静寂の中で瞑目していたオフサイドは、やがて眼を開くと、手元のコップの中身を全て飲み切った。

 

「サンキュー先輩の反省も選択も、間違っているとは思いません。」

空になったコップを置き、ようやく彼女の口から出た声色は、砂漠のように乾いたものだった。

「自らの経験を踏まえて、私の決意を止めようとする行動も、絶対に正しい。私が先輩の立場でも、恐らく同じことをしたでしょう。」

 

「…。」

俯いていたサンキューは、その言葉を聞いて、顔を上げた。

 

そしてオフサイドの表情を見て、体中の血が冷たくなったような感覚がした。

肯定の言葉と裏腹に、オフサイドの表情は、先程よりも一層冷酷な表情になっていたから。

 

 

「でも、」

オフサイドは、冷たい瞳で彼女を見つめ返し、そして言った。

「もう、サンキュー先輩もお気付きでしょう?先輩の言葉も願いも、私の心に全く届いてないことに。」

冷酷な言葉が、サンキューの心を無情に突き刺した。

 

 

「…全く届いてない?」

「ええ、掠りすらしてません。」

愕然としたサンキューに、オフサイドは更に言葉を突き刺した。

「残念ですが、サンキュー先輩と私とでは、状況が似ているだけで本質は全然違いますから。」

 

「本質…」

「全てに絶望した、自分などどうでもよくなった。帰還さえ求めた。そして、人間の罪も背負った。その点は、私と先輩は共通してるかもしれません。」

オフサイドは手元に暗い視線を落とした。

「だけど、私はそんな思いだけで有馬に出る訳じゃない。絶対に出なければならない、その責任が…使命があるからです。」

 

「責任…それは一体」

「サンキュー先輩には分からないことです。」

サンキューの質問をオフサイドは遮り、視線を上げた。

「私と先輩とでは、生きてきた世界が違い過ぎる。だから、私を止めようなんて無駄なことはしないで下さい。」

 

「え…」

「無関係な部外者がどんな言葉を並べても、絶対に私の決意は変えられません。」

オフサイドの口から出た言葉は、信じられないくらい冷たいままだった。

 

…“無駄”…

“無関係”…

オフサイドが放った冷酷な言葉は、凶悪な力でサンキューの心の芯に深く突き刺さり、彼女の表情はみるみる蒼白になった。

 

…私が、私にしか出来ないことだと信じて、決死の思いで遂行した行動も言葉も、無駄だった?…

胸の中が冷たくなって、目の前が真っ暗になっていく気がした。

 

 

「…。」

蒼白になったサンキューを見て、オフサイドは溜息を吐いた。

〈死神〉が、サンキューを完全に覆ってしまったのが分かったから。

「もう、ここまでですね。」

 

表情も変えずに呟きながら、オフサイドはスマホを取り出した。

 

 

 

***

 

 

…誰に連絡を?

店外の、離れた物陰から店内の様子を注視していたビワは、オフサイドがスマホを取り出した様子を見て怪訝に思った。

 

すると、

『ピリリリ…ピリリリ…』

突然、自分のスマホが鳴った。

ハッと物陰に隠れて通知相手を見ると、誰あろうオフサイドからだった。

 

「オフサイドトラップ…」

『ビワハヤヒデ先輩、近くにいらっしゃいますよね?』

電話の向こうから聴こえたオフサイドの声は、これまで聞いたことがないくらい無感情で冷たかった。

 

「…ああ、」

肌に粟立ちを感じながら、ビワは応えた。

「…その通りだ。私は君達のいる喫茶店の近くにいる。」

『お気になさらず。咎める気はありませんから。ただお願いがあります。』

「何だ?」

『サンエイサンキュー先輩のことを、どうか宜しくお願いします。』

 

「…どういうことだ?」

『状況は説明するまでもないかと思います。…では。」

一方的にそこまで言うと、電話は切れた。

 

電話が切れると同時にすぐに店の方を振り返ると、店を出て行くオフサイドの姿と、テーブル席に突っ伏しているサンキューの姿がビワの眼に飛び込んだ。

「!」

ビワは息を呑み、すぐに店に向かった。

 

 

 

***

 

 

 

「サンキュー先輩!」

「…無駄…だったのね…」

店内のサンキューのもとに駆けつけると、彼女は顔面蒼白な状態でテーブルに身体を伏せ、うわ言を言いながら全身を震えさせていた。

錯乱こそしてないものの、尋常でないショックを受けているのが明らかだった。

 

「…っ」

彼女の状態を見て、ビワはすぐにメジロ家の使用人に連絡をとり、現場に来るよう要請した。

 

「しっかりして下さい!」

メジロ家の使用人に連絡をとった後、ビワは意識朦朧としているサンキューの身体を抱き支えた。

サンキューの身体は冷たく、完全に心をやられているのを肌身通してはっきりと感じた。

「サンキュー先輩、分かりますか?私が誰だか分かりますか?」

彼女を侵食した〈死神〉をはらい除けようと、ビワは必死に呼びかけた。

 

「…ビワ…ハヤヒデ…?」

何度も呼びかけるうち、サンキューはかすかに光を戻した眼でビワを見つめた。

 

「サンキュー先輩…」

彼女が反応したのを見て、ビワは一瞬安堵し、そしてすぐに悔恨の表情になった。

「申し訳ない。やはりあなたを、オフサイドに会わせるべきではなかった。」

ライスシャワーの帰還や、ウマ娘としての記憶が蘇ったばかりという状態にあるサンキューの心身を顧みれば、今の状態にあるオフサイドを相手することはやはり無謀だった。

 

「…ごめん、ライスシャワー…」

ビワの謝罪も耳に入らないのか、サンキューはまたうわ言のように言葉を漏らした。

「私の声…届かなかった…」

その言葉を最後に、サンキューは意識を失った。

 

 

 

「ビワハヤヒデ…サンエイサンキュー⁉︎」

サンキューが意識を失った直後、ビワの連絡を受けていたルビーとヘリオスが現場に駆けつけた。

「…一体、何があったの?」

意識を失っているサンキューの姿を見て、二人とも愕然とした。

 

駆けつけた二人に、ビワは手短かに一連の事を説明した。

 

「サンキュー先輩はかなり危険な状態です。私は彼女を病院に搬送しますので、お二人はオフサイドの後を追って下さい。」

「了解。」

ビワの指示を受け、ルビーとヘリオスはすぐに外へ向かった。

 

 

 

外に出ると、先に店を後にしていたオフサイドの姿はどこにも見えなかった。

 

しかし二人共、オフサイドが向かった先を敏感に察知していた。

「今度こそ、競バ場へ向かったようですね。」

「ええ…」

ルビーもヘリオスも、その方角に禍々しい空気が移動しているのを感じていた。

 

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