1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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宣戦布告(1)

 

*****

 

 

オフサイドの後を追っていたルビーとヘリオスは、先程までいた中山競バ場に着いていた。

 

競バ場は先程までと変わらず、人気のないしんとした夜の闇と静寂に包まれていた。

 

「やはり、オフサイドトラップはここに来たようですね。」

オフサイドの姿は見当たらなかったが、彼女がここに来ているであろうことは、場内に蠢いている異様な空気から二人とも分かった。

「観客席の方、でしょうか。」

「ええ。」

異様な空気の中で途轍もない負のオーラをその方向から感じとり、二人は頷き合いながら観客席へと向かった。

 

 

 

 

競バ場の屋外にある、広々とした大観衆専用の観客席。

レース開催時には何万人という観衆で埋まり熱狂と歓声がこだまするこの場所も、今は夜風が吹きつけるだけの寒々とした光景が広がっていた。

勿論、人影などはどこにも見当たらない。

ただ一人、ゴール前の最前列の場所に立って、コートを寒風に靡かせてコースの景色を眺めながら、禍々しい空気を全身から醸し出し続けている栗毛のウマ娘を除いては。

 

 

 

「生徒会役員の、ダイイチルビー先輩とダイタクヘリオス先輩ですね。」

夜闇の静寂の中、一人コースを眺めていたオフサイドは、背後から近づいてくる気配に対し、背を向けたまま声をかけた。

 

「その通りです。」

観客席に入ってすぐにオフサイドの姿を見つけた二人は、声をかけられると彼女の十歩程後ろで脚を止め、その問いに答えた。

「あなたに会いに来ました。天皇賞ウマ娘、オフサイドトラップ。」

 

「“天皇賞ウマ娘”、ですか。」

かけられたその言葉を口元で呟いたものの、オフサイドは特に反応もせず、振り返りもしなかった。

 

 

「しかし、いつ見ても、ここは本当に素晴らしい場所ですね。」

二人に背を向けたまま、オフサイドはコースを眺めながら淡々と語り出すように口を開いた。

「このコースの鮮やかな景色と澄み切った空気、踏みしめた時に感じるターフの感触。そして大観衆の歓声。我々ウマ娘にとって生き甲斐であるレースが開催されるこの場所は、まさにその場に相応しい、最高の夢舞台です。」

言葉の内容と裏腹に、オフサイドの口調には全く感情がこもってなかった。

 

「…とはいえ、ここはただ輝かしいことばかりの場所じゃない。」

オフサイドは、賛美の言葉を変えた。

「変えようのない勝敗という厳しい結果と現実が待ち受ける場所でもあり、大観衆の望みを虚しさに変えてしまう場所でもあり、そしてウマ娘から夢や希望、時には命すらも奪うこともある残酷な場所でもあります。私の大切な後輩であったシグナルライトや、お二人にとってかけがえのない存在であったケイエスミラクル先輩のように。」

 

「っ…。」

明らかに意識して言ったであろうオフサイドの言葉に、ルビーが微かに表情を歪めた。

「…。」

ヘリオスは彼女の心の揺れを抑えるように、無言でその肩に手を当てた。

 

「でも、どんな残酷なことがあろうと、この場所はウマ娘にとって永遠の夢であり生き甲斐である場所には変わりません。」

背後の気配の揺れを気にせず、オフサイドは言葉を続けた。

「夢と命を懸けることが出来る場所。自分が生きた証を残せる、確かな尊厳が存在する場所…私はそう信じてました。私だけでなく、全ての同胞達が。」

最後の言葉が、異様に冷たい口調だった。

 

「しかし、その尊厳は穢れました。ウマ娘が最も憧れ夢見ていた大舞台において、幾千万の同胞の魂を裏切って。」

冷たい声で言いながら、オフサイドは二人を身体ごと振り向いた。

「その結果、同胞の魂は〈死神〉に浸されました。私の中にあった無数の同胞の魂も、〈死神〉に浸され、絶望の底へと落ちました。尊厳なき勝者、尊厳なき天皇賞ウマ娘であるこのオフサイドトラップの魂と共に。」

 

振り向いたオフサイドの眼は、声色よりも冷たい色を帯びて不気味に青白く光っていた。

コースを背にした彼女の身体から、寒風に靡く栗毛と共に、〈死神〉の影がはっきりと揺らめいていた。

 

 

 

「話には聞いてましたわ、オフサイドトラップ。」

オフサイドの言葉と、彼女と共に揺らめく〈死神〉の影を前に、ルビーがゆっくりと口を開いた。

「岡田トレーナーや生徒会長から、あなたが〈死神〉に魂を侵食されてしまったということを。…まあ、直にこうしてあなたと会ってみれば、事前の情報がなくとも分かりますが。」

〈死神〉の影を前にしながらも、ルビーは動じることない様子で、微かに微笑さえ浮かべながらオフサイドと向かいあっていた。

 

「先輩方ほどのウマ娘ならば、それも当然でしょう。」

動じないルビーの微笑を前に、オフサイドも冷たく微笑を返した。

「長いキャリアの中で、私のように堕ちたウマ娘が現れた経験は何度もおありでしょうからね。」

 

「ハハ、何を言うのさ。」

オフサイドの言葉に、ヘリオスが苦笑しながら口を開いた。

「確かに、闇堕ちして〈死神〉に侵食されたも同然になってた同胞が現れた経験は何度かあるよ。私だってなりかけたことあるぐらいだし。…だけどねオフサイド、あなたはその桁が全然違うよ。」

 

普段の口調で言いながら、ヘリオスはポケットに入れていた手を出し、オフサイドの姿を指差した。

「まず脚には病の〈死神〉が、心には絶望の〈死神〉が、そして魂には、最悪の負の〈死神〉が巣食っているじゃない。夢も希望も何もなくなって、ウマ娘の面影が消えかけてるわ。闇堕ちとか侵食とかそういう次元じゃない。こんな恐ろしい同胞の経験なんて、ある訳がないよ。」

まさに〈死神〉同然のウマ娘になってしまってるよと思いつつ、ヘリオスは言った。

 

「…。」

オフサイドは無言で、また微笑した。

寒空の夜闇の中、更に冷たさと暗黒さが増したような微笑だった。

 

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