つと、オフサイドは自らから立ち昇る膨大な〈死神〉を見上げた。
見上げたまま、再び口を開いた。
「本来なら、その時に絶望が爆発してもおかしくありませんでした。だけど私は、最後の力を振り絞ってそれをなんとか抑え込みました。」
「…抑えこんだと?」
「虚無の底に落ちたけど、絶望が爆発して全てのウマ娘に災いが降りかかることは避けたかったですから。」
マックイーンの表情が僅かに動いた一方、オフサイドは無表情のままだった。
「でも、ここまで絶望が巨大化した以上、どんなに抑えようともいずれ爆発することは目に見えてました。たとえ私が帰還したとしても、それを阻止出来るとは思えない程に。」
「…。」
「だから私は、絶望の爆発が起きたとしても、それの災いを最小限に抑えられる状況にしなければいけないと思ったんです。…そして、私はその可能性がある舞台を見つけました。」
「舞台…」
マックイーンは、すぐにそれが何か分かった。
「その舞台こそが、有馬記念ということですか。」
「仰る通りです。ウマ娘にとって最高の夢舞台にして、最強のウマ娘達が集う場所。絶望をも凌駕するかもしれない、魂の煌めきがで満たされる場所かもしれないと、私は思いました。」
「…。」
オフサイドが淡々と話す一方、彼女の言葉を聞き続けるマックイーンの瞳には、先程までと違い疑念の色が滲んでいた。
それに気付いてか知らずか、オフサイドは淡々と続けた。
「そこから、私の最後の闘いでした。爆発しそうな絶望と、虚無の底に落ちた自らの心を抱えて、私は日々耐え続けた。目標もない、希望もない。何もかも失った。私を動かしたのは、絶望の爆発を有馬記念の場にもっていかねばならないという思いだけ。」
「…。」
「そして…ここまで来ました。」
その言葉の後、オフサイドとマックイーンの間にはなんとも言えない沈黙が流れた。
しばらくの間、聞こえるのは寒風の音だけだった。
「“思いだけ”、ではありませんね。」
沈黙を破ったのは、マックイーンの冷徹な声だった。
「その思いだけでは、例えあなた程のウマ娘といえども、虚無の底に落ちて状態で絶望を抑えられるとは思えませんわ。断言出来ます。」
「…。」
「オフサイドトラップ、もう、本心をはっきりと仰って構いません。」
「流石は生徒会長、ご明察ですね。」
マックイーンの指摘に、オフサイドはふっと息を洩らした。
凍てついてた表情に、今度こそ危険な微笑が浮かび上がっていた。
「ご指摘の通り、思いだけでこの絶望を抑え切れる訳がない。抑えられた理由は、私が〈死神〉を受け入れたから。」
「…つまり。」
「ええ、」
マックイーンが推測しているであろうことを、オフサイドは認めるように頷いた。
「これ以上、無理に絶望を抑えるよりことより、いっそその絶望を爆発させた方がいいと思った。この巨大な絶望の爆発に同胞達が耐えられるのか、私は知りたくなったのです。それで、私は侵食した〈死神〉をそのまま受け入れようとした。」
「…“絶望を爆発させた方がいい”…ですか。」
「そう。要するに、私は〈死神〉の力を手に入れて、自らの意志で『大償聲』を起こしたいと思った訳ですよ。」
オフサイドの頬が更に歪み、危険な微笑が更に増した。
「そんな、ウマ娘にあるまじき思いを抱いた結果、私は〈死神〉を受け入れることが出来た。」
微笑みを湛えながら、オフサイドは自らの掌を見つめた。
「正しくは〈死神〉と融合したというべきでしょうか?そして私は望み通り、『〈死神〉の『領域』』の力を得ることが出来た。絶望を抑えてた側から、絶望を率いる側に変わることが出来たという訳です。」
「…。」
「今日まで『大償聲』が起きなかった理由は、それなのですよ。」
「絶望を爆発させる…それがあなたの言っていた“〈死神〉との決着”であり、“使命”ということですか。」
正気とは思えない告白を聞きながら、マックイーンは冷徹な表情を変えなかった。
「ご明察。私は〈死神〉に敗れ、そして自ら〈死神〉の傀儡になった。その理由は、個々はなくウマ娘界の未来をかけた規模で〈死神〉と同胞を対決させたいが為です。そう、絶望との闘いが続いた長い歴史において一つの“決着”をつける為に。」
「…。」
「その状況をつくることこそが、このオフサイドトラップが辿り着いた真の“使命”だと信じた訳ですよ。たとえその結末が、同胞達に巨大な不幸を招くことになろうとも、です。」
狂気の微笑が、オフサイドの表情に浮かび続けていた。
「全部、あなたの計画通りだったという訳ですか?」
狂気の笑みを露わにしたオフサイドを見据え、マックイーンは静かに尋ねた。
「あの天皇賞・秋の騒動後、学園で絶望に苦しんでいた姿を我々に見せつけ続けたことも、過去に散った同胞達の記録を見せつけて人間との対峙を決断させたことも、…ステイゴールド達に負の感情を植え付けさせたことも。」
「全てが計画的、という訳ではないですね。」
オフサイドは笑顔で、栗毛の髪を払った。
「人間との対峙に関しては、私はどちらでもいいと思った。あの最果ての実情だけを伝えて、あとは生徒会長達の方針に任せる所存でした。私の相手は同胞だけ。人間なんてもう相手にしたくありませんし。」
「…。」
「それに絶望を見せつけたといっても、私は実際絶望しきっていたからそれは本当ですし。ただその絶望よりも、『〈死神〉の領域』を手に入れたことでの使命感と高揚感の方が強かっただけで…まあ誇張に絶望を演技する余裕はあったでしょうか?」
「オフサイド…」
「でも変に平気な姿を見せたら、いざ『大償聲』を起こした時に同胞達が一方的に絶望に飲み込まれてしまうだけでしょう?それじゃ勝負にも何にもならないし、望まない犠牲まで起きる可能性がある。だから周囲から危機感を失わせない為に、絶望の姿を見せ続けた訳です。」
「とはいえ、それが予想外のことも招いてしまいましたけどね。」
沈黙して自らを見据えるマックイーンに対し、オフサイドは笑みを絶やさず言葉を続けた。
「特にゴールドが、まさかスズカに全てを暴露してしまうとは全くの想定外でしたからね。」
「…あなたが有馬で帰還する決断をしたと彼女が知ってしまったなら、それは充分予想出来たことではありませんか?」
「どちらかといえば、生徒会長の過ちに思えますがね。私の決断を上手く隠していれば、ゴールドは暴露などしなかったのでは?」
「あなたのことを同胞の誰よりも慕う彼女に、そのことを隠すなど不可能ですわ。」
「ハハ、それもそうですね。」
ふっと苦笑しながら、オフサイドは療養施設の方角に目をやった。
「ゴールドの暴露により、療養施設で先に絶望が爆発したことは想定外だった。辛うじてスズカを絶望の魔の手から救うことが出来たとはいえ、その代償としてライスシャワー先輩が帰還してしまった。ライス先輩は〈死神〉から同胞達を護りうる最大の盾だったかもしれないのに。」
「…。」
「それだけでなく、現在療養施設では別の絶望の嵐が吹き荒れているようですし。これから起きる『大償聲』のことも考えると、療養施設の同胞達が絶望に耐えきることはかなり厳しいかもしれない。」
狂気の微笑を浮かべているオフサイドの表情が、僅かに翳った。
「でも、もう止まることは出来ませんね。」
オフサイドは視線を戻し、マックイーンを見つめた。
「全てはウマ娘界の未来の為…いや違いますね。この世界に巨大な絶望を刻みつける為に…〈死神〉の景色を見せつける為に、私は『大償聲』を起こします。“〈死神〉のウマ娘”として。」
「全てのウマ娘に災いをもたらす…その覚悟なのですね。」
「分かりきったことを。私が既にサンエイサンキュー先輩、ダイイチルビー先輩にダイタクヘリオス先輩、そしてメジロデュレン先輩に何をしたのか、見ましたか?」
「…。」
「永遠の汚名を残すことになろうとも構わない。消された存在になろうがもうどうでもいい。私がようやく辿り着いた使命、その遂行を邪魔する者は皆〈死神〉の餌食になってもらいます。例えそれがどれほど偉大な同胞であろうとも。」
栗毛の髪を夜風に靡かせて、オフサイドは微笑を湛えたまま、マックイーンを見つめていた。
その姿には、かつてマックイーンにすら敬意を抱かせた不屈のウマ娘の面影はなく、文字通り全てのものを終末へと向かわせる〈死神〉の暗黒そのものの雰囲気に満ちきっていた。
「オフサイドトラップ、あなたは本当に素晴らしい同胞でしたわ。同胞の歴史に永遠に記憶されるべき、まさに真の不屈の魂をもったウマ娘と言える存在でした。このような事態になってしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。」
マックイーンは芦毛の美髪を靡かせつつ、〈死神〉のウマ娘を見つめ返しながら冷徹な口調で静かに言った。
「でも、あなたがこの世界に災いをもたらす意志をもっているのならば、看過することは出来ませんわ。同胞の命も魂も未来も全て護る為に、同胞の代表としてあなたの遂行を阻止します。」
「ハハ…やれるものならやってみて下さいよ。同胞達の力は〈死神〉と『〈死神〉のウマ娘』に屈しないことを証明出来るならね。」
微笑を絶やさずに言いながら、オフサイドから溢れ出る〈死神〉の気配が更に大きくなった。
「言われずとも、ですわ。」
一方でマックイーンが醸し出す冷徹な威圧感も、彼女の周囲を覆う〈死神〉を寄せ付けない程の厳しさを帯び出していた。
明日、ウマ娘最高峰のレースである有馬記念が開催される中山競バ場。
今その場所は、〈死神〉を従えたウマ娘とそれに対峙する真女王のウマ娘が放つ巨大な領域の渦で溢れ出していた。
しばらく投稿間隔空きます