「本当に、本当に辛いだろうと思いますわ。」
マックイーンは厳しい表情のまま、オフサイドの身を慮るように呟いた。
立場関係なく言わせて貰えれば、オフサイドへの酷評の内容は殆どタラレバの塊で、正直それこそ酷評したいくらいだ。
恐らく専門家や学園関係者もそれは分かっていたのだろうが、スズカを惜しむあまりついそのような批評をしてしまったのだろう。
それが共通認識となって一気に世界に広まってしまい、オフサイドの勝利は日の目を見れなくなった。
更に追い打ちをかけるようにインタビュー問題が起きてしまい…
…やめよう。
マックイーンはそれ以上の思考を停止した。
気の毒を通りこして想像するのも辛いし、それに、私に彼らを責める資格なんてないのだから。
「ライス、かつて同じような経験をしたあなたなら、彼女の苦痛がお分かりになるでしょう。」
思考を止めたマックイーンは、つとライスを見た。
「…。」
ライスはふっと眼を閉じた。
私の時とは全然違います…
むしろ近いのは同期のキョウエイボーガンだろうとライスは思った。
6年前の菊花賞で、彼女は11番人気ながら、大本命の二冠ウマ娘ミホノブルボンに勝ってレースを制する為、玉砕覚悟の戦法をとった。
結果は玉砕し16着。
だが道中で彼女の戦法にペースを乱されたブルボンは、最後の最後でライスにかわされ三冠を逃した。
レース後ボーガンは、『弱いくせに三冠の邪魔をしたウマ娘』などと多くの非難・中傷を受けた。
三冠の邪魔をしたなど言いがかりも甚だしかったが、ボーガンは“16着に終わった自分が悪い”と中傷を受け入れた。
ただやはりショックだったのか、その後の彼女は惨敗続きのまま退学。
現在は、菊花賞で自分のファンになってくれたという人間と出会い、その人間の保護のもと余生を送っているらしい。
ボーガンと比べ、オフサイドは…
やはり比較は出来ないと、ライスは眼を閉じたまま思った。
オフサイドはボーガンのように大本命のペースを乱したわけでもなく、惨敗したわけでもない。
自分の走りをして、そして勝った。
何も非難されるようなことはしてない。
といって、自分とも違う。
確かに自分も大本命の偉業を立て続けに破ったことで随分と心ない非難や中傷をされたことがある。
だけどそんなに苦しくなかった。
菊花賞の時も天皇賞・春の時も、レース中になんのアクシデントもなくタイムもレコードで、ゴールした自分のすぐ後ろにブルボンさんやマックイーンさんがいましたから。
中傷を受けようが何されようが、そのレース内容で黙らせることが出来た。
オフサイドは違う。
ずっとスズカが前にいて、そのままいなくなってしまったのだから。
「…。」
マックイーンは残りのコーヒーを全て飲み、表情を戻した。
「この(4)につきましては、恐らく何の措置も行われないでしょう。」
ウマ娘ファンのほぼ全て(約1億人)だけでなく、ウマ娘に長年携わってきた幾多の専門家、更に学園の関係者が同じ見方をしてしまったのだ。
それに中傷や物的被害を与えるなど、法に触れる事をしたわけでもない。
サイレンススズカへの悲劇への悲嘆の集まりが、無意識のうちに膨大な力となってウマ娘の歴史と掟を破り、オフサイドトラップに襲いかかった。
そう、それだけだ。
誰も責められない。
誰も責められないけど、オフサイドはそれによって、地球外の惑星にたった一人捨てられたような状況にされてしまった。
「…そういうことだったんですね。」
全てを聞き終えたライスは、髪の下の蒼い眼を閉じたまま頷いた。
重たい沈黙が、生徒会室に流れた。
やがて、重い沈黙を破って、ライスが再び口を開いた。
「先程、オフサイドさんが有馬記念に出走するということを聞きましたが、本当に出走するんでしょうか?」
「分かりません。」
マックイーンは首を振った。
「出走登録をしたということは、走りたいという意思はあるのでしょう。」
そう言った彼女の表情には、非常に複雑な感情が入り組んでいた。
それを見てライスは更に何か尋ねようとしたが、それは思い留まった。
やがて、ライスは帰ることにした。
執務を終えたマックイーンも帰ることにし、二人は一緒に生徒会室を出た。
外は既に夜になっていた。
校舎玄関を出た二人は、並んで校門まで歩いていた。
「マックイーンさん、」
冷たい夜風が靡く中、ライスがポツリと口を開いた。
「私、現役時代に一つ、大きな悔恨を残しているんです。」
「“悔恨”?」
「何だか、お分かりですか?」
ライスの言葉に、マックイーンは少し考え込んだ。
「オールカマーでの敗戦ですか?」
「いいえ。」
「JC・有馬記念での惨敗かしら?」
「違います。」
ライスは数回首を振った後、自分の左脚を見下ろしながら言った。
「宝塚記念での怪我です。」
「…。」
そうでしょうね。
内心では最初から分かっていたマックイーンは何も言わなかったが、ライスは続けて言った。
「私が怪我してしまった為に、一人の後輩が不幸になってしまった。それが一番の悔恨です。」
「後輩を不幸に?」
「はい。」
意外そうに聞き返したマックイーンにライスは片眼の美しい睫毛を伏せながら答えた。
「ダンツシアトルさんのことです。」
「なるほど…」
ライスの言葉とその意味を汲み取り、マックイーンは静かに頷いた。
「あなたがこの件に関わろうとしているのは、それが理由ですか。」
「仰る通りです。」
ライスは眼を伏せたまま頷き返した。
「サイレンススズカさん、オフサイドトラップさんには、私やシアトルさんの二の舞には絶対にしてはならないんです。二人をこれ以上不幸にしないこと、それが私の、残された使命です。」
“残された使命”。
その台詞を聞き、マックイーンはつとライスの左脚を見た。
かなりゆっくり歩いているライスの足取りは不自然には見えない。
けど、もしかして…
マックイーンは何か言おうとしたが、それを止め、黙々と彼女の隣を歩いた。
やがて校門を出ると、マックイーンとライスは別れた。
マックイーンは待たせてあった車に乗り、メジロ家への帰路についた。
“悔恨”、ですか。
車中、マックイーンは先程ライスが口にした言葉を脳裏に思い出していた。
私にも一つ、大きな悔恨がある。
彼女よりも罪深い、取り返しのつかない大きな過ちが。
生徒会長である彼女も、ライスと同じようにこの件に関しては特別な思いをもって臨んでいた。
7年前の天皇賞・秋で、運命を狂わせてしまった同期の存在を胸に刻みつけながら。
「プレクラスニー。」
車窓から夜空を眺めながら唇元で呟いたマックイーンの脳裏には、その同期の姿が浮かんでいた。