ルソーは、松葉杖をつきながら施設内に戻った。
受付前に戻ると、面会者らしきウマ娘が待合席に座っていた。
「え?」
制服姿なのでトレセンの生徒だとすぐに分かり、またそれが誰かもすぐ分かったが、その表情はルソーが知っている彼女とは別人かと思うほど窶れていた。
「オフサイド…先輩?」
「久しぶり。」
自分の姿を見て、驚愕というか茫然とした声を上げたルソーに対し、オフサイドは薄い微笑で返した。
オフサイドは、ルソーの後から来た椎菜にも気づいた。
「お久しぶりです、椎菜先生。」
「オフサイドトラップ…。」
椎菜も、天皇賞後に初めて見たオフサイドの、変わり果てた姿に愕然とした。
「病室、行こ?」
オフサイドは椎菜から眼を逸らし、ルソーに言った。
「は、はい。」
ルソーは動揺を隠せないまま、オフサイドを連れて病室へと向かっていった。
「…。」
椎菜も思わずその後を追おうとしたが、時計を見て思い留まった。
休憩時間は間もなく終わりだ。
仕方ない、終わってから会いにいこう。
椎菜は飴を噛み砕き、白衣を翻して医務室へ向かった。
やがて、ルソーとオフサイドは病室に着いた。
「なにか、飲みます?」
「これ、買ってきた。」
オフサイドは見舞品としてもってきたロイヤルミルクティーを取り出した。
「どうも。」
ベッドの傍らの椅子に、二人は並んで腰掛けた。
ルソーとオフサイドは一年違いの『フォアマン』チームメイト。
ただルソーは故障による長期離脱中で、数年前から殆ど学園に登校しておらず、その為彼女のことを知っているチーム仲間はオフサイドとゴールドしかいない。
「ルソー、」
ミルクティーを飲みながら、オフサイドは後輩に尋ねた。
「最近、体調はどう?」
「まあ、良好です。」
「脚の具合は?」
「ぼちぼちです。椎菜先生によると、大分良くなってきてるとのことです。」
「そう。治療の方は、どう?」
「最近は二日に一回位です。今日は治療があって、ついさっき終わったところです。」
「苦しくなかった?」
「ハハ、大丈夫ですよ。もうとっくに慣れてますから。」
「そう。」
ぎこちない笑顔を見せたルソーに、オフサイドも薄く微笑をみせた。
「強いね、ルソーは。」
「何言ってるんですか。先輩に比べれば、私なんて…」
ルソーはミルクティーを飲みながら、先輩の質問に答えていた。
内心では、オフサイドから受けた質問は、全て彼女に返してやりたかった。
傍目から二人を見れば、ルソーよりもオフサイドの方が重病と思う程、彼女は窶れている。
ゴールドやその他の者達から、彼女の現在の状態について聞いてはいたが、まさかここまでとは。
かける言葉が、見つからなかった。
「有馬記念、」
ミルクティーを注いだカップを両掌に抱え、オフサイドが再び口を開いた。
「私、今度の有馬記念、出るわ。」
「出るん…ですか。」
「うん。」
ファン投票の結果には触れず、オフサイドは特に感情のない声で言った。
「そうですか。」
ルソーも特に尋ねず、ただ頷いた。
例えファン投票で選ばれなくとも、希望すればG1覇者である彼女が有馬記念に出走出来るであろうことはルソーも分かっている。
だけど、こんな状態で、2週間後に迫ったレースに出走出来るの?
どう見てもレースどころではない状態の先輩を前に、かなり心配に思った。
「そろそろ帰るわ。」
ミルクティーを飲み終えると、オフサイドはゆらっと立ち上がった。
「え、もう帰るんですか?」
まだ施設に来てから20分位しか経ってない。
「あなたの様子を見にきただけだから。」
言いながら、オフサイドは茶色のコートを羽織った。
「待って下さい。」
すぐに去りかけた彼女の袖を、ルソーは慌てて掴んだ。
「病症仲間と、会ってもらえませんか。」
「…。」
「みんな、先輩のことを心配しています。天皇…いや、とにかく、一目だけでも仲間達と会ってあげて下さい。」
「ごめん、ルソー。」
オフサイドは袖を掴んでいる後輩の指をゆっくりと引き離した。
「私は、あなたも含めて、あの子達に泥を塗った。みんなの未来を閉ざした。」
「は?何言ってるんですか?」
オフサイドの言葉に対して、ルソーは呆然というか訳の分からない表情を浮かべた。
その後輩の表情を見つめて、オフサイドは続けた。
「私は“非情で自己中、同胞の不幸を喜ぶウマ娘”なの。そんな私に、あの子達と顔を合わせる資格なんてないわ。」
そう言った彼女の表情は、胸が潰れそうなくらい切ない微笑を浮かべていた。
「先輩…。」
「じゃ、元気でね。」
言葉を失ったルソーにそう言うと、オフサイドはゆっくり病室を出ていった。
しばし愕然としていたルソーは、我に返ると松葉杖をつきながら慌てて彼女の後を追った。
すぐに追いついたが、もう彼女を引き留めようとはせず、その傍らを一緒に歩いた。
「先輩。外まで送ります。」
「ありがとう。」
二人は、一緒に施設の一階まで降りた。
そのまま正面出口まで行こうとした時。
「…!」
突然、オフサイドは凍りついたように立ち止まった。
「どうしたんです…?」
声をかけきる前に、ルソーはハッとした。
オフサイドの表情が、悪魔でも見たかのように真っ青になってたから。
まさか…
彼女の視線の先を見ると、受付前のベンチに、数人の報道陣らしき者達が集まっているのが見えた。
いけないっ!
「…あああっ…!」
ルソーが彼女の姿を隠そうとするより早く、オフサイドは頭を抱えて脇の通路に逃げ込んだ。