「先輩!」
「やだ…やだ…助けて…」
通路脇に逃げ込むや、そのままオフサイドは頭を抱えて崩れ落ちた。
指先まで慄えながら苦悶している先輩を庇いながら、ルソーは受付前の様子をそっと見た。
物音で気づかれたのか、報道陣含めたその場にいる者達がこちらを怪訝そうに見ている。
まずい、こっちに来かねない。
通路の先は行き止まりだし、左右にある部屋の扉も全て鍵が閉まっている。
どうすれば…
「記者のみなさーん!」
突然、受付前から元気な声が聞こえた。
そっと見ると、報道陣の前に今しがた施設に戻ってきたらしいスペシャルウイークが現れ、笑顔で報道陣に声をかけながら買ってきた差し入れを彼らに渡していた。
…スペ、ナイス。
彼女が皆の上手く気を逸らしてくれてるうちに、このまま外まで先輩を脱出させよう。
ルソーは松葉杖を置いて、慄えているオフサイドを抱きあげるように立たせ、彼女の身を隠しながらゆっくりと移動し始めた。
受付前の者達は、皆スペに気を取られている。
よし、このまま…
気づかれないように、報道陣共の後ろをそーと移動し、やがて出口の扉の前に着いた。
そっと振り返ると、報道陣はオフサイドに気づくことなく、まだスペと何やら会話している。
スペ、ありがと。
ほっとすると、ルソーはスペにそう視線を送った。
と、視線に気づいたのか、スペもこちらをチラッと見た。
ところが、そのまますぐ眼を逸らしてくれるのかと思いきや、スペは不思議そうな表情をして、
「あれ、何してるんですか?」
こちらを見たまま、思いっきり良い声でそう言った。
は⁉︎
瞬間、背中に悪寒が走った。︎
スペの行動は全部偶然だったの⁉︎
それに気づいたがもう遅い。
報道陣含めた場の全員は一斉にこちらを振り向いた。
「スペシャルウイーク‼︎」
突然、受付前の彼女を呼ぶ声が大きく響いた。
皆びっくりしてそちらを見ると、病棟への通路から椎菜が現れ、スペの前に来た。
「廊下にこれが落ちてたわよ。」
そう言って彼女は、持っていたニンジンを差し出した。
「あ、すみません!」
「また鞄を開けっ放しにしてたようね、注意しないと駄目よ。」
「はい…。」
スペは恥ずかそうに顔を赤くしながらそれを受け取った。
全く、と椎菜は腕を組みながら、ちらと出口の方を見た。
そこに誰もいなくなっているのを確認すると、椎菜はもと来た通路を戻っていった。
ハア…ハア…
施設の外。
椎菜の機転によって辛くも脱出することが出来たルソーとオフサイドは、そのまま遊歩道の方まで逃れ、裏の方にあるベンチまで来るとそこでようやく一息ついた。
「大丈夫ですか、先輩…。」
自身の脚をさすりながら、ルソーはオフサイドを見た。
「…。」
オフサイドは依然慄えたまま、地べたにうずくまっていた。
悪霊に取り憑かれたような、血の気のない真っ白な表情で。
「う…うぇ…」
不意に彼女は両膝をつき、嘔吐した。
「先輩!」
ルソーは悲痛な表情で彼女の背をさすった。
「はあ…はあ…」
嘔吐してから数分後、オフサイドの慄えはおさまり、彼女はゆっくりと身を上げた。
「…ごめん、もう大丈夫。…助けてくれて、ありがとう…。」
乱れた身を整えながらルソーに言うと、オフサイドは蒼白な表情を無理矢理微笑させた。
「…じゃ、またね。」
「待って下さい!」
ルソーは再び、去ろうしたオフサイドの腕を掴んだ。
「本当に…大丈夫なんですか?」
「…大丈夫だから。」
オフサイドはまた、ルソーの指を解いた。
「…有馬記念に出るまでは、絶対に大丈夫だから…。」
そう言うと、オフサイドはコートを羽織り、ルソーの前からよろよろと去っていった。
…あれ?
療養施設の『怪我人専用病棟』の最上階。
特別病室のベッド上から、窓の外の風景を眺めていたスズカは、施設を去っていく一人のウマ娘の姿を見つけ、ハッとした。
茶色のコートに栗毛、あれはオフサイド先輩の格好だわ。
だが、その後ろ姿は遠くから眺めても分かるくらい肩が落ちており、足取りもまるで病人のようだ。
オフサイド先輩があんな姿するわけない。
違う人だとスズカは思い、視線を他に向けた。
でも…
再び、スズカはその後ろ姿を眼をこらして眺めた。
かなり、オフサイド先輩に似てるわ。
と、
「ただいま戻りました!」
買い出しに行ってたスペが、元気良く病室に戻って来た。
「お帰りなさい、スペさん。」
「ドーナツ買ってきました!」
「わあ、美味しそうですね。」
「たくさん買ってきたので、お腹いっぱい食べて下さい!」
「随分買ってきましたね。1、2…5…8…15個も?」
スズカは、クスッと微笑した。
「もしかして、スペさんも食べたいのですか?」
「ううん。全部スズカさんが食べて下さい。その為に買ってきたのですから。」
「滝のように涎を垂らしてらっしゃいますが。」
「あ…えへへ、じゃあ、一緒に食べましょう!」
笑顔で言うと、スペはスズカの傍らに座り、彼女にぴったりと肩を寄せてドーナツを手に取った。
「はいスズカさん、あーん。」
「あーん。」
スズカは口を開け、スペの差し出したドーナツをパクッと頬張った。
もぐもぐ。
「美味しいですか?」
「はい!とっても美味しいです。」
「良かったです!」
スペも、残ったドーナツの欠片を頬張った。
もぐもぐドーナツを頬張りながら、スズカはつと窓の外を見た。
先程見えたウマ娘の姿は無くなっている。
気のせいだったようね…
スズカはそれ以上考えることなく、スペとドーナツを食べながら楽しい時間を過ごしていた。
一方。
施設を後にしたオフサイドは、少々ふらつきながらも無事駅前に到着し、帰りの特急電車に乗り込んだ。
そして最後尾の車両の席に座ると、そのまま死んだように眠った。
う…ん…
かなり時間が経った後、オフサイドは目を覚ました。
特急電車はとうに高原前の駅を発車し、いつの間にか学園最寄りの降車駅近くまできていた。
2時間くらい眠ってたみたいだ。
そのまま永遠に目覚めなければ良かったのに…
思わずそんなことを思い、オフサイドは溜息を吐いた。
と、ポケットに入れているスマホからメールの着信音がした。
見てみると、ゴールドからだった。
『今夜、学園駅前の〇〇店でエアデールの初勝利祝いをします。18時に駅口で待ち合わせです。故障離脱中のルソー先輩は残念ですが、他のメンバーは全員来ます。個室ですので、安心して下さい。皆待ってます!』
「…。」
オフサイドは、無表情でスマホを閉じた。
来てくれるかな、オフサイド先輩…
メールを送信し終えたゴールドは、祈るようにスマホの画面を見つめていた。