オフサイドはケンザンと共に、管理室と隣接する彼女の自宅に上がった。
「しばらく、お世話になります。」
彼女専用の一室に通されたオフサイドは荷物を置くと、先輩に頭を下げて礼を言った。
「気にするな。」
ケンザンは先輩らしい笑顔で応えた。
昨夜、有馬記念出走を決めたオフサイドは、かつての先輩であるケンザンに電話をし、有馬記念までそちらで調整させて貰えないかと頼んでいた。
ケンザンは多くを聞くことなくそれを承諾していた。
「ここにある生活用品は何でも使っていい。食料や医療品が必要になったら私に言いなさい。」
「はい。」
「じゃ、私は仕事があるから。」
そう断ると、ケンザンは部屋を出ていった。
ケンザンが出ていった後、オフサイドは直ぐに体操服に着替え、外のグラウンドに出てトレーニングを始めた。
…。
公園の手入れの作業をしているケンザンは、グラウンドで一人ランニングを始めた後輩に気づき、しばらく手を止めてその様子を眺めていた。
動き、相当悪いな。
遠目からでもそれがすぐ分かった。
騒動の影響か、殆どトレーニングも出来なかった影響がもろに出ている。
ケンザンは眼を逸らし、作業を再開した。
数時間後。
夕陽が富士山の彼方に暮れた頃、オフサイドはトレーニングを終えた。
ケンザン宅に戻るとシャワーを浴び、部屋着に着替えた。
その後、氷水を洗面器に用意し、右足をしばらくそれに浸けていた。
それを終えると包帯を取り出し、それぞれ両脚の古傷部分に巻き付け、その上から靴下を履いた。
普段から靴下で隠してて見えないが、ここ4年以上、彼女の脚に包帯がなかった日はない。
脚の手当てを終えると、少しの間オフサイドはドリンクを飲んで身体を休めていた。
やがて休憩を終えると、机の前に座って鞄からノートを取り出し、何か書き物を始めた。
*****
その頃。
学園から帰ってきたゴールドは、自身の寮部屋の前に置かれていたオフサイドの手紙を読んでいた。
『ゴールドへ
直接伝えずごめんなさい。
私は有馬記念に出走することを決めました。その調整の為、しばらく学園から離れます。私の心配はしないで。必ず有馬記念には出走するから。あなたも私に構わず、有馬記念に向けてしっかり調整してください。』
有馬記念…出るのですか。
それを予想してなかったゴールドは、まずそれに驚いた。
天皇賞・秋後の騒動せいでオフサイドは殆どトレーニングは出来ていないし、それに天皇賞での激走の影響で脚部の状態はかなり厳しい筈。
例え、ファン投票で選ばれてても出走はしないだろうとゴールドは予想してた(それでもせめてファン投票では選ばれて欲しかったが)。
この有馬記念を引退レースにするつもりなのだろうか。
でもこんな状況で満足に引退レースなんて出来る訳ない。
だとすれば…
「優勝する気ですか。」
ゴールドは手紙をしまった。
そうだ、それ以外、出走する理由はないな。
並み居る強豪が集結する有馬記念で優勝すれば、あの天皇賞制覇を罵倒し酷評した連中達を黙らせることが出来る。
オフサイド先輩は、そこに希望を見出したのか。
「分かりました。」
ゴールドは眼を瞑り、彼女に念じた。
有馬記念で、お会いしましょう。
胸中、オフサイドの状態が大丈夫なのかという不安も凄く大きかった。
出来れば今すぐ先輩を探し出したかった。
だけど、ゴールドは手紙の内容を信じた。
オフサイド先輩は、必ず有馬記念に出る。
こんな状態と状況でも出走するということは、尋常でない覚悟と決意があるのだろう。
今度は負けませんよ…
チーム仲間であり、彼女を誰よりも慕っているゴールドは、勝負師の表情に変わった。
あの天皇賞の残り100m。
追いつきかけた私を再び引き離した、オフサイドの鬼気迫る走りを思い出した。
今度は、絶対に差しきって、優勝しますから。
その結果、オフサイド先輩の希望が消えたとしても…
「…。」
ゴールドは揺らいだ思いを消す為、首を振った。
ターフで闘う相手に対して憐憫は禁物だ。
それはウマ娘として最大の無礼だ。
そんな感情にさせない為に、先輩はこの手紙を書き残したのだろう。
全力で有馬記念に挑めるよう、集中しなければ。
ゴールドは胸に手を当て、心に強く誓った。