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12月15日。
早朝のウマ娘療養施設。
ルソーは、後輩の病症仲間と朝の散歩に出ていた。
クッケン炎を患っている仲間のうちで、ルソーは学年・実績・療養期間からしてリーダー的存在にあり、病気に苦しむ仲間が慕う存在でもあった。
今、ルソーが散歩に連れている後輩数人は、いずれも実績的には無名のウマ娘で、病気の重さと療養生活の大変さから、心身ともかなり疲弊しており、いつ諦めてもおかしくない状態にあった。
「本当辛いよね、こんな生活。」
寒さに覆われた高原に上がったばかりの朝陽が暖かい光を与えてくれる中、ルソーは後輩達に話しかけていた。
クッケンを患ったが最後、走ることが奪われ、いつ終わるか分からない苦痛と未来への希望が見出せない日々が始まる。
それはウマ娘にとって、地獄のような生活だ。
「あなた達もひょっとして、もう諦めたいとか思ってたりするのかしら?」
「…。」
後輩は首を振る者、無言で認める者といた。
無理ないよ、とルソーは後輩の心情を理解するように言った。
「私だって、クッケン炎を患った日から今日に到るまで、何度本気で諦めようと思ったかな?多分10回ぐらいは本気でそう思ったわ。」
「10回もですか?」
「誇張じゃないよ。」
驚いた後輩達に対し、ルソーはアハハと笑った。
「だってもう30ヶ月以上ここでの生活が続いてるんだよ。治療時間は合計で1000時間超えてるし、学園の敷地も競バ場のターフもずっと踏んでないし。重症だったとはいえ、1年くらいで復帰できると思ってたんだけどね。参ったよ、ほんと。」
「30ヶ月以上…」
彼女の4分の1も療養生活を送ってない後輩達は、その数字に驚愕の表情を浮かべていた。
「…どうして、諦めなかったんですか?」
「んー、」
後輩の単刀直入な質問に、ルソーは頬に指を当てて少し考え込んだ。
「なんでだと思う?」
「え?えーと、」
逆に尋ねられ、後輩達は慌てた。
「仲間が、支えてくれたからですか?」
「夢があったから…」
「治ると信じてるから…」
後輩達の返答に対し、ルソーはまあまあ当たってるわねという表情をしながら、答えた。
「歴史を創りたいからよ。」
「歴史を創る?」
「そ。」
怪訝な表情を浮かべた後輩達に、ルソーは眩しそうに朝陽を仰いだ。
「簡単にいえば、この地獄から生還して、レースの頂点に立ちたいの。」
クッケン炎を患ったウマ娘で、その後頂点(G1制覇)に立てた者は史上殆どいない。
それだけ、クッケン炎は恐ろしい病なのだが、ルソーはそれを逆に考え、そこに希望を見出そうとしていた。
「私達がここからG1制覇を果たすことが出来れば、もうそれだけでウマ娘史上に残る快挙よ。それを目指してるの。」
「…。」
笑顔のルソーと対照的に、後輩達は何とも言えない表情をしていた。
「何よ、その顔。」
「無理だと思います。」
「無理?なんで?」
「クッケン炎を患ったウマ娘がG1制覇するなんて、奇跡が三つくらい重ならないと無理だからです。…それに、例えその三重の奇跡が起きたとしても、快挙とは称えられないと思います。…オフサイド先輩みたいに。」
…。
ルソーは一瞬表情が険しくなったが、すぐにそれを打ち消した。
「まあ、無理だと言われたり笑われる夢だとは分かってるわ。でも私はそれを目指してる。そこに諦めない理由があるのだから。」
そう言った後、ルソーは表情の暗い後輩達に最後にこう言った。
「あなた達も、まだ諦めたくないのなら、何か一つでも理由や目標を見つけて、療養生活にあたりなさい。どんな辛い現実に直面しようと、夢や希望をもつことは絶対に自由なのだから。」
後輩達との散歩を終えたルソーは、食堂にいき朝食をとった。
状況は厳しいな…
一人黙々と朝食を食べながら、ルソーは病症仲間達のことを思った。
先程接した後輩達もそうだが、全体的な絶望感が深刻だ。
クッケン炎という〈死神〉もさることながら、あの天皇賞・秋の影響が大きい。
病症仲間の希望の星だったオフサイドトラップの天皇賞制覇。
長年の闘病を乗り越えてG1制覇を果たした彼女の快挙には、病症仲間達も沸いた。
勿論、サイレンススズカの故障があったので、あまり表に出すことは出来なかったが、誰もがオフサイドの優勝を喜んでいることは明らかだった。
あの時は、誰もが彼女後に続こうと大きな希望をもったし、クッケン炎がもたらす絶望的な雰囲気を打破しかけていた。
さっき、ルソーが後輩達に言った“歴史を創る”という言葉。
あれは実は、闘病生活を送っていた頃のオフサイドのが良く口にしていた言葉だ。
厳密には、“死神(クッケン炎)におかされたウマ娘でも、諦めなければ頂点にたてるという歴史を私が創る”。という言葉。
当時、その言葉を聞いた者達は、さっきの後輩と同じように無理だというか呆れて笑うかだったが、オフサイドが復帰以後重賞戦線で好成績を出し始めた頃は、誰も無理とも言わず笑いもしなくなった。
そして、オフサイドが重賞を連勝し、天皇賞・秋に挑んだ時は、誰もがその言葉の体現を祈った。
それは、クッケン炎がもたらすこの絶望しかない空間に、大きな明るい希望が欲しかったから。
そして、オフサイドは歴史を創った。大きな希望を、病症仲間達に与えてくれた…筈だった。
それが、僅か2週間程で以前以上の絶望に覆われてしまった。
天皇賞後、オフサイドを襲った酷評とバッシングの嵐。
彼女の壮絶な闘病生活なんて全く顧みられず、その苦難の末に掴んだ栄光が称賛されることもなかった。
そのことが、病症仲間達の間に新たな絶望を生み出してしまった。
即ち、“自分達はいらないウマ娘なんだ”という絶望。
絶望し過ぎと言われるかもしれないが、それ位、天皇賞後の騒動で仲間達が受けたショックは大きかった。
何しろ、誰よりも闘病に闘病を重ねた末に栄光を手にしたオフサイドが認められなかったのだ。
『誰を魅了する華やかなスピード・美しさ・強さをもつウマ娘のみが、この世界では必要とされる。だから、不治の病を患って理想の走りと無縁になった自分達など、価値のない存在なんだ』
スズカの怪我という不幸な要因があったとはいえ、オフサイドが否定された事実が、仲間達にそういった絶望を与えてしまった。
今は、私が皆を支えるしかないな。
朝食を食べ終えると、ルソーは再び散歩に出た。
実績や経験がある彼女は、今回の事に関してそこまで絶望はしてない。
オフサイド先輩が受けた仕打ちに対しては内心激怒しているが。
心理的余裕がある分、絶望に襲われている仲間達を救けなければ。
高原の澄んだ空気を感じながら、ルソーはそう胸に誓った。
と、しばらく遊歩道を歩いていると、急に施設の入り口前が騒がしくなった。
何事だろうとそちらを見ると、数名の医師に付き添われた車椅子の患者が、報道陣と一緒に表へ出て来たのが見えた。
サイレンススズカか…
ルソーはすぐに目を背け、裏の方へ去っていった。
ああ…
車椅子に乗せられながら、施設の外に出たスズカは、眼を瞑って大きく深呼吸した。
大怪我を負って以来初めて吸った外の清らかな空気とその香りに、彼女の胸は感慨で一杯になった。
もう2度と、この空気を感じることは出来ないと思ってた。
大怪我による苦痛とショック、それによる絶望…本当に辛かった。
何度、還ろうと思ったことだろう。
でも、スペさんやゴールド、トレーナーにチーム仲間、その他私を励ましてくれた学園の皆やファンの方達、医師の先生のおかげで、ここまで快復することが出来た…
「サイレンススズカ、今の心境を一言。」
「はい。」
記者の質問に対し、スズカは眼元を拭うと、カメラのフラッシュの中で清廉な微笑をみせた。
「ここまで私を支えて下さった皆様に深く感謝します。まだまだ道のりは長いですが、必ずターフに戻って、ファンの方々の夢を叶えるような走りをお見せ出来るよう頑張ります。」
ホッカイルソー(5年生)の現時点の実績
17戦4勝 2年生時、皐月賞4着・ダービー4着・菊花賞3着。3年生時、日経賞(G2)優勝・天皇賞・春3着。
その他 重賞2着1回3着2回 デビュー2戦目以降16戦連続4着以内