1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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それから少し経った後。

マックイーンはライスと別れ、『祝福』を後にした。

 

『私のせいで笑顔を閉ざされたままターフを去った後輩を早く知るべきでした』

メジロ家の車中。

マックイーンは車窓の外を眺めながら、ライスが言ってた言葉を思い返した。

彼女が言ってた“後輩”が誰なのかは、以前に聞いた彼女の言葉などからしてもう分かっていた。

笑顔を閉ざしてしまった、ですか。

ライスのその悔恨は、かつて彼女と頂点をかけて闘い、彼女の競走ウマ娘としての生き様をずっと見ていたマックイーンには、胸が張り裂けそうな位よく分かった。

 

 

ウマ娘『ライスシャワー』。

彼女は、誰よりも栄光と祝福を求めてターフを走り続けた。

だが幾度も栄光を掴みながら、祝福を受けられなかったことに苦しんだ。

更には栄光からも見放され、祝福とは無縁の時代を長く送った。

 

それでも、ライスは祝福を忘れなかった。

自らが敗れたレースでも、勝者のウマ娘達(テイオーやブライアン)を笑顔で祝福し、その栄光を称え続けた。

そうした姿は、観ている者達も感銘を受け、段々と彼女の栄光を望む声が大きくなった。

 

そして、遂に彼女は長い長いトンネルを抜けて再び盾の栄光を手にし、最高の祝福を浴びた。

あの時、マックイーンはブルボンと共にそのレースを観戦し、彼女の勝利を見届けると一緒に泣いて喜んだ。

ようやく彼女が、夢だった最高の祝福を受けれたんだと。

 

だが、その2カ月後。

生涯最高のファンの夢と希望を背に出走した宝塚記念。

その第3コーナーで、ライスは崩れ落ちた。

 

あの後、誰もが彼女の悲劇を悲しみ、生還を祈った。

その声が届いたのか、ライスは生還不可能と思われた大怪我から、奇跡の生還を果たした。

ターフからは去らざるを得なかったが、そのウマ娘としての軌跡は素晴らしい見事なものだったと誰もが称賛し、賛辞を惜しまなかった。

勿論、マックイーンもその1人だった。

 

 

だけど。

マックイーンはライスの言葉から、本当のことを知った。

あなたは、ずっと苦しんでいたのですね。

誰よりも栄光と祝福を求めていた自分が、あの宝塚記念でそれを奪ってしまったことに。

 

そう思った時。

一週間前に学園から帰る際に彼女から聞いた言葉が、マックイーンの脳裏に蘇った。

『スズカさんとオフサイドさんを不幸にしないこと、それが私の残された使命です』

 

「…。」

マックイーンは両膝に視線を落とした。

実はマックイーンはライスに対して、事にあたっての自分の本心の他に、もう一つ隠していることがあった。

それは、先日にその言葉を聞いた後、彼女の状態を極秘で調べていることだ。

 

その調査の結果がどんなものかは、ある程度、覚悟はしている。

もしかすると私だけでなく、生徒会仲間のミホノブルボンも既に察しているかも知れない。

 

ライス、あなたの脚はもう…

マックイーンは視線を落としている両膝上に両拳を握りしめ、唇を噛み締めた。

 

 

*****

 

 

マックイーンが帰った後の『祝福』では、ライスが店内の後片付けを終え、上の自宅に戻っていた。

 

プレクラスニー先輩、ですか…

ベッドに座り脚の手当てをしながら、ライスもマックイーンが口にしたそのウマ娘のことを思い出していた。

プレクラスニーとメジロマックイーン…そうか、あれも7年前の、天皇賞・秋でしたね。

クラスニー先輩は、あのレースの悲劇で全てを失っ…

 

いや、違う。

ライスは、ハッと手を止めた。

クラスニー先輩は、あのレースで『失って』はいない。

そうだ…クラスニー先輩の、真の悲劇は…。

それに気づいた時、脳裏に思わぬ推測が浮かんだ。

「まさか、マックイーンさんは…」

 

ズキッ。

「うっ…」

不意に、左脚に激痛が走った。

ライスは僅かに表情を歪ませ、左脚を抑えた。

 

数分後、激痛は治まった。

ライスは脚から腕を離し、額の汗を拭うと、そのままベッド上に横になった。

 

もう、その時が近いのは分かっています…

ベッド上で眼を瞑りつつ、ライスはまだジンジンと痛み続ける左脚を感じながら、それを悟っていた。

その覚悟は、既に3年半前から出来てる。

恐怖なんてない。

 

だけど。

ライスは、祈るように左脚に手を当てた。

スズカさんとオフサイドさんの未来が拓けるまでは、還るわけにはいかないわ…

 

だからどうか、あと少しだけもって。

私の左脚…

 

ライスの美しい両眼は、まだ確かに、蒼月のような輝きを帯びていた。

 

 

 

*****

 

 

夜遅く。

 

都心から離れた場所にあるウマ娘療養施設には、面会や見舞いで施設に訪れる外来者用の宿泊室が幾つかある。

 

しばらくの間、スズカの看護に専念することにしているスペは、その宿泊室の一つで寝泊まりしていた。

出来ることなら就寝時もスズカと一緒にいたいのだが、ベッドで添い寝するのはまだ無理みたいだ。

ならばとこの間はテントを用意してきたが、病室にそれを張った瞬間医師の先生にテントごと摘み出された。

寝袋もハンモックも持ち込み禁止と言われた。

ではベッド以外の場所で寝ようとした(床・ベッドの下・天井・段ボール箱の中)がそれも禁止らしく、やむを得ずこの宿泊室に一人寝泊まりしている。

就寝時、スズカと一緒にいれないのはすごく寂しい。

なのでスペは就寝時(学園寮でもだが)、スマホの画面にスズカの写真をアップして、それを抱きながら眠っていた。

 

 

だけどこの日、寝巻きに着替えベッドに横になったスペの手に握られているスマホの画面には、スズカの姿はなかった。

その代わり、ある動画が流されていた。

スペはそれを見ず、音声だけを聴いていた。

 

『天皇賞優勝ウマ娘はオフサイドトラップです』

『ありがとうございます!嬉しさでいっぱいです!』

『何度も歓喜を繰り返していましたね?』

『もう、気分良く走れて…笑いが止まりません!』

 

ピッ。

スペは耐えきれず、動画を切った。

 

ゴールド先輩…

スペはスマホをしまい、真っ暗な天井を仰いだ。

嘘、つきましたね。

根も葉も、ありましたね…

普段、優しい笑顔が絶えない筈のスペの頬に、悲しみの涙がつたっていた。

 

でも。

スペは頬を拭った。

ゴールド先輩のことは、理解出来ます。

チーム仲間だし、スズカさんの心を守る為だし、悪意もありませんから。

 

ですが…

オフサイド先輩は、無理です。

 

“…スズカさん‼︎しっかり下さい‼︎…”

『嬉しさでいっぱいです!』

“…嫌だ…嫌だよスズカさん…起きてよ…眼を覚ましてよ…”

『気分良く走れました!』

“…還らないで…スズカさんっ!…”

『笑いが止まりません!』

 

スズカの悲劇に笑いが止まらない

スズカの悲劇に笑いが止まらない

スズカの悲劇に笑いが止まらない…

 

「…う……く……」

大欅の向こう側の記憶とオフサイドの言葉が胸中を冷たく浸し、スペはベッドの中で声を押し殺して泣いた。

理解出来ません…許せません…

 

 

 

*****

 

 

一方。

真夜中、富士山麓のケンザン宅。

 

 

〈残骸レースの勝者はオフサイド〉

〈悲鳴と嘆きに満たされた天皇賞覇者〉

〈この天皇賞には価値がない〉

 

「ハア…ハア…もうやめてっ!……」

 

〈非情かつ自己中なウマ娘〉

〈低レベルな天皇賞の覇者はウマ娘性も最低レベル〉

〈この自己中かつ冷血なウマ娘を追放すべき〉

 

「…ア…アアア……うっ…ゴホッ…ウェ…」

 

『スズカの怪我を喜んだのですか』

『スズカの故障は気分良かったそうですね』

『あんなレースで勝って嬉しいのですか』

『スズカの怪我を願ってたのでは』

『良心とかないんですか』

『スズカの故障を笑った理由を聞かせてください』

『悲しみにくれていた人々に謝罪しろ』

 

「…ゴホッ……ゲボッ…ゴホッ、ゴホッ……」

 

就寝中、また脳裏に蘇った悪夢の天皇賞の記憶に耐えきれず、オフサイドは真っ暗な洗面所で頭を抱え、苦しみにのたうちまわりながら嘔吐を繰り返していた。

 

 

「…はあ…はあ……」

やがて苦悶から解放され、薄らと眼を開けると、ケンザンの膝上に抱き支えられている自分に気づいた。

 

「大丈夫か?」

「…はい、大丈夫…です。」

冷静な口調で問いかけたケンザンに対し、オフサイドは息絶え絶えながらなんとか答えると、彼女の膝上から起き上がった。

身を起こした後、オフサイドは壁にしがみつきながら必死に歯を食いしばって立ち上がり、そのままケンザンを振り返ることなく部屋へと戻っていった。

 

もう少し、もう少しだから…

オフサイドは部屋に戻ると、倒れるように布団に横になった。

有馬記念…有馬記念さえ終われば、もうこの苦しみから解放されるから。

 

 

有馬記念まで、あと8日。

 

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