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昼過ぎ。
療養施設の、クッケン炎の患者達が集まった病室。
『オフサイドの有馬記念出走に対して批判殺到』
『失言問題の責任を果たす意向なし』
「またですね。」
かつてオフサイドと闘病を共にしたウマ娘達は、報道紙やニュースを見て深い溜息を吐いた。
「見てて辛いな。」
「あまり読まない方がいいよ、還りたくなるから。」
暗い表情の一人が、ふと気になったように口を開いた。
「ルソー先輩は、どこにいるのかな?」
「先輩は、今朝からずっと病室にこもっているみたいよ。再燃が相当ショックだったみたい。」
「ルソー先輩、チーム仲間なだけでなく、オフサイド先輩をもの凄く尊敬しているからね…。」
私達もだけどと、また溜息がもれた。
と、
「大丈夫かな。」
会話を聞いていた一人が、不安そうな表情で呟いた。
「さっき、報道紙を見てたルソー先輩と廊下ですれ違ったけど、表情がめっちゃ怖かった。」
「え?」
「あんな怖い表情のルソー先輩、初めて見た。」
「それは、ルソー先輩にとってオフサイド先輩はチーム仲間でもあるからね。ショックだけじゃなく怒りも湧くわよ。」
そう言った仲間に、最初に呟いたウマ娘は少し震えながら続けた。
「いや、ルソー先輩が見て激怒していたのは、“故障者が出たらレースは中断するべき”とか、“大本命が故障したレースの価値は低い”とか、そういうニュースのものだったわ。」
…え?
その会話を、病室の外を通りかかった椎菜が聞いていた。
*****
4年前の秋、トレセン学園。
「疲れました…」
放課後の練習中、坂路でのトレーニングを行っていたシグナルライトは、疲れた様子で坂路上にぐだーと寝た。
「ちょっとシグナル、まだトレーニング中よ。」
彼女と一緒にトレーニングしているルソーは、呆れたようにシグナルを見た。
「早く起きなさい。ケンザン先輩やブライアン先輩に見つかったら叱られるわ。」
「は、はーい。」
シグナルはよろよろと立ち上がった。
「ルソーさん全然疲れてませんね。凄い体力で羨ましいです。」
「あんたが疲れるの早過ぎるだけ。長距離が得意なくせにだらしない。」
「むー、ルソーさんひどいです。」
「はいはい。さっさとトレーニング続けるわよ。それとも何、もう体力は黄信号なの?」
「むっ!」
シグナルは、急にシャキンとした。
「シグナルはいつでも青信号です!GoGoレッツゴー青信号です!」
そう言うと、先程までの疲れが嘘のように元気よく坂路を走りだした。
30分後。
「はあ…はあ、シグナルもうやめよー…。」
「ルソーさん!まだまだいきましょう!」
先程とは状況が逆転していた。
坂路を何本も走ってまだ余力あるシグナルに対し、ルソーは疲れきった様子で坂路上に腰をついていた。
「あんた、やっぱりスタミナあるわね…。」
「それは当たり前です!シグナルはいつでも青信号ですから!疲れ切ることなどないのです!」
さっき疲れきってたじゃん…
「キレはないけどさすがは体力バカだね、シグナルは。」
「キレがないは余計です。」
シグナルはぷくーと膨れながら、ルソーに手を伸ばした。
「ルソーさんもまだ青信号でしょう?まだ頑張りましょう!」
「無理。私もう青黄色の信号」
「そんな信号色はありません!」
「おいシグナル、もうそのへんにしておけ。」
練習の様子を観察をしていたトレーナーが、苦笑いしながら二人に声をかけた。
「これ以上やるとオーバーワークだ。デビュー戦間近で気合いが入ってるのは分かるが、やり過ぎて調整失敗したら元も子もない。」
「はーいトレーナー!」
シグナルは素直に答えると、ルソーの手を掴んで起こした。
ルソーを起こした後、シグナルは嬉しそうに笑った。
「うふっ!今日はシグナルの勝ちですね!」
「は?何が?」
「坂路での耐久勝負です!これでルソーさんとの坂路通算成績は、私の77勝65敗です!」
「あんたさっき白旗あげてたじゃん。」
「あげてません!シグナルは決して赤信号にはならないのです!」
「あーそうですか。」
ルソーは呆れたように頷き、それからちょっと意地悪そうな顔した。
「ま、坂路では私の方が分が悪いけど、平地でのマッチレースは何勝何敗だっけー?」
「ルソーさんの11勝、キセ(フジキセキ)さんの27勝です!」
「私とキセじゃない!私とあんたの成績だよ!」
「…私の4勝、ルソーさんの35勝です。」
「んー、よく聞こえないわねー?」
「知りません!」
少女のように頬を膨らませたシグナルは、プイっと悔しそうに背を向けるとルソーをおいてその場を走り去っていった。
ルソーは笑いながら、その背を追いかけた。
「確か私の30勝でシグナルの0勝だよねー?」
「違います!そんな極端な成績ではありません!私だって何度か勝ってます!」
「えー、じゃー何回くらい?」
「知りません!…くー今に見てて下さい、いつか平地の成績も私の青信号でいっぱいにしてやりますから!」
…それは、4年前のある日の記憶。
*****
再び、現在の療養施設。
…ゴールド、オフサイド先輩、勝手な行動を許してください。
自分の病室で、ルソーは患者服から制服に着替えていた。
その表情は恐ろしく蒼白で、これ以上ない位の怒りに満ちていた。
足元には、凄まじい力で捻られ引き裂かれた報道紙の残骸が散らばっていた。
「ルソー!」
突然病室の扉が開き、クッケン炎担当医師の椎菜が入って来た。
制服姿に着替え終えたルソーの姿を見るなり、椎菜は彼女が取ろうとしている行動が分かった。
「あなた、まさか…」
「止めないで下さい!」
椎菜が言葉を発する前に、ルソーは松葉杖を向けてそれを遮った。
「私はずっと耐えてきました!オフサイド先輩が侮辱された時も、クッケン炎の仲間達が理不尽に追い詰められていく中でも、私は必死に耐えて、仲間達を支えてきました。…ですが、今回のこればかりはもう無理です!」
ルソーは足元の、『故障者が出たレースは中断するべき』という内容が記された報道紙の残骸を踏みにじった。
「最悪です!動機が奸悪です!これはレースに散った同胞達への凄まじい侮辱です!黙って耐えるなんてもう出来ません!」
ルソーの眼は血よりも紅く光っていた。
「待ちなさい!」
自分を押しのけて病室を飛び出したルソーを、椎菜は背後から必死に抱き止めた。
「離して下さい!」
「あなた、何するつもり⁉︎」
「決まってます!腐った性根でこんな声を上げた連中達を問い詰めにいくのです!場合によっては帰還も辞しません!」
そう叫んだルソーの脚からは、異様に険悪な気が溢れだしていた。
「駄目っ!絶対駄目っ!」
「離して椎菜先生!」
「離さないわ!誰か、誰か来てっ!助けてっ!」
椎菜の叫び声を聴いて、近くの病室にいたクッケン炎仲間のウマ娘達が現場に駆けつけた。
「どうしたんですか!」
「早く!ルソーを止めてっ!」
「は、はいっ!」
状況を見て愕然としていたウマ娘達は、椎菜の命令で一斉にルソーを取り押さえにかかった。
「ルソー先輩!一体何を⁉︎」
「うるさい!離してっ、お願い!」
5、6人の仲間達に抑え込まれながら、ルソーは眼を血走らせ、松葉杖を振り回してもがき続けた。
脚が危ない…
暴れ続けるルソーの状態を見て、椎菜は決断した。
「ルソーを床に抑えつけて!」
「っやめろ!離せっ!何をするっ」
「ルソー先輩!落ち着いて下さい!」
「退いて!」
ルソーが皆に床に押さえつけられ、、身動きがとれなくなった一瞬、椎菜は素早く注射器を取り出し、即座にそれを彼女の二の腕に突きたてた。
「あっ…」
「大丈夫、これは麻酔よ…」
注射を見て凍りついた患者達を安心させるように説明すると、椎菜は額の汗を拭いながら、床に抑え込まれているルソーを見た。
「椎菜…せんせ…」
ルソーは愕然とした眼で、片腕を伸ばし椎菜の胸ぐらを掴んだ。
「なんで…止めたん…ですか…」
「ごめん。でも、あなたを行かせる訳にはいかないの…。」
胸ぐらを掴んだルソーの手を両掌に包んだ椎菜の眼から、涙が溢れだしていた。
「あなたまで…不幸になって欲しくないの…」
「……。」
薬が効いてきたのか、ルソーの腕が力なく椎菜の手から落ちた。
後輩達が離れた後も仰向けに倒れたまま、次第に意識朦朧としてきた彼女の首元に椎菜は涙を溢し、床に両手をついた。
「…まだ、耐えて。お願いだから、どうか…どうか…。」
…。
泣き崩れて懇願する椎菜を目の前に、意識を失いかかったルソーの眼からも涙が溢れ、頬を横につたって床に滴り落ちた。
「…ねえ……シグナル…」
輝きを失った彼女の眼は、虚空へ向けられた。
虚空を見つめたまま、彼女の唇からは、震えた声がもれていた。
「…私達も…必死に…生きてるんだよね……シグナル……そうだよね……」
その言葉を最後に、ルソーは意識を失った。
意識を失った後も、彼女の頬には涙がつたっていた。
「…。」
椎菜はルソーの涙をハンカチで拭き取ると、ぐったりした身体を抱き上げ、この状況に茫然としたままのウマ娘達に眼を向けた。
「ありがと、助かったわ。もう戻って大丈夫よ。」
「あの、これは…」
「今は聞かないで。また改めて話すわ。」
尋ねたいことだらけの彼女達の質問を逸らし、椎菜は目元を拭いながら続けた。
「ルソーのことは心配しないで。私が看護するから。…このことは誰にも話さないで。」
「分かりました。」
ルソーのことがとても心配そうだったが、彼女達は素直に頷き、病室へと戻っていった。