1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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暴流(2)

*****

 

昼過ぎ。

療養施設の、クッケン炎の患者達が集まった病室。

 

 

『オフサイドの有馬記念出走に対して批判殺到』

『失言問題の責任を果たす意向なし』

 

「またですね。」

かつてオフサイドと闘病を共にしたウマ娘達は、報道紙やニュースを見て深い溜息を吐いた。

「見てて辛いな。」

「あまり読まない方がいいよ、還りたくなるから。」

 

暗い表情の一人が、ふと気になったように口を開いた。

「ルソー先輩は、どこにいるのかな?」

「先輩は、今朝からずっと病室にこもっているみたいよ。再燃が相当ショックだったみたい。」

「ルソー先輩、チーム仲間なだけでなく、オフサイド先輩をもの凄く尊敬しているからね…。」

私達もだけどと、また溜息がもれた。

 

と、

「大丈夫かな。」

会話を聞いていた一人が、不安そうな表情で呟いた。

「さっき、報道紙を見てたルソー先輩と廊下ですれ違ったけど、表情がめっちゃ怖かった。」

「え?」

「あんな怖い表情のルソー先輩、初めて見た。」

「それは、ルソー先輩にとってオフサイド先輩はチーム仲間でもあるからね。ショックだけじゃなく怒りも湧くわよ。」

 

そう言った仲間に、最初に呟いたウマ娘は少し震えながら続けた。

「いや、ルソー先輩が見て激怒していたのは、“故障者が出たらレースは中断するべき”とか、“大本命が故障したレースの価値は低い”とか、そういうニュースのものだったわ。」

 

…え?

その会話を、病室の外を通りかかった椎菜が聞いていた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

4年前の秋、トレセン学園。

 

 

「疲れました…」

放課後の練習中、坂路でのトレーニングを行っていたシグナルライトは、疲れた様子で坂路上にぐだーと寝た。

 

「ちょっとシグナル、まだトレーニング中よ。」

彼女と一緒にトレーニングしているルソーは、呆れたようにシグナルを見た。

「早く起きなさい。ケンザン先輩やブライアン先輩に見つかったら叱られるわ。」

「は、はーい。」

シグナルはよろよろと立ち上がった。

「ルソーさん全然疲れてませんね。凄い体力で羨ましいです。」

「あんたが疲れるの早過ぎるだけ。長距離が得意なくせにだらしない。」

「むー、ルソーさんひどいです。」

「はいはい。さっさとトレーニング続けるわよ。それとも何、もう体力は黄信号なの?」

 

「むっ!」

シグナルは、急にシャキンとした。

「シグナルはいつでも青信号です!GoGoレッツゴー青信号です!」

そう言うと、先程までの疲れが嘘のように元気よく坂路を走りだした。

 

30分後。

「はあ…はあ、シグナルもうやめよー…。」

「ルソーさん!まだまだいきましょう!」

先程とは状況が逆転していた。

 

坂路を何本も走ってまだ余力あるシグナルに対し、ルソーは疲れきった様子で坂路上に腰をついていた。

「あんた、やっぱりスタミナあるわね…。」

「それは当たり前です!シグナルはいつでも青信号ですから!疲れ切ることなどないのです!」

さっき疲れきってたじゃん…

「キレはないけどさすがは体力バカだね、シグナルは。」

「キレがないは余計です。」

シグナルはぷくーと膨れながら、ルソーに手を伸ばした。

「ルソーさんもまだ青信号でしょう?まだ頑張りましょう!」

「無理。私もう青黄色の信号」

「そんな信号色はありません!」

 

「おいシグナル、もうそのへんにしておけ。」

練習の様子を観察をしていたトレーナーが、苦笑いしながら二人に声をかけた。

「これ以上やるとオーバーワークだ。デビュー戦間近で気合いが入ってるのは分かるが、やり過ぎて調整失敗したら元も子もない。」

「はーいトレーナー!」

シグナルは素直に答えると、ルソーの手を掴んで起こした。

 

ルソーを起こした後、シグナルは嬉しそうに笑った。

「うふっ!今日はシグナルの勝ちですね!」

「は?何が?」

「坂路での耐久勝負です!これでルソーさんとの坂路通算成績は、私の77勝65敗です!」

「あんたさっき白旗あげてたじゃん。」

「あげてません!シグナルは決して赤信号にはならないのです!」

「あーそうですか。」

ルソーは呆れたように頷き、それからちょっと意地悪そうな顔した。

「ま、坂路では私の方が分が悪いけど、平地でのマッチレースは何勝何敗だっけー?」

「ルソーさんの11勝、キセ(フジキセキ)さんの27勝です!」

「私とキセじゃない!私とあんたの成績だよ!」

「…私の4勝、ルソーさんの35勝です。」

「んー、よく聞こえないわねー?」

「知りません!」

少女のように頬を膨らませたシグナルは、プイっと悔しそうに背を向けるとルソーをおいてその場を走り去っていった。

ルソーは笑いながら、その背を追いかけた。

「確か私の30勝でシグナルの0勝だよねー?」

「違います!そんな極端な成績ではありません!私だって何度か勝ってます!」

「えー、じゃー何回くらい?」

「知りません!…くー今に見てて下さい、いつか平地の成績も私の青信号でいっぱいにしてやりますから!」

 

 

…それは、4年前のある日の記憶。

 

 

 

 

*****

 

 

 

再び、現在の療養施設。

 

…ゴールド、オフサイド先輩、勝手な行動を許してください。

 

自分の病室で、ルソーは患者服から制服に着替えていた。

その表情は恐ろしく蒼白で、これ以上ない位の怒りに満ちていた。

足元には、凄まじい力で捻られ引き裂かれた報道紙の残骸が散らばっていた。

 

「ルソー!」

突然病室の扉が開き、クッケン炎担当医師の椎菜が入って来た。

制服姿に着替え終えたルソーの姿を見るなり、椎菜は彼女が取ろうとしている行動が分かった。

「あなた、まさか…」

 

「止めないで下さい!」

椎菜が言葉を発する前に、ルソーは松葉杖を向けてそれを遮った。

「私はずっと耐えてきました!オフサイド先輩が侮辱された時も、クッケン炎の仲間達が理不尽に追い詰められていく中でも、私は必死に耐えて、仲間達を支えてきました。…ですが、今回のこればかりはもう無理です!」

ルソーは足元の、『故障者が出たレースは中断するべき』という内容が記された報道紙の残骸を踏みにじった。

「最悪です!動機が奸悪です!これはレースに散った同胞達への凄まじい侮辱です!黙って耐えるなんてもう出来ません!」

ルソーの眼は血よりも紅く光っていた。

 

「待ちなさい!」

自分を押しのけて病室を飛び出したルソーを、椎菜は背後から必死に抱き止めた。

「離して下さい!」

「あなた、何するつもり⁉︎」

「決まってます!腐った性根でこんな声を上げた連中達を問い詰めにいくのです!場合によっては帰還も辞しません!」

そう叫んだルソーの脚からは、異様に険悪な気が溢れだしていた。

「駄目っ!絶対駄目っ!」

「離して椎菜先生!」

「離さないわ!誰か、誰か来てっ!助けてっ!」

 

椎菜の叫び声を聴いて、近くの病室にいたクッケン炎仲間のウマ娘達が現場に駆けつけた。

「どうしたんですか!」

「早く!ルソーを止めてっ!」

「は、はいっ!」

状況を見て愕然としていたウマ娘達は、椎菜の命令で一斉にルソーを取り押さえにかかった。

「ルソー先輩!一体何を⁉︎」

「うるさい!離してっ、お願い!」

 

5、6人の仲間達に抑え込まれながら、ルソーは眼を血走らせ、松葉杖を振り回してもがき続けた。

脚が危ない…

暴れ続けるルソーの状態を見て、椎菜は決断した。

「ルソーを床に抑えつけて!」

「っやめろ!離せっ!何をするっ」

「ルソー先輩!落ち着いて下さい!」

「退いて!」

ルソーが皆に床に押さえつけられ、、身動きがとれなくなった一瞬、椎菜は素早く注射器を取り出し、即座にそれを彼女の二の腕に突きたてた。

 

「あっ…」

「大丈夫、これは麻酔よ…」

注射を見て凍りついた患者達を安心させるように説明すると、椎菜は額の汗を拭いながら、床に抑え込まれているルソーを見た。

「椎菜…せんせ…」

ルソーは愕然とした眼で、片腕を伸ばし椎菜の胸ぐらを掴んだ。

「なんで…止めたん…ですか…」

「ごめん。でも、あなたを行かせる訳にはいかないの…。」

胸ぐらを掴んだルソーの手を両掌に包んだ椎菜の眼から、涙が溢れだしていた。

「あなたまで…不幸になって欲しくないの…」

 

「……。」

薬が効いてきたのか、ルソーの腕が力なく椎菜の手から落ちた。

後輩達が離れた後も仰向けに倒れたまま、次第に意識朦朧としてきた彼女の首元に椎菜は涙を溢し、床に両手をついた。

「…まだ、耐えて。お願いだから、どうか…どうか…。」

 

…。

泣き崩れて懇願する椎菜を目の前に、意識を失いかかったルソーの眼からも涙が溢れ、頬を横につたって床に滴り落ちた。

「…ねえ……シグナル…」

輝きを失った彼女の眼は、虚空へ向けられた。

虚空を見つめたまま、彼女の唇からは、震えた声がもれていた。

「…私達も…必死に…生きてるんだよね……シグナル……そうだよね……」

その言葉を最後に、ルソーは意識を失った。

意識を失った後も、彼女の頬には涙がつたっていた。

 

「…。」

椎菜はルソーの涙をハンカチで拭き取ると、ぐったりした身体を抱き上げ、この状況に茫然としたままのウマ娘達に眼を向けた。

「ありがと、助かったわ。もう戻って大丈夫よ。」

「あの、これは…」

「今は聞かないで。また改めて話すわ。」

尋ねたいことだらけの彼女達の質問を逸らし、椎菜は目元を拭いながら続けた。

「ルソーのことは心配しないで。私が看護するから。…このことは誰にも話さないで。」

 

「分かりました。」

ルソーのことがとても心配そうだったが、彼女達は素直に頷き、病室へと戻っていった。

 


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