制服姿で写真立てを抱えたリートは、室内中央にあるベッドの上に座った。
ここまで気丈に振る舞っていた彼女だが、鼓動の乱れと身体の震えまでは隠せなくなっていた。
椎菜は助手達を待機させ、リートの傍らに座り、その震える肩を抱き寄せた。
無言で、無表情で。
だが、リートの震えは中々おさまらなかった。
そのまま、数十分が経過した。
無言の椎菜に肩を抱かれ続けているリートの視線は、時折、ベッドの傍らにある台上の注射器を見ていた。
だがやがて、
「もう大丈夫です。」
リートは震えをおさまらせ、椎菜を見上げて小声で言った。
…。
椎菜が手を離すと、リートは自ら、ベッド上に横になった。
「椎菜先生、」
横になった後、リートは天井の電灯に視線をやりながら、身体は助手と一緒にベルトで固定している椎菜に言った。
「これが終わった後、私は火葬されるんですね。」
「うん。」
「その時は、私を制服姿のまま、この写真立てと一緒に焼いてくれますか。」
「分かったわ。」
椎菜はベルトでリートの身体を固定し終えると、彼女の枕元にある台の前に立ち、手袋をはめ、用意していた注射器を無表情で手にとった。
それを見て、リートはつと尋ねた。
「…痛いですか?」
「痛くないわ。」
「でも、一瞬はチクッとしますよね?」
「多分ね。注射だからね。」
「痛いの苦手です。」
「注射は苦手なコ多いわ。」
リートの言葉に、椎菜は無表情で答え続けた。
「あのトウカイテイオーだって、あなたと同じ位の頃は注射が大の苦手だったらしいわ。」
「え、そうなんですか?」
「うん。何か他にも主治医とやらがワケワカラナイヨとかどうのこうのとか…。」
「はー…あ、じゃあ今怖がらなければ、私は当時のテイオー先輩よりも注射には強いってことになりますね!」
「確かにそうなるね。」
笑ったリートの言葉に、ちょっとだけ椎菜は微笑したが、すぐに無表情に戻った。
リートはまだ少し笑顔を浮かべていたが、やがて静かな表情に戻った。
「じゃ、いくよ。」
リートの腕元に、椎菜は注射器の針を近づけた。
「はい。」
ベッド上、身動きできないよう固定されたリートは天井を向き、眼を瞑って頷いた。
眼を瞑ったままのリートに対し、椎菜は眼を見開いて、彼女の腕に注射器の針を当てると、躊躇わずに打った。
「終わったわ。」
「え、終わったんですか?」
さっさと注射器を台に戻し、手袋を外し始めた椎菜を見て、リートは拍子抜けしたように言った。
椎菜は頷きながら助手達を退がらせ、枕元に椅子を持ってきてそれに座った。
「痛かった?」
「いえ、全然。痛くない注射は初めてでした。凄いです、椎菜先生。」
「そう。」
もう何百回やってるからね、という言葉は胸の奥にしまって、椎菜はリートに告げた。
「あと20分くらいで、あなたは永遠の眠りにつくわ。」
「あと20分…」
そのことは、この処置を受けると決めた時から大方知っていた。
「何か、最期にお話したいことはある?」
「いえ。」
リートは首を振った。
「もう覚悟は出来てました。皆さんともしっかりとお別れすることも出来ましたし、夢も叶えられました。…あとは静かに、最期の時を迎えたいです。」
5分、10分、時間は刻々と過ぎた。
そして、15分程経った頃。
「…先生…お別れ…みたいです…」
リートの意識がぼやけてきた。
「…。」
リートの様子を見ると、椎菜は彼女を固定していたベルトを外した。
身体は自由になったが、もうリートは身体を動かせなくなっていた。
「リート。」
「…先生…」
枕元で自分の手を握った椎菜の掌を、リートは最期の力を込めて握り返した。
「…長い…間…お世話になりました…」
「…。」
椎菜は無言で、眼をいっぱいに見開いて、リートの閉じかかった瞳を見つめた。
椎菜のその眼を見た時、リートの瞳からこらえてたものが一筋流れた。
「…ごめん…なさい…」
「え?」
「…私……嘘…ついて…ました…」
「嘘?」
「…一度で…一度いいから…レースを走りたかった……」
「リート…」
「…さよなら………」
椎菜の手を握ったまま、リートは最期にそう呟くと、静かに眼を閉じた。
やがて椎菜の手を握っていた手も解け、静かにベッド上に落ちた。
これ以上ない静寂が、室内を満たした。
それから数分後、椎菜は意識を失ったリートの脈・心音を確かめた。
それらが全て停止していることを確認すると、手帳を取り出し、記した。
『××××年12月21日(月曜日)午後11時53分。第〇〇期入学生・エルフェンリート(6歳・2年生)、クッケン炎による未来不良の為、帰還の処置。』
記し終えると、椎菜は再びリートの枕元に立った。
リートの頬に残っていた涙痕を拭き取り、その亡骸に静かに白布をかけた。
「…終わりました。」
そう誰ともなく言うと、最後に遺体に対して深く一拝した。
場は変わり、屋上。
『…終わりました…』
…っ
イヤホンからその言葉が聴こえると、室内での一部始終を聴いていたルソーは音声を切った。
…リート…
屋上の出入り口前にあるベンチに座ったまま、ルソーは唇と奥歯を噛み締めて嘆きを堪えていた。
だめだ…。
また一人病症仲間が還ったという現実と、リートの最期の言葉(その無念は分かっていたとはいえ)が、ルソーの心をこれ以上ないくらい締め付けた。
仲間の帰還の状況を最期まで聴き届けたのは3回目。
もう苦しかった。
苦し過ぎた。
自身、〈死神〉にかかってから2年半、幾多の仲間達との永別を経験してきたが、その最期がどのようであるかまでは見届けてなかった。
これほど苦しいなんて…
オフサイド先輩、あなたは何十回も、こんな経験を積み重ねてきたんですか…
悲嘆・苦痛・絶望が胸中を渦巻く中、先輩の姿を脳裏に浮かべながら、ルソーは松葉杖をついて、屋上の柵のない奥の方へと歩き出した。