理事長宅を後にしたマックイーンは、そのまま学園へと向かった。
理事長…
車に揺られながら、マックイーンは理事長の話のことを考えていた。
理事長はマックイーンにとって、尊敬している数少ない人間の一人。
彼とは現役生徒以前の幼少期から会っていて、その人間性から多くを学んでいた。
理事長はかつて、某プロスポーツの超一流選手で、引退後は監督もしていた。
後には政界にも進出し、国の重職も務めたことがある。
要するに、勝負の世界で頂点に立ち、かつ責任の最も重い立場も数多く経験してきた人間。
マックイーンのウマ娘としての略歴と似ていた。
マックイーンも名族メジロ家の令嬢としてトレセンに入学した。
デビュー後しばらくは成績も存在感も目立たなかったが、2年生の秋に菊花賞で優勝して以後は、引退までの3年間ずっと第一人者であり続けた。
3年生以後、G2以下では全て1倍台の圧倒的人気を背に5戦無敗全て圧勝。
勝ちが確定し過ぎてつまらないと言われた。
G1は8戦3勝2着3回。
G1の舞台でも、人気はトウカイテイオーに奪われた天皇賞・春以外は全て1番人気だったし、その天春はテイオーに10バ身の力量差を見せつけて差しあげましたわ。
2着に敗れた3戦だって、勝った相手が100%以上の状態で出走して、生涯最高の走りをした結果だ。
特にあのダイユウサク先輩はそうでしたわ。
それほどの状態でなければ、このメジロマックイーンを破ることなど不可能。
そう皆が認めざるを得ないくらいの力量&内容&美貌&安定&威圧を誇っていた。
5年生秋にケイジンタイ炎を発症し現役生活を断たれたが、あれがなければその後の天皇賞・秋もJCも有馬記念も全部獲ってやるくらいの力と自信はあった。
引退後は、すぐに生徒会入り。
数年間役員として下積みを積んだ後、2年前に学園ウマ娘トップの生徒会長の座についた。
有無を言わせない、ウマ娘としてのここまでの人生だ。
とはいえ。
マックイーンは小さく吐息した。
周囲のウマ娘、またファンの皆からはこれ以上ないくらい理想的なウマ娘としての略歴だと思われているだろうが、少々の悔恨もあった。
特に現役時代に、二つ。
一つは、7年前のあの天皇賞・秋。
もう一つは、当時もそれを思ったし今このような事態が起こってからは痛切に感じているが、ケイジンタイ炎で引退を決めたこと。
その故障以前にも一度、重い骨折で一年近く休んだことがあったので、その病を患った際は、年齢や身体、また治療にかかる期間も考慮し、やむなく引退を決めた。
だけど、あれが本当に私の限界だったのだろうか?
自身が引退した後の次世代…特にナリタブライアン・サクラローレルらのように重い故障と闘いながらターフを必死に走り続けた後輩達を目の当たりした際、そんな思いが何度も胸をよぎった。
そして、その彼女達の同期にしてチーム仲間のオフサイドトラップが…
オフサイドトラップ…あなたは恐ろしいウマ娘ですわ。
騒動は別にして、マックイーンはオフサイドトラップという、実績も実力も格下の後輩ながら、畏敬の念を禁じ得ないこの同胞のことを思った。
昨夏、マックイーンと同じ5年生時に、オフサイドは3度目の〈死神〉の魔の手に罹った。
確かな噂で聞いたところでは、実はあの時点で、彼女には引退後の道が用意されていたらしい。
2度の〈死神〉&故障に苦しんだ彼女だが、その間に出走し続けたレースで、その道が用意される程の実績(最低限ではあるが)は挙げれていた。
つまり、もう〈死神〉と闘う必要はなかったのだ。
…。
マックイーンは何気なく、ケイジンタイ炎を患った左脚に手を触れた。
重度の骨折は別として、ケイジンタイ炎はウマ娘から恐れられる最も大きな故障の一つ。
マックイーンですら、未練がありながらも引退を決めたのは、その病の恐ろしさを知っていたから。
治療も苦しいし、治ったところで以前のような走りが出来るとも限らない。
それに、ターフはおろかトレーニングですら再発する可能性が高かったから。
それと匹敵する故障であるクッケン炎(死神)。
昨夏に罹った時点で、オフサイドは2度のそれと、その影響による別の故障で計3度、期間にして合計2年以上の闘病生活を余儀なくされてた。
正直、それだけの闘病&離脱を重ねながら、そこまで走れたこと事態が奇跡レベルだったし、未来への道も掴めたことは充分な称賛に値する不屈ぶりだった。
もし自分がオフサイドの立場だったら、躊躇わず引退を決断してると、マックイーンですら思う。
なのに、オフサイドは〈死神〉との3度目、関連故障も入れると4度目の闘いに踏み切った。
信じられませんわ…
他のウマ娘だったら、100人中100人諦めますわ。
オフサイドのチーム『フォアマン』の先輩で、『3度の骨折』を乗り越えた不屈の代名詞的存在であるトウカイテイオーでも、『3度のクッケン炎』には屈せざるを得ないでしょう。
それなのに、オフサイドトラップは一体なぜ…
はっきりいえば、彼女は目立った実績も素質もない、よくいる重賞善戦レベルのウマ娘だ。
その程度の彼女が、テイオーですら恐れそうな闘病生活に自ら飛び込んだ。
彼女にそこまでの行動をとらせたのは、一体なんなのだろう。
道半ばでターフを去った盟友の存在か、或いは闘病仲間への思いか、または栄光への執念か。
それとも、『フォアマン』の信条である“不屈・体現・勝利”を成し遂げん為か…
彼女に引き換え…
左脚に触れながら、マックイーンは軽く唇を噛んだ。
自身はこの厳しい故障を前に、復帰の為の闘病生活をしなかった。
だから、〈クッケン炎〉をはじめとした故障と闘う同胞達の気持ちが分かりきれていない。
ターフに戻れるかは別として、後に生徒会に入ることを考えれば、少しでも闘病するべきだったと、それが悔恨だ。
無論、その闘病自体が脚に負担がかかるので、今のように無事でいられた保障はない。
メジロ家の令嬢に相応しい幾多の栄光と実力を見せつけきった自分には、引退が正しい決断だったとも思う。
それに、重い骨折による1年間の大変な療養生活を乗り越えた経験だって現役中にあったから、自分も不屈だという自負もある。
けどやはり、最後の最後で悔いが残った。
まあ、今更そんな後悔しても無意味ですわ。
マックイーンは咳払いした。
幾ら未練を並べても、現在はこのメジロマックイーンしかいないのですから。
後悔の念を止めると、マックイーンは脳裏で、懸案である騒動に対する今後の方策の整理を始めた。
先程会った理事長が考えているであろう今後の方策は大体読めている。
オフサイドの有馬記念出走を断念させ、騒動を沈静化させる。
その後、彼女が引退し(現役でも可)、スズカが心身とも完治した頃に、世論&報道への法的措置へ踏み切る予定だ。
恐らく、一連の世論&報道の理不尽な行為は、全て記録として残しているのだろう。
時勢がスズカの完治(復活)によって落ち着き、そしてオフサイドへした行為を後悔するか、蓋をし始めた時に断行するつもりだ。
理事長は冷徹で合理的。
それでいて人間界でも顔が広い。
政界の経験も豊富だから、バランスを考えて完膚なきまでの法的措置は取らないだろうが、オフサイドの名誉を回復させるだけの結果を出すことは容易いとみているだろう。
ですが。
マックイーンはその方針に反対の意向だった。
正直理事長には、サイレンススズカがどれだけの人気と実力を持ったスターウマ娘かは、分かりきっていないと感じていた。
同胞の人間達が愚かだと嘆いていたが、どれだけ膨大な人間が彼女の走りに魅了され、熱狂したか。
なんたってほぼ全国民(一億人)だ。
かつてスターと言っていいプロスポーツ選手だった理事長でも、彼女程の人気は集めてなかっただろう。
このマックイーンですら、自身の現役時代より人気が高いと認めざるを得ないくらいだ。
その熱狂が、僅か一年くらいで収まるとも思えない。
多分、その処置によって三たび騒動再燃するだろう。
その再燃時に、怪我から復活したスズカが…勿論その前に騒動のことを知ったという条件つきだが、彼女がオフサイドのことを擁護すれば、騒動再燃は避けられるかもしれない。
多分、理事長はそれを考えているのだろう。
だが、余計混沌とする可能性だってある。
スズカは学園に無理矢理オフサイドを擁護させられたとか、或いはスズカが逆恨みされる展開とか…
それに、いくら完治したと言っても、スズカが騒動を知ったらどれだけのショックを受けるか…恐ろしい。
第一、そこまでやらなければオフサイドトラップの名誉は回復出来ないのか。
何より、オフサイドトラップがそんな結末を望むだろうか。
マックイーンは、車窓から朝の街並みに眼を向けた。
ここは極力、リスクのない解決策を目指した方が良い。
つまり、このメジロマックイーンが責任を負う解決策だ。
なんの罪もない理事長がとる必要はない。
私には明確な罪がある。
初期対応の拙さ、そして7年前の天皇賞・秋。
実は、まだ理事長にも仲間の生徒会役員達にも明かしていないが、マックイーンはある一つの解決策を胸に秘め、それに向け着々と行動を進めていた。
その素振りは全く見せていないので、誰一人として気づく訳がありませんわ。
ただ…
ただ一人、その解決策を見抜かれていると感じたのは、あのライスシャワー。
だから、彼女だけは警戒している。
理事長は学園内の組織人で立場を分かってるから、独断での行動はしないからそこまで注視してない。
ライスは組織外の者で、行動は自由だ。
そして、この騒動に関してはライスも、自分の意志で取るべき行動を計画し実行しようとしている。
勿論それは、マックイーンの解決策とは異なるものだ。
ライスに動かれてしまっては、解決策が水の泡になる。
彼女の行動を極力抑える為、あの手紙を送った。
無論、従わないことも分かっている。
なので、彼女には見張りのウマ娘をつけている。
彼女の友であり、生徒役員のミホノブルボンだ。
まさか、貴方と闘うことになるとは…
メジロマックイーンは眼を瞑り、ライスシャワーの嫋やかな姿を思い浮かべた。
仕方ない。
私もライスも、全く譲る気はないのだから。
ライスには3年前の宝塚記念が、私には7年前の天皇賞・秋がある限り。
あなたの時間が残り少ないことは分かっていますが、譲れません…
思考を巡らせているマックイーンを乗せた車は、いつのまにか学園近くまできていた。
ケイジンタイ炎=繋靭帯炎。