*****
夜になった頃、ゴールドは喫茶店『祝福』を出、帰路についた。
「おいおい、大丈夫かよ。」
学園寮への帰路の途中。
電車で車窓を流れる夜景を眺めていると、座席でウマ娘新聞を読んでいる乗客の会話がゴールドの耳に聞こえた。
「サイレンススズカ、回復にかなり手間取ってるようだぜ。」
「まあ仕方ないだろ。再起不能になってもおかしくない大怪我だったらしいしな。まだ復帰の目があるだけ幸運だって言われてるし。」
「まーな。しかし残念だ。」
新聞を閉じた片方が、大きく溜息を吐いた。
「夢の海外遠征もなくなったどころか、また走れるかどうかすらわからないだからな…。」
「復帰出来たとしても、またあの走りが見れるかわからないからな…神様は残酷だ。」
「神様?」
片方が笑った。
「神様なんているわけないだろ。いるんだったら、大怪我するのはスズカじゃなくてオフサイドに決まっているだろ。」
「まあそうだよな。何でスズカのような最高のウマ娘が怪我して、オフサイドみたいなエゴイストが怪我しないんだろうな。」
「…。」
ゴールドは帽子に隠れた両耳をピョンと塞ぎ、乗客の会話が聞こえない場所へ移動した。
もう何十回と、今のような内容の会話を聞いただろう。
別車両に移動したゴールドは、空いてる座席に腰を下ろした。
あの天皇賞・秋を振り返る人々が話すのは、大体あんな内容だ。
時たま、2着の自分もことも出てきたりするが、主に会話で出るウマ娘の名は二人。
一人は「サイレンススズカ」、そしてもう一人は「オフサイドトラップ」。
スズカのことを話す時は痛々しく、惜しむように。
オフサイドのことを話す時は蔑み、嫌悪するように。
*****
毎日王冠から約一カ月後の、11月1日。
その日は、天皇賞・秋の大レースが開催された日だった。
だが、ファンも観客も、そして観戦したウマ娘の殆ども、このレースで誰が勝つか、ということは注目していなかった。
〈サイレンススズカがどれ程のスピードでゴールするか〉
それだけに注目していた。
先に行われた毎日王冠でエルコンドルパサー・グラスワンダーという最強の挑戦者相手に完勝した後、もうサイレンススズカに敵う相手は見当たらなくなっていた。
同時に、この稀代のスピードを持つウマ娘への人気は絶頂に達していた。
圧倒的な強さだけでなく、観てるもの全てを魅了し爽快にさせるそのスピードと走る姿の美しさ。
『奇跡の逃げ足』・『神速のウマ娘』・『ターフの神』といった異名すら名付けられた。
もはやサイレンススズカは、勝敗の次元を超えた域に達していた。
この天皇賞も、サイレンススズカにとっては自分の速さを測る為の場に過ぎない、そうみられていた。
ウマ娘新聞含めた報道も、勝敗予想などし殆どていない。
スズカがどれほどのタイムでゴールするかを予想していた。
従来のレコードタイムを更新することはもはや当然。
ではどのくらい更新する?0.5秒?1秒?いやもっと?そんな予想ばかりだった。
天皇賞へのニュースがスズカ一色な中、同レースに出走する他のウマ娘の特集も勿論ありはした。
大レースなので当然、実績が高く実力の強いウマ娘も数多く出る。
メジロブライト・シルクジャスティスといったG1覇者もだ。
だが、スズカにはとても勝てそうにないという予想が大多数だった。
周囲の予想だけでなく、彼女ら自身もその事実を内心では受け入れざるを得なかった。
ブライトもジャスティスも決して弱いG1ウマ娘ではない。
ブライトは、昨年のクラッシック成績では当時のスズカよりも遥かに優れた成績を残し、今年は天皇賞・春を制し名実とともにG1ウマ娘となった。
またその他のレースでも好走を続け、無敗ではないがスズカに次ぐ好結果を残していた。
ジャスティスも今年こそ成績は冴えないが、昨年の有馬記念ではマーベラスサンデー・エアグルーヴといった格上の先輩G1覇者をゴール寸前まとめて差し切るという離れ技やって勝利し、強烈な印象を残した。
だが、その二人ですら弱気になってしまう程、サイレンススズカの輝きは全てを圧倒していた。
その他、同走で初の大レース制覇に挑むウマ娘達も、やはりスズカが出るとあっては殆どが萎縮せざるを得なかった。
彼女らは1着は諦め、それ以下でなるべく上の着順を目指してレースに挑む構えだった。
出走するウマ娘達がそのような状況では、レースの勝敗が注目されないのも当然だったかもしれない。
だが、そんな状況下でも、密かにレースへの勝利に執念を燃やすウマ娘が、僅かに二人いた。
一人は、大レース含めで2着続きで勝ち星から見放され、今度こそ絶対勝ちたいと強く願っていたステイゴールド。
そしてゴールド以上に、異常な程に勝利を目指して燃え滾っていたのが…
*****
「…オフサイドトラップ先輩。」
座席に座っているゴールドは眼を瞑り、眼元に手を当てた。