取材を受け終えたライスは、店の上の自宅に戻り、脚の手当てしていた。
手当をしながら、ライスは過去のことを思い返していた。
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忘れられない、3年前の6月4日。
私ライスシャワーは、幾多の栄光を重ねてきた淀のターフに立っていた。
最強の好敵手あり、無敗の3冠目前だったミホノブルボンさんを破った菊花賞。
最強王者メジロマックイーンさん&春秋GP覇者のメジロパーマーさんとの激闘を制した天皇賞・春。
そして2ヶ月前、2年ぶりの勝利を挙げた天皇賞・春。
全て、私の栄光は、この淀の京都競バ場で掴み取った。
そしてこの日、私は生涯最高のファンの後押しを背に、この舞台にたっていた。
正直、身体は万全じゃなかった。
昨年の脚の怪我、また5年生という年。
前走で復活勝利を挙げたものの、その疲労が残っていた。
でも、どうしてもこの宝塚記念に出走したかった。
ファン投票は、初めての1位。
長い間不甲斐ない走りが続いていた私を支え応援してくれたファンの人達が、私をそこまで推しあげてくれた。
その恩に、感謝に報いたかった。
そして、第36回宝塚記念のレースは始まった。
私は最初から、後方待機でレースを進めた。
実はレースが始まった直後から、脚に違和感を感じていた。
故障ではない。
けど、慎重にレースを進めようと決めた。
もうその時点で、私はレースに勝つことを考えないようにした。
このレースは無事に走りきることだけを考えよう。
そう決めた。
だけど、第三コーナーを迎えた時。
私はそれを忘れてしまった。
栄光を手にし続けてきたこの淀のターフ。
私は第三コーナーを過ぎた辺りから、いつもスパートをかけていた。
それを、身体が本能的に思い出してしまった。
そして、その第三コーナー下り。
思わずスパートをかけ始めたことに気づくより早く、その瞬間はきた。
“ビキッ…”
左脚が、砕けた。
身体の真芯を抉られるような激痛に、私は声にならない叫び声をあげて崩れ落ち、全身をターフに打ちつけながら倒れた。
『ライスシャワー故障‼︎ライスシャワー故障‼︎…第三コーナー下りで大アクシデントー‼︎…』
場内実況の絶叫と、大観衆の悲鳴が聴こえた。
ターフに転がったまま、私は朦朧とした意識の中で、激痛で無感覚になった左脚を感じ、全てを悟った。
私、還るのか…
トレーナー・マックイーンさんにブルボンさん、ステージチャンプさん達が駆け寄ってくる姿が微かに視界に映る中、私は意識を失った。
そのまま、私はこの世を去った。
その筈だった。
眼が覚めたのは、療養施設のベッド上。
左脚は全く動かせなかったが、医師の先生から、集中治療の末私は奇跡的に助かったことを知らされた。
既に、宝塚記念からは3週間以上経っていた。
その後、1年以上にわたる治療・リハビリをした後、私は退院した。
同時に、学園を引退した。
引退と同時に、学園から特別賞を貰った。
その後は、喫茶店『祝福』を開き、表舞台には出ず今日まで暮らしている。
他の華やかな職業を薦められたこともあるが、脚の状態を理由に全て断った。
何故なら、人前に出たくなかったから。
こんな罪深いウマ娘、そうそういないだろうと思ったから。
何が罪深いって、私はあの宝塚記念を長い間振り返ろうとしなかったことだ。
ようやく、向き合う気になったのは、そのレースから2年近く経ってからだった。
レースの記録映像を観て、愕然とした。
本当に愕然とした。
私が怪我した瞬間じゃない。
レース後、誰も勝者のダンツシアトルさんを祝福してなかった。
みんな、完走すら出来なかった、敗者の私を注目してた。
愕然に、更に追い打ちがかかったのは、ダンツシアトルさんの勝者インタビュー。
『ライスシャワー先輩の怪我がありましたので…素直に喜べないです。』
そして、観戦したみんなが異口同音に言った言葉…
『ライスシャワーの怪我がショック過ぎて、とてもダンツシアトルを祝う気になれない』
『最も見たくないレース』
『ライスシャワーの故障以外、何も覚えていないレース』
更に更に、追い打ちがかかった。
ダンツシアトルさんは、このレース後にかつて患った故障を再度発症し、長期の治療も報われず、ターフに戻れないまま学園を去っていた。
栄光を称賛されるどころか、競走生活最高の走りすら顧みられないまま、彼女はターフと別れてしまった。
ウマ娘として、これ以上の不幸があるだろうか。
ダンツシアトルさんは、海外から入学した素質の高い、将来を大きく嘱望されてたウマ娘。
でも、脚部不安があり、デビュー後すぐにその影響で10ヶ月の長距離休養を余儀なくされた。
ようやく復帰したものの、数戦のレースを走った後、今度は〈クッケン炎〉発症。
絶体絶命の危機に追い込まれたが、1年以上にわたる長期療養を乗り越え、復活した。
その後は怒涛の快進撃で、重賞制覇から一気に宝塚記念までも制覇した。
2度の大きな故障、それも一度は〈死神〉にかかったのに復活し、G1を制したすごいウマ娘だ。
なのに、彼女は何の称賛も浴びなかった。
そして、恐らく失意の中で再び〈死神〉に罹り、ターフに戻れないまま学園を去ってしまったのだ。
誰のせいで?
あんなに強い勝ち方したのに。
脚部不安にも〈死神〉にも負けなかったのに。
そうなった最大の原因は、このライスシャワーだ。
私が競走中止しなければ、無残な姿で倒れなければ、ダンツシアトルさんは栄光を称賛され、然るべき祝福を受けていた。
その事実、知るのが遅過ぎた事実に私は絶望した。
何が「祝福」…
何が「愛されたウマ娘」…
何が「ヒールからヒーローへ」…
何でこんな私が、「特別賞」なんて貰ったの…
ターフで大怪我して可哀想だから?
気の毒だから?
そんな言葉、ターフにあってはならない言葉だわ。
レースにあってはならない感情を持ち込ませたのは、このライスシャワーだ。
私が一命を取り留めた後、ファンの皆さんも、同胞のウマ娘達の多くも、「ライスシャワーが救われて良かった」と安心し、それで満足した。
冗談じゃない。
私よりも、一番に救われるべきは、ダンツシアトルさんだった。
かつて、私は菊花賞と天皇賞・春を勝った後、色々と文句を言われた。
でも、そんな文句は、レースの内容で全部捩じ伏せた。
世間からはヒールだとかで非難やら同情やらを浴びたが、何とも思わなかった。
そんな周囲の声など、レースの内容で全部黙らせられたから。
ダンツシアトルさんは、レースすら観て貰えなかった。
私と同じように、強い内容で、レコード勝ちだったのに。
私がそのレースを、皆の視界から永久的に閉ざしてしまったんだ。
その事実を知った後、一体何度、私は自発的に還ろうと思ったことだろう。
申し訳なくて、生きていること自体が辛かった。
世間から「悲劇のウマ娘」とか、「幸せにしてあげたいウマ娘」とか、「宝塚記念がない世界が望ましかった」とか、そういう言葉をかけられるのも辛かった。
はっきり言って、可哀想そうとか気の毒とか同情されること程、私にとって屈辱で苦しいことはなかった。
でも、私は何も言えない。
言う資格もない。
一種の罰だと受け入れるしかなかった。
そのことだって絶対口にしない。
同情的な人気が上がるって分かるから。
ただじっと、他人の口から、責められる日を待っていた。
でも、誰も私を責めようとしなかった。
一人、私を責めようとしてくれたのは、メジロマックイーンさんだけ。
私が故障した時、生徒会役員だったマックイーンさんは、私を処罰することを検討してたらしい。
だが、ターフでの故障による競争中止は処罰の範囲にはなかったので、それをしなかった。
罰はなかった。
責められもしないまま、私の身体の状況はまた変わってきた。
脚が、限界に近づいてきていた。
長らく耐えてきたけど、もうその時は刻々と近づいてきている。
そして、私がこの世界で生きていられるのも、そう永くないということも…。
でも、私は還る前にやらなければいけないことがあると思った。
それは、次世代のウマ娘達に私のような過ちを侵させないこと。
そして、ダンツシアトルさんの二の舞を絶対起こさせないこと。
そう強く胸に誓って、私は今日まで生きてきた。
そして、それが起きた。
先の天皇賞・秋で、サイレンススズカが私と同じ状態になった。
しかも、私よりも重い爪痕を残す形で。
そして彼女は、私と同じく、自分が侵した罪に気づいてない。
このままでは、私の二の舞だ。
だけど、まだ救いは残っている。
何故なら、オフサイドトラップがあのような言動をしたから。
そして世間が理不尽に徹底的に彼女を糾弾している。
だからこの天皇賞・秋は、絶対に有耶無耶で終わらなくなった。
私が言えたことではないけど、あの宝塚記念では、ダンツシアトルさんは周囲に気遣いをしてしまった。
その結果、ダンツシアトルさんの栄光は、顧みられなくなった。
彼女自身が、それを望まないという言動につけ込まれて。
何でしたっけ、ダンツシアトルさんの宝塚記念制覇を、このように言う人がかなり多かった。
『気の毒な栄光』
『誰も悪くないけど、称賛されない栄光』
『救いがない栄光』
そんな同情的見方のもとに、栄光を封印された。
対して、オフサイドトラップさんは“気分が良い、笑いが止まらない”と言った。
そして、その真意を全く理解出来ない者達が激昂し、彼女を憎み攻撃した。
結果、オフサイドトラップさんは心をズタズタにされてしまった。
けど。
ダンツシアトルさんの時よりは、良いと思う。
だって、ダンツシアトルさんは同情という名目で無視された。
でもオフサイドトラップさんの場合は、憎まれてるが無視されてない。
だから、まだ救われる可能性がある。
オフサイドトラップさんも、サイレンススズカさんも。
償うのは私だけで良い。
サイレンススズカさんに教えなければ。
彼女にその罪を教え、それと向き合うことを諭さないと。
罪を知った私が何度も還ろうかと絶望したように、スズカさんもそれ位絶望するだろう。
まだ精神的に成熟してない彼女なら、その可能性と危険性は高い。
だけど、彼女にはスペシャルウィークさんがいる。
彼女を純心一途に深く愛し、ずっと傍で支えてくれるウマ娘がいる。
そして、無二の親友であるステイゴールドさんもいる。
彼女達がいれば、サイレンススズカさんはきっと大丈夫だ。
勿論、一抹の不安はある。
彼女達は、レースの恐ろしさを体験してない。
特に、スペシャルウィークさんは。
どこか、笑顔だけで何もかも乗り切ろうとしてる。
本当に乗り切る為には、目を背けたくなることとも、向き合わないといけない。
そうでなければ、ただの気休めでしかない。
それでは、更なる悲劇が起き続けるわ。
だから、私が救える範囲までは救わなければ…
それが、今日まで生きてきた私の、最後の使命。