1998年11月1日「消された天皇賞覇者」   作:防人の唄

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別荘(1)

*****

 

時刻は早朝に遡る。

 

まだ夜明け前の富士山麓のケンザン宅前には、メジロ家の車が停まっていた。

その車両の前に、オフサイドトラップとフジヤマケンザンの姿があった。

 

ここに来た時と同じ姿のオフサイドは、キャスター付きバッグを手にケンザンを向いた。

「ケンザン先輩、お世話になりました。」

「いいさ。私も、所用が済んだら向かうから。それまで気をつけてな。」

「はい。」

オフサイドは先輩に頭を下げると、メジロ家の車両に乗りこんだ。

 

そしてそのまま、オフサイドを乗せたメジロ家の車は、ケンザン宅を去っていった。

 

 

「…。」

オフサイドを乗せた車を見えなくなるまで見送った後、ケンザンは自宅に戻った。

 

昨晩、マックイーンから彼女のもとに急連絡がきた。

報道&世論に、オフサイドがここにいると嗅ぎ付けられた情報が入った、安全の為、彼女の身柄をメジロ家で保護したいという内容だった。

連絡を受け、ケンザンはオフサイドとも相談した末、それを受け入れることにしたのだった。

 

今はオフサイドのみ経たせてケンザンはここに残ったが、諸々の整理がついたら彼女もすぐメジロ家へ向かう予定だ。

マックイーンさんもそれを望んでいるようだったし、早ければ明日にでも経たねば。

ケンザンはそう思った。

 

 

 

一方。

 

富士山麓を経って数時間後、オフサイドを乗せた車はメジロ家の屋敷に着いた。

 

メジロ家屋敷といっても、メジロ家の本屋敷ではなく、大分離れた山奥にある別荘。

富士山麓より人気のない、静謐な場所。

身を隠すには最適な場所だった。

 

オフサイドは使用人に案内され、別荘内の一室に通された。

 

通された後、ここでの行動は使いの者を同行させれば自由などの説明受けた。

 

「では、今からトレーニングを始めても宜しいでしょうか。」

「はい。別荘裏にメジロ家専用のトレーニング場がありますので、ご案内します。」

「それでは、早速。」

「お着替え、お手伝いいたします。」

「いえ、一人で出来ます。…着替えが終わるまで、室外で待ってもらえますか?」

「かしこまりました。」

使いの者は、部屋を出ていった。

 

一人になった後、オフサイドは制服姿から体操着に着替え始めた。

右脚の包帯もしっかり巻き直し、体操着姿になると、使いの者に案内されて競走場へ向かった。

 

メジロ家専用の競走場は広かった。

 

競走場に着くと、オフサイドはすぐにトレーニングを始めた。

競走場の傍で、使いの者は彼女のトレーニングを見守っていた。

 

 

1時間程トレーニングした後、オフサイドは少し休憩した。

 

思い出すな…

水を口に含みながら、オフサイドは競走場とその周囲の山並みを眺めた。

昔、こんな場所で『フォアマン』の皆で合宿した記憶がある。

確か、5年くらい前のことだ。

まだデビューもしてなかった、1年生の夏。

あの頃は、随分と先輩達に鍛えられたな。

グローバル先輩、ケンザン先輩、チケット先輩、マイシン先輩…懐かしい。

そして、同期として切磋琢磨した仲間の…ブライアン、ローレル。

オフサイドの脳裏には、先輩だけでなく親友二人の姿も浮かんだ。

 

…。

オフサイドは、何かを振り払うように頭を振った。

容器を置いて立ち上げると、トレーニングを再開した。

 

 

そして、数時間後の昼過ぎ。

オフサイドはトレーニングを終えた。

 

いつもより大分早かったが、この日は移動による脚の負担があったから。

ここで壊れる訳にはいかないので、大事をとって切り上げた。

 

別荘の部屋に戻ると、オフサイドはいつものように脚のケアをしてから制服姿に着替え直した。

マックイーンが彼女の為に医師を用意していたようだが、脚は誰にも見せる訳にいかないので辞退した。

 

少し休んだ後、オフサイドは鞄からノートと筆記用具を取り出し、室内にある机へと向かった。

ノートには、かなりの量の文章が書かれていた。

ケンザン宅に身を移した時から書き続けているそれは、彼女の競走人生の回想録だった。

 

入学後の『フォアマン』チーム加入&ブライアン・ローレルとの出会い。

3人でクラシックを目指した日々。

そして、クッケン炎との闘いの始まり。

大怪我で還りかけたローレルや、3人での療養生活…。

 

それらを含めた、競走生活の全てを記している。

 

記してないのは、シグナルライトのことだけ。

あれは、レース上でのことしか私には書き残せない。

あとのことは、ルソーだけしか書き残せない。

 

それ以外は、9割方書き上げた。

 

だけど、ここ数日は筆が止まっている。

もう時間がないのに、まだ書けない箇所があった。

 

一つは、天皇賞・秋。

書くどころか、思い出すだけで耐えがたい苦痛に襲われるから。

 

もう一つは…

 

オフサイドは、再び鞄に手を伸ばした。

学園寮を離れた後もずっと持参している天皇賞の盾。

それと一緒に、もう一つ肌身離さず持っている、小さな箱があった。

 

オフサイドはそれを取り出し、掌に抱えてそれを開けた。

中には、二つのシャドーロールが入っていた。

片方は自分のもの。

もう片方は、ナリタブライアンの。

 

オフサイドは、ブライアンのシャドーロールを手に取った。

丸まっていたそれを、両手の上に拡げた。

 

未だ書けないもう一つの出来事は、ブライアンにこれを託された、9月27日のこと。

 

 

「ブライアン。」

オフサイドは、シャドーロールを握り締めた。

私は、あなたの為に走った。

史上最高のウマ娘のあなたから何もかも奪った〈死神〉を倒したかった。

その為なら、例え何もかも失ったって構わなかった。

 

結果、何もかも失っただけだったわ。

 

ごめん、ブライアン。

シャドーロールを見つめるオフサイドの窶れた瞳からは、何も溢れなかった。

私、向こうであなたとは会えない。

 

もう、その決意を決めたから。

 


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